“キング・オブ・クール”と呼ばれたスティーブ・マックイーンは、映画スターであると同時に、本物のレーサーであり、筋金入りの時計好きでもあった。ロレックスやカルティエ、ホイヤーと並び、彼が私生活で愛用した一本がハンハルト〈417 ES〉である。1964年、過酷な国際6日間トライアル(ISDT)に挑んだその手首にも巻かれていた時計から、マックイーンという男の美学と実用主義をたどる。
McQueen’s Hanhart 417 ES at the 1964 ISDT
筋金入りの時計好き、マックイーンのハンハルト〈417 ES〉
“キング・オブ・クール”と呼ばれたスティーブ・マックイーンは、映画スターであると同時に、本物のレーサーであり、筋金入りの時計好きでもあった。ロレックスやカルティエ、ホイヤーと並び、彼が私生活で愛用した一本がハンハルト〈417 ES〉である。1964年、過酷な国際6日間トライアル(ISDT)に挑んだその手首にも巻かれていた時計から、マックイーンという男の美学と実用主義をたどる。
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by Wei Koh . Aug 5, 2020 |
自宅にて、拳銃とハンハルト〈417 ES〉
稀代の洒落者、スティーブ・マックィーンは、時計好きとしても知られている。スクリーン上で嵌めている以上に、彼自身が実際に所有し、日常的に愛用していた時計が何本も存在していた。
そのなかにはロレックスの〈サブマリーナー〉(Ref.5512およびRef.5513を着用した姿が写真に残されている)、カルティエの〈タンク〉、ルクルトの〈メモボックス〉、そして本稿の主役であるハンハルト〈417 ES〉が含まれていた。
マックイーンがどのような経緯でこの時計を手に入れたのかは、いまなお謎に包まれている。しかし、彼があらゆるものに対して卓越した審美眼を持っていたことは明らかだ。
モーターサイクルでは、とりわけバド・イーキンズがチューニングしたトライアンフやノートンを好み、自動車ではポルシェ〈356 スーパー・スピードスター〉、フェラーリ〈275 GTB/4〉、ジャガー〈XKSS〉を愛した。
仕立てにおいても、映画『華麗なる賭け』(1968年)でのダグラス・ヘイワードとの協業が示すように、一流のテーラリングを理解していた。
また、ジャクリーン・ビセット、キャンディス・バーゲン、アリ・マッグローといった女性たちとの交際歴を見ても、その美意識の高さは折り紙付きだ。
だからこそ、彼が力強く男性的な魅力を備え、なおかつ高い信頼性で知られるハンハルト〈417〉に自然と惹かれたとしても不思議ではない。彼が所有していた個体は〈417 ES〉だったと考えられている。
そしてマックイーンは、この時計をブンドストラップ、あるいは“ファットストラップ”と呼ばれる幅広のレザーストラップに装着し、頻繁に着用していたのである。

▲ 1963年5月、カリフォルニア州パームスプリングスの自宅で、ソファに腰掛けながら拳銃を構えるスティーブ・マックイーン。サングラス越しの視線を向け、組んだ脚の上に置いた手首には時計が見える。
この時計がマックイーン本人の所有物として初めて確認できるのは、1963年にジョン・ドミニスが『LIFE』誌のために撮影した一連の写真である。当時、マックイーンはパームスプリングスの自宅バンガローで過ごしていた。
その写真のなかで彼はソファに腰掛け、脚を組んでコーヒーテーブルの上に投げ出し、指を引き金に掛けたまま拳銃を構えている。目元には彼のトレードマークでもあったペルソールのサングラスが光っている。『LIFE』誌のキャプションによれば、マックイーンはこれから砂漠へ射撃に出かける準備をしていたという。
しかし、われわれの関心を引くのはもちろん別のものだ。静かに腰掛ける彼の手首に見える時計――それこそがハンハルト417 ESである。マックイーンが417 ESを深く愛用していたことは、1964年に東ドイツで開催されたオフロードバイク大会“国際6日間トライアル(ISDT)”にアメリカ代表として参加した際に、より明示されることになる。
このときマックイーンは、モーターサイクルレース界の名手として知られたイーキンズ兄弟とともに東ドイツへ渡った。そこで撮影された数多くの写真には、彼の手首にハンハルト417 ESが装着されているのだ。この時計が単なる所有物ではなく、実際に日常的かつ積極的に使用されていた1本であったことを物語っている。

