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カール F. ブヘラ、革新を受け継ぐ133年の軌跡

Reference

1888年、ルツェルンの小さなブティックから始まったカール F. ブヘラ。創業者一家の情熱と先見性は、ジュエリーウォッチ、クロノメーター、複雑機構、そして独自のペリフェラル技術へと受け継がれてきた。ブランドの133年にわたる歩みをたどりながら、その革新を支えた精神と故郷ルツェルンへの変わらぬ思いをひも解く。。

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The Legacy of Carl F. Bucherer

カール F. ブヘラ、革新を受け継ぐ133年の軌跡

1888年、ルツェルンの小さなブティックから始まったカール F. ブヘラ。創業者一家の情熱と先見性は、ジュエリーウォッチ、クロノメーター、複雑機構、そして独自のペリフェラル技術へと受け継がれてきた。ブランドの133年にわたる歩みをたどりながら、その革新を支えた精神と故郷ルツェルンへの変わらぬ思いをひも解く。

by Revolution. Sep 3, 2021

情熱と確信

物語は一枚の扉から始まる。その向こうには、ひとりの男と彼を深く愛する妻が立っている。これからその扉を世界へ向けて開き、やがて133年にわたって続く歴史の第一歩を踏み出そうとしているのである。そしてその物語はいまなお続いている。

 彼らの名前は、カール・フリードリッヒ・ブヘラと、その妻ルイーゼ・ブヘラである。ふたりは1888年、スイス・ルツェルンのシュヴァーネンプラッツに時計とジュエリーのブティックを開き、世界的ブランドの礎を築き上げた。

 絵画のように美しいスイスの都市ルツェルンは、スイスの中央に位置し、アルプスに抱かれ、ルツェルン湖のほとりに佇む街である。19世紀後半、ルツェルンは芸術家や王侯貴族にとっての憧れの地となっていた。

 リヒャルト・ワーグナーがオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を完成させた場所である。マーク・トウェインもまたこの地を二度訪れ、たびたび文章に残した。

 さらにスイスの詩人カール・シュピッテラーは人生の最後の30年をここルツェルンで過ごし、神話叙事詩『オリンピアの春』を執筆。この作品により1919年にノーベル文学賞を受賞した。

スイスの中央に位置し、アルプスに抱かれ、ルツェルン湖のほとりに佇むルツェルンは、19世紀後半、王侯貴族や芸術家たちの間で絶大な人気を誇った。

 左:カール・フリードリッヒ・ブヘラとその妻ルイーゼは、1888年にルツェルンでブヘラ初のブティックを開いた。右:カール・フリードリッヒの息子たち、エルンストとカール・エドゥアルト・ブヘラ。

 この時代には数々の象徴的な建築も生まれ、その中には現在もなお威容を保つホテルもある。ホテル王セザール・リッツが、ヨーロッパ随一の優雅さを誇るグランド・ホテル・ナショナルを開業したのである。

 当時のルツェルンの住民やこの街を訪れる人々は、人生を愛し、上質なものを楽しむ術を心得ていた。そしてブティックの扉を初めて開いたその日、カール・フリードリッヒとルイーゼ・ブヘラは、自らが迎え入れようとしている人々を十分に理解していた。

 顧客は一定の財力と教養を備えた人々であり、ゆえに提供すべきはラグジュアリーであり、卓越した品々であった。だが何より重要だったのは、信頼を築き、顧客の変わらぬ支持を得ることだった。

 ブヘラ夫妻の読みは当たり、ブティックは大成功を収め、創業からわずか数年でさらなる店舗展開を考えていたと伝えられている。

 この時点においては時計と高級ジュエリーを扱っていたが、カール・フリードリッヒ自身は腕時計の分野に可能性を見出し、スイスを代表するブランドの販売へと軸足を移していった。

 カール・フリードリッヒの成功を決定づけたのは(経営手腕もあっただろうが)自らの仕事に対する情熱であったのだろう。短期間で顧客の信頼を獲得した理由も、そこにあった。

 その情熱は息子たちにも影響を与えた。エルンストとカール・エドゥアルト・ブヘラは、それぞれ時計師と金細工師の道を歩むこととなったのである。

1920年代、カール・エドゥアルトは妻ヴィルヘルミナ・ブヘラ=ヘープとともに、大西洋を越えて遠く南米チリのサンティアゴへ渡り、事業の発展を図った。

 やがてブヘラ一族は事業に総出で関わっていった。そして1913年、兄弟はスイス国外で初めて、ベルリンのウンター・デン・リンデン47番地に第2号店をオープンした。もっとも、そのベルリンでの展開は長くは続かなかった。1918年、ドイツ革命勃発により、その地を離れざるを得なくなったのだ。

