Shin Ohno’s Fuyu-Geshiki Is a Portrait of Obsession in 395 Parts
部品に込められた執念。27歳の独立時計師、大野真が生んだ〈冬景色〉
わずか27歳にして、グラン・ソヌリ、プティット・ソヌリ、クォーターリピーター、トゥールビヨンを搭載した時計を、ほぼ独力で完成させた大野真。独学で部品製造技術を習得し、仕事の傍ら11カ月を費やして作り上げた〈冬景色〉は、2026年の「F.P.ジュルヌ ヤング・タレント・コンペティション」で栄冠に輝いた。
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by Matthew De Jesus. May 14,2026 |
驚くべき孤独な作業
独立時計製作の世界には、門外漢には到底理解しがたいほどの情熱がある。それは必ずしも華やかでも、洗練されたものでも、劇的なものでもない。
例えば、朝5時に起床し、出勤前の2時間を時計製作に費やす。一日の仕事を終えて帰宅すると、夜7時から深夜0時まで再び作業台に向かう。週末も、部品の寸法精度の調整や組み立ての試行錯誤、音響試験に費やされていく。傍目には常軌を逸しているとさえ映る、果てしない鍛錬の日々だ。
そんな情熱の結晶ともいえるのが、2026年の「F.P.ジュルヌ ヤング・タレント・コンペティション」で優勝を果たした、大野真の作品〈冬景色(Fuyu-Geshiki)〉である。
長野県松本市出身の大野は、豊田工業高等専門学校を卒業した27歳の若き時計師だ。受賞作となった〈冬景色〉は、故郷・長野の冬景色から着想を得た作品である。山々の稜線、澄み切った空気、湧き水、そして雪解け。そうした情景を、グラン・ソヌリ、プティット・ソヌリ、クォーターリピーター、トゥールビヨンという複雑機構を通して表現している。
驚くべきは、既存のムーブメントをベースにすることなく、総計395個もの部品からこの時計を作り上げたことだ。68個のルビー、11個のボールベアリング、風防、3本の主ゼンマイ、ヒゲゼンマイを除き、すべての部品を大野自身が設計・製作している。

▲全395個の部品のうち、68個のルビー、11個のボールベアリング、風防、3本の主ゼンマイ、ヒゲゼンマイを除くすべてを大野自身が設計・製作した。
妥協を許さない信念が生んだ時計
開発に費やした期間は約11カ月。最初の2カ月は打鐘機構の研究と構想に充て、続く4カ月で設計を行い、さらに4カ月をかけて各部品を製作した。そして最後の1カ月は、打鐘機構の動作を安定させ、音色を磨き上げるために費やされた。
当初、大野は1年という期限に間に合わせるため、プティット・ソヌリのみを搭載した、よりシンプルな時計を構想していた。しかし、開発を進めるうちに、妥協して生み出した作品に価値はないと考えるようになり、より高度な複雑機構の実現を決意したという。

▲〈冬景色〉には、グラン・ソヌリ、プティット・ソヌリ、クォーターリピーター、トゥールビヨンという4つの複雑機構が搭載されている。
大野の経歴を知ると、この物語はいっそう興味深いものになる。
セイコーエプソンの「マイクロアーティスト工房」でエンジニアとして働いていた大野は、機械式時計の構造や設計について、十分な理論的知識を備えていた。しかし、工房での仕事は主にCAD(コンピューター支援設計)を用いた設計業務であり、部品製造の実技を学ぶ機会はなかったという。
そこで大野は、YouTubeの動画を参考にしたり、日本国内の時計学校の講師に自ら連絡を取ったりしながら、独学で製造技術を習得していった。設計図を描くことと、実際に金属を削り、部品を作り上げることはまったく別の技術である。加工に必要な感覚や製造工程に関する知識を、大野は自らの試行錯誤によって身につけていったのである。
詩情あふれる複雑機構の裏側
〈冬景色〉は、そうした数々の困難を乗り越えて生まれた、詩情豊かな作品だ。打鐘機構が奏でる音色は水の流れる音をイメージしたものであり、トゥールビヨンの回転は絶え間なく流れる小川の動きを象徴している。
文字盤とムーブメントには、雪や水の質感、川面にきらめく光、そして室内の窓越しに眺める冬景色が表現されている。黒檀と真鍮で作られたケースは、その風景を切り取る家屋に見立てられているという。