▲“カリフォルニア・ボーイズ”の愛称で知られたアメリカ代表チーム。中央はスティーブ・マックイーン。彼らは国際6日間トライアル(ISDT)に出場した初のアメリカ人チームであった。
モーターサイクルレーサーとしても超一流
エンデューロ・モーターサイクルレース界のオリンピックとも称されるISDTは、イングランドのカーライルで創設された大会である。世界各国から5人編成の代表チームを招き、過酷なオフロード環境でライディング技術と耐久力を競い合う国際競技として発展した。
そして当時のマックイーンは、アメリカ屈指の腕前を持つモーターサイクルライダーとして広く知られていた。映画スターとして名声を築くだけでなく、本格的なレーサーとしても高い評価を受けていたのである。

▲ 1964年のISDTアメリカ代表チームを発表した『Motorcycle Journal』の記事(Image: speedtracktales.com)
まだ巨額の保険契約や厳格な安全管理が一般化する以前の時代だったこともあり、マックイーンは1963年公開の映画『大脱走』で披露されたバイクスタントの大半を自らこなしている。
しかし、作品中でもっとも有名なシーンである有刺鉄線フェンス越えの大ジャンプだけは例外だった。このスタントを演じたのは、彼のスタントマンであり、ISDTのチームメイトでもあったバド・イーキンズである。イーキンズは第二次世界大戦時のBMWに偽装したトライアンフ〈TR6C〉を駆り、この伝説的なジャンプを成功させた。
1960年代を通じて、イーキンズは7回にわたりISDTに出場し、そのなかで金メダル4個、銀メダル1個を獲得している。まさに当時を代表するエンデューロライダーのひとりであった。

▲ 1964年のISDT。観衆が見守るなか、鮮やかなマシンコントロールでコーナーを駆け抜けるスティーブ・マックイーン(Image: François Gragnon / speedtracktales.com)
マックイーンが参加した1964年のアメリカ代表チームは、“カリフォルニア・ボーイズ”の愛称で知られていた。彼らはISDTに出場した初のアメリカ人チームであり、開会式ではマックイーンが星条旗の旗手を務めた。

▲ 1964年のISDT開会式で、“カリフォルニア・ボーイズ”を代表して星条旗を掲げるスティーブ・マックイーン(Image: François Gragnon / speedtracktales.com)
マックイーンはレースとなると細部へのこだわりが並外れていたことで有名だった。1964年のISDTを前に、彼はロンドンのコマーフォーズでトライアンフ〈TR6 トロフィー SC〉を受け取り、自らの手で入念なセッティングと改造を施している。

▲ 1964年のISDTでの走行後、休息を取るスティーブ・マックイーン。ライダーたちは平均300kmにも及ぶ過酷なコースを走り終えると、泥とオイルにまみれたまま芝生に倒れ込んだという。手首には417 ESが見える。(Photo by Francois Gragnon / Paris Match via Getty Images)

▲ 1956〜1958年に製造されたハンハルト417 ES。モデル名のESはステンレススティール製ケースを示しており、生産数はわずか500本とされる(Image: shucktheoyster.com)

▲ 1964年のISDTでの走行後、芝生の上でくつろぐスティーブ・マックイーン。過酷なコースを走り終えたライダーたちは、泥とオイルにまみれたまま地面に横たわって疲れを癒した。手首にはハンハルト417 ESが確認できる。 (Photo by Francois Gragnon / Paris Match via Getty Images)

▲ 1964年のISDTでの走行後、芝生の上で休むスティーブ・マックイーン。片手にタバコを持ち、疲れを癒す姿が印象的だ(Photo by Francois Gragnon / Paris Match via Getty Images)
そう考えると、マックイーンが時計を選ぶ際にも、同じような厳しい目を向けていたことは間違いないだろう。
興味深いのは、マックイーンが所有していたハンハルト417 ESをめぐる謎である。彼のホイヤー〈モナコ〉やロレックス〈サブマリーナー〉については、その来歴や現在の所在が比較的よく記録されている。一方で、愛用していたハンハルト417 ESがその後どうなったのかは、いまなおわかっていない。
なお、1964年のISDTにおけるスティーブ・マックイーンについては、speedtracktales.comに掲載されている詳細なフォトレポートで、さらに詳しく知ることができる。
※この記事は2020年8月に作成されたものです。
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