 しかし、彼らはベルリンにいたわずか5年という短期間で、優れた顧客基盤を築き上げていた。当時の顧客たちはルツェルンまで足を運び、ブヘラで買い物を続けたのだ。

パイオニア精神

 兄弟は次なるチャレンジに挑んだ。1919年に製作された、ブヘラ初のオリジナル腕時計である。この時計は“ラ・グラン・ダーム”と名付けられた。

 精緻な多面カットが施された長方形ケースにブレスレットを組み合わせ、ターゲットは女性だった。

 当時、時計の主流は依然として懐中時計であり、自社製のレディス腕時計へ投資するというのは非常に大胆な決断だった。

アイコニックな〈ラ・グラン・ダーム〉は、ブヘラが初めて製作した腕時計である。

  ブヘラ・ファミリーの先見性は群を抜いていた。それからの10年間でスイス時計産業の需要は大きく伸び、1920年代の活況期には約600万本もの時計が輸出された。その相当数が腕時計だった。

 こうして自信を持ったエルンストとカール・エドゥアルト、そしてその妻ヴィルヘルミナ・ブヘラ=ヘープは、大西洋を越えて遠く南米チリのサンティアゴへ赴き、事業のさらなる拡大を図った。

 ヴィルヘルミナは優れた実業家であった。南米滞在中、彼女はチャーミングで自信に満ちた人柄によって、チリに新たな時計愛好家を生み出したと伝えられている。

 しかしながら、1927年、彼女はブエノスアイレスへ向かう蒸気船プリンチペッサ・マファルダ号に乗船中、沈没事故に巻き込まれ、他の314名とともに命を落としてしまった。

 悲しみに包まれたブヘラ兄弟はルツェルンへ戻る。しかし1934年、彼らをさらなる試練が襲った。創業者カール・フリードリッヒ・ブヘラが亡くなったのだ。エルンストとカール・エドゥアルドはもちろん父の死に打ちのめされたが、同時に、残された伝統を受け継ぐのが自分たちの使命であることもよく理解していた。兄弟は互いのノウハウを持ち寄り、ブヘラの時計製作の技術を飛躍的に高めていく。

 1940年代に入ると、ブヘラはより複雑な時計の製作へと踏み出すようになる。顧客層にふさわしく、多くはイエローゴールドの無垢またはメッキを施したものだった。

 第二次世界大戦を経て、腕時計の嗜好にも変化が生じた。人々が自動車やモーターレーシングへ興味を持ち始めたのだ。

 そんな1940年代後半に誕生したのが、センターセコンドを備えた〈バイコンパックス・クロノグラフ〉である。サーモンカラーのダイヤルを備え、ゴールドケースに収められていた。時計は高い人気を博した。

 1951年、ブヘラ一族はカール・エドゥアルトを失う。しかし悲しみに浸る間もなく、時代は進んでいく。航空機の普及によって世界がより身近になるなか、ルツェルンには世界各地から顧客が訪れるようになり、ブヘラはコスモポリタンなブランドへと成長していった。

 こうしたジェットセッターたちの嗜好に応えるべく、同社は2つのリュウズを備えた初のワールドタイマーをゴールドケースで製作した。9時位置のリュウズによって内部の都市リングを調整することができた。時計の精度も引き上げられ、さらに耐磁性や耐衝撃性を高めるなど、頻繁な移動にも耐え得る仕様となった。

1940年代のカール F. ブヘラの工房。

1940年代に製作されたカール F. ブヘラのクロノグラフ。

サーモンカラーのダイヤルとゴールドケースを備えたバイコンパックス・クロノグラフは、1940年代末に開発され、1950年前後に販売が開始された。このクロノグラフは現代の腕時計の先駆けとなる存在であり、新作〈ヘリテージ バイコンパックス アニュアル〉の着想源ともなっている。

1950年代、同社はゴールドケースを採用した初のワールドタイマーを製作した。これは二つのリュウズを備え、9時位置に配されたもう一方のリュウズによって、内部の都市リングを調整できる構造となっていた。