▲文字盤とブリッジには、雪の柔らかな質感と光の拡散を表現するため、エメリー(金剛砂)を吹き付けるブラスト加工が施されている。
仕上げにも、こうしたコンセプトが一貫して反映されている。文字盤とブリッジには、雪の柔らかな質感と光の拡散を表現するため、微細な研磨材を吹き付けるブラスト加工を採用。一方、歯車や地板には、絶え間なく流れる水をイメージしたサテン仕上げが施されている。
さらに、歯車の歯先はひとつひとつ丹念に手作業で鏡面に磨き上げられ、小川の水面に陽光がきらめく様子を表現している。機構だけでなく、目に見える細部の仕上げに至るまで、冬の情景が投影されているのだ。
大野が製作における最大の難関として挙げるのは、各部品に求められる加工精度である。ムーブメントの中心部には、アワー・スネイルカム、クォーター・スネイルカム、サプライズピース、スターホイールなど、10個以上の部品が同軸上に配置されている。
当初は、各部品に生じたわずかな誤差が積み重なり、機構がまったく作動しなかったという。個々の部品では無視できるほどの微細な誤差でも、それらが蓄積することで大きな動作不良につながる。大野は製作工程そのものを見直し、試行錯誤を重ねた末に、ようやく安定した動作を実現した。
打鐘時計にとって、音は単なる機能ではない。いわば時計の魂ともいうべき存在だ。大野は穏やかな音色を求め、ゴングの素材にピアノ線を採用した。しかし、その音色はハンマーの動きやゴングの固定方法、さらにはゴングを収める構造の形状によって大きく変化するという。
作業台の上に平置きした状態と、手に持った状態とでは、まったく異なる音色を響かせたそうだ。理想の音を追求するには、機構の設計や部品の加工だけでなく、音響に対する繊細な感覚も求められたのである。

▲パワーリザーブが一定以下になると打鐘機構を自動的に停止させる安全装置のほか、ロック機構の作動中はリュウズに力が加わるのを防ぐ仕組みも採用されている。
〈冬景色〉は、時刻表示機構と打鐘機構を分離したモジュール構造を採用している。
クォーターリピーターは、専用のプッシュボタンではなくリュウズによって作動する仕組みとすることで、ケースのすっきりとした外観を維持。同時に、時計を机の上に置いたままでも打鐘機構を操作できるようにしている。
また、パワーリザーブが一定以下になると打鐘機構を自動的に停止させる安全装置を備えるほか、ロック機構の作動中はリュウズに力が加わるのを防ぐ仕組みも組み込まれている。
複雑機構の実現だけでなく、実際の使用を想定した操作性や安全性にまで配慮が行き届いている。
395個の部品に込められた情熱

▲ザ アワーグラスのマイケル・テイと時計師フランソワ-ポール・ジュルヌから賞を授与される大野真。
時計について記事を書く際、つい最上級の賛辞を並べたくなることがある。実際、卓越した時計、驚異的な時計、時計史において重要な意味を持つ時計は数多く存在する。
しかし、〈冬景色〉が見る者に与える感動は、そうした言葉だけでは語り尽くせない。その真価は、大野が自らの意志で積み重ねてきた努力のすべてにある。
複雑機構への果敢な挑戦、独学で習得した部品製造技術、自ら構えた工房、そしてフルタイムの仕事との両立。何より、よりシンプルな構想で妥協することなく、理想を追い求め続けた姿勢こそが、この時計を特別な存在にしている。
F.P.ジュルヌがザ アワーグラスの支援を受けて開催する「ヤング・タレント・コンペティション」は、独立時計師としての道を歩み始める若い時計製作の学生や卒業生を支援するため、2015年に創設された。受賞者には、工具の購入や時計製作プロジェクトの資金として、5万スイスフランの助成金が授与される。
〈冬景色〉を構成する395個の部品。そのひとつひとつには、若き時計師が自らに課した途方もない挑戦の軌跡が刻まれている。
※この記事は2026年5月に作成されたものです。
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