 1950年代には自動巻き機械式時計が時計の主流となりつつあった。カール F. ブヘラはその機運を捉え、より高い創造性を追求した。

 ブヘラの職人たちは、卓越したセンスを発揮し、ブローチやネックレス、リングに時計を組み込んだユニークな作品を次々と生み出していった。

 1960年代に入ると、1950年代に確立された高い精度を生かし、ブヘラは多くの時計でクロノメーターを取得、その表記をダイヤルに掲げた。

 またクレドスSAを買収し、製造能力を拡大した。その結果、ブヘラは当時のスイスにおいてクロノメーター製造でトップ3に入る規模へと成長したのである。

1960年代、ブヘラは高精度クロノメーターの製造に特化していた。

新たな世代

 創業者カール・フリードリッヒ・ブヘラは情熱と顧客からの信頼で事業を築き上げた。ブヘラ社はいつも、新たな技術を積極的に取り入れつつ、創業の精神を守り続けることこそが、時代を乗り越える唯一の道であると信じていた。

 困難な時代には、新たな発想が求められる。1977年、カール・エドゥアルトの息子であるヨルク・G・ブヘラがファミリー企業の舵取りを担うこととなった。彼は、企業の価値を維持しながら新時代に対応する方法として、高い品質の機械式とクォーツの両方を自社製造する方針を打ち出した。

 ヨルク・Gの指揮のもとで発表されたのが、〈アルキメデス パーペチュアルカレンダー〉である。この時計は、日付調整が400年に一度で済むという驚くべき機構を持っていた。

 しかし同社の成果は複雑機構にとどまらない。精緻に仕上げられた長方形ケースの側面を伸びやかに延長したゴールド製の〈アルキメデス〉もまた、スタイルとエレガンスを追求して製作されたモデルであった。この時計は、ケース下部にスモールセコンド、上部にミニッツダイヤルを配し、12時位置にはジャンピング式のデジタルアワー表示を備えている。

ヨルク・G・ブヘラは1977年に同社のトップに就任した。

ブヘラの〈アルキメデス〉腕時計。

 21世紀の幕開け、正確には2001年、ヨルク・G・ブヘラは、この企業が祖父の情熱と精神に深く根ざしていることをあらためて見つめ直し、ブランドは創業者の名を冠すべきだと判断した。

 それを象徴するのが、2008年に開発・製造されたCFB A1000ムーブメントである。この頃には、腕時計は単なる実用品ではなく、こだわりと思い入れによって選ばれるものへと変わりつつあった。

 こうした時代背景のもと、カール F. ブヘラは、世界で初めて量産化されたペリフェラルローターを搭載したムーブメントを完成させた。回転錘がムーブメントの外周を回る特許機構で、自動巻きでありながら、サファイアケースバック越しにムーブメント全体を見ることができる。

 このCFB A1000のアイデアは、その後COSC認定を受けたCFB A2000によってさらに磨き上げられる。ペリフェラルローター機構は、マニュファクチュールとしてのカール F. ブヘラの象徴となった。

 そして2018年には、限定モデル〈ヘリテージ トゥールビヨン ダブルペリフェラル〉が発表される。自社開発・製造のキャリバーCFB T3000を搭載し、トゥールビヨンと自動巻き機構の双方を外周に配置した意欲作である。

 この時計の魅力は、ペリフェラルローターによって巻き上げられ、外周で駆動するトゥールビヨンが、まるで宙に浮かぶ心臓のように鼓動して見える点にある。さらにCOSC認定クロノメーターであり、ストップセコンド機構も備えるなど、実用面でも高い完成度を誇っている。

回転錘がムーブメントの外周を周回する、世界初の量産型ペリフェラルローターを搭載した〈CFB A1000〉ムーブメント。

2018年、ブランドは限定モデルの〈ヘリテージ トゥールビヨン ダブルペリフェラル〉を発表し、ペリフェラル技術をさらに発展させた。

自社製キャリバーCFB T3000は、トゥールビヨンと自動巻き機構の双方を外周配置としている。

 革新は重要である。しかしそれは過去を犠牲にして成り立つものではない。〈ヘリテージ トゥールビヨン ダブルペリフェラル〉は極めて現代的な作品でありながら、同時にしっかりと伝統に根ざしている。

 サファイアケースバック越しに見ることができる18Kホワイトゴールド製のブリッジには、ルツェルンの街並みが精緻な彫刻で描かれている。これはカール F. ブヘラの故郷へのオマージュである。さらにルツェルン湖の描写には白鳥が配されているが、その位置は限定88本それぞれで異なっており、一本ごとの個性を際立たせる細やかな工夫となっている。

 ここで〈ヘリテージ〉コレクションについて簡単に触れておきたい。カール F. ブヘラのヘリテージコレクションは、“メゾン&ヘリテージ”というコンセプトのもとに位置づけられている。

 これは現代的な技術と、創業以来ブランドを支えてきたクラフツマンシップの融合を示している。“メゾン”は、同社独自のペリフェラル技術を指し、“ヘリテージ”は、130年以上にわたる歴史を意味する。

 それはブランドが掲げる“メイド・オブ・ルツェルン”という理念を象徴している。それぞれの時計は、ブランドの価値観を映し出す鏡であり、故郷への深い思いを表しているのだ。

ホワイトゴールド製〈ヘリテージ トゥールビヨン ダブルペリフェラル〉

ケースバックにはルツェルンの街並みが精緻に彫刻されている。これはカール F. ブヘラの故郷へのオマージュである。

 先進的な時計製造に加え、ブヘラは伝統を常に中心に据え、自らのルーツから着想を得る。その好例が〈ヘリテージ バイコンパックス アニュアル〉である。これはエルンストおよびカール・エドゥアルト・ブヘラの時代に製作された同名モデルにインスピレーションを得ている。

 2019年のバーゼルワールドで発表されたヘリテージ バイコンパックス アニュアルは、当初、直径41mmのステンレススティールモデルと、ステンレススティールと18Kローズゴールドを組み合わせたバイカラーモデルで展開された。

 オールスティール仕様にはブラックのサブダイヤルを備えたシルバーダイヤルが与えられ、バイカラーモデルには、ミッドセンチュリーのオリジナルを思わせるローズ&シャンパンカラーのダイヤルが採用された。

 2021年のウォッチズ&ワンダーズでは、新たにブラックダイヤルにシルバーカラーのサブダイヤルを組み合わせたスティールモデルが発表されている。

 もっとも、伝統への回帰は、現代技術を妨げるものではない。ヘリテージ バイコンパックス アニュアルには、キャリバーCFB 1972が搭載されており、堅牢な自動巻き機構に加え、アニュアルカレンダー機能を備えている。

 ダイヤル上では、12時位置のビッグデイト表示と、4時と5時のインデックスの間に配された月表示によって、その機能が表現されている。これらすべてのモデルは、それぞれ888本の限定生産となっている。

 さらに〈マネロ ミニッツリピーター シンフォニー〉も発表された。これはおそらく、ブヘラの時計製造におけるひとつの到達点といえるモデルである。ペリフェラル自動巻き機構、フローティング・ペリフェラル・トゥールビヨンに加え、第三のペリフェラル機構=ミニッツリピーターの調速機を備えている。

 この三つを外周に配置するのは時計史上初の試みであり、キャリバーCFB MR3000は“トリプル・ペリフェラル”と呼ばれる。カール F. ブヘラはこの機構について特許を申請している。

2019年に登場したこのバイカラー仕様の〈ヘリテージ バイコンパックス アニュアル〉は、着想源となった1956年のモデルを思わせるローズ&シャンパンカラーのダイヤルを備えている。

2021年のウォッチズ&ワンダーズにおいて、カール F. ブヘラは人気モデル〈ヘリテージ バイコンパックス アニュアル〉の新たなコントラスト仕様を発表した。今回は、シルバーダイヤルにブラックのサブダイヤルを組み合わせたスティールモデルである。

ブラックダイヤルにシルバーカラーのサブダイヤルを備えたスティール製の〈ヘリテージ バイコンパックス アニュアル〉

〈マネロ ミニッツリピーター シンフォニー〉は、カール F. ブヘラ独自のペリフェラル自動巻き機構、フローティング・ペリフェラル・トゥールビヨンに加え、第三のペリフェラル機構=ミニッツリピーターも備えている。COSC認定のキャリバーCFB MR3000は、“トリプル・ペリフェラル”と呼ばれる。

  1888年、カール・フリードリッヒとルイーゼ・ブヘラがブティックの扉を開いたその日から、情熱、信頼、確信、そして先見性が、現代までカール F. ブヘラにも受け継がれてきた。ブヘラがこれを守り続ける限り、その未来は明るいといえるだろう。

 現在、カール F. ブヘラは世界400以上の販売拠点を展開する国際的ブランドへと成長している。その根底にあるのは、創業者の開拓者精神と、故郷ルツェルンが持つコスモポリタンな気質である。

 同社は今なお創業家によって完全に経営される、唯一のファミリーオーナー制スイス時計マニュファクチュールである。 20世紀初頭からブヘラ一族は世界を舞台に活動し、ブランドは国際的に拡大していったが、その一方でスイスの中心にある祖国への忠誠を決して失うことはなかったのである。

Brands:Carl F.Bucherer

※この記事は2021年9月に作成されたものです。

 

Brand:Carl F.Bucherer, Rolex
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