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ピエール・ジャック──スイス時計界の陰のキーパーソン

Interviews

深い見識と揺るぎない存在感を備えたリーダー、ピエール・ジャック。ドゥ・ベトゥーンCEO就任当初の苦労話、そしてThe 1916 Companyとのパートナーシップを選んだ理由について語ってくれた。

Interview

Pierre Jacques: The Silent Force of the Swiss Watch Industry

ピエール・ジャック──スイス時計界の陰のキーパーソン

深い見識と揺るぎない存在感を備えたリーダー、ピエール・ジャック。ドゥ・ベトゥーンCEO就任当初の苦労話、そしてThe 1916 Companyとのパートナーシップを選んだ理由について語ってくれた。

by Wei Koh . May 30, 2024

ドゥ・ベトゥーンを成功へ導く

 私はスイス時計業界にすべてを負っている。生計の糧も、情熱も、そして友人の大半も、この業界から与えられたものだ。高級時計業界に身を置いてほぼ四半世紀の間、今日の時計業界を形作るうえで静かに、しかし決定的な役割を果たしてきた人々を見てきた。

 そのなかには、289 Consulting(スイス・ヴォー州を拠点とする高級時計業界専門のPR・コミュニケーション会社)のマリン・ルモニエ=ブレナンや、ブルガリのカトリーヌ・エベルレ=ドゥヴォーといったコミュニケーション/PRの重鎮たちがいる。

 また現在タグ・ホイヤーでムーブメントディレクターを務める技術の天才キャロル・フォレスティエ=カサピ、そしてConcepto(スイス・ラ・ショー=ド=フォンに本拠を置く独立系ムーブメントメーカー)の創業者兼オーナーであるムーブメント開発の鬼才ヴァレリアン・ジャケもその一人だ。

 その中で、私がとりわけ感銘を受けている人物が、友人のピエール・ジャックである。

 時計業界での四半世紀に及ぶキャリアのなかで、ジャックは実にさまざまな役割を担ってきた。

ピエール・ジャック近影。

  まずジャックは、ブリス・ルシュヴァリエとともに『GMT』誌を創刊した。これは私が創刊した『Revolution』よりも実に5年早く誕生した、高級時計専門誌の先駆けともいえる存在だ。その後、彼は時計業界におけるアカデミー賞とも称されるジュネーブ時計グランプリ(GPHG)のディレクターに就任する。

 さらに、ジュネーブの名門時計販売店 Les Ambassadeurs のマネージャーを務めたのち、2011年、ついに彼の天職ともいえる役割――ドゥ・ベトゥーンのCEOに就任した。

 そこで彼が果たした役割は極めて大きかった。天才時計師デニス・フラジョレの奔放で尽きることのないクリエイティビティを、一般の顧客にも理解できる“物語”に仕立て直したのだ。

〈DB28 デジタル〉は、ジャンピングアワーをデジタル表示、分をアナログ表示、そしてムーンフェイズを球体表示によって示す複合表示機構を備えている。表面は手作業によるバーリーコーン(麦穂)模様のギヨシェ彫り。ケースバックからは、手巻きムーブメントのキャリバーDB2144を鑑賞することができる

  彼らの出会いから生まれた〈DB28〉は、フラジョレの独創性と才能を体現する、まさに理想的な器となった。

 このモデルには、文字盤側に配された独自設計のテンプや立体的なムーンフェイズ表示をはじめ、可動式ラグ、そして鏡面仕上げを施したグレード5チタン製ケースなど、彼を象徴するすべてが盛り込まれていた。

〈DB28〉シリーズは、ブランドを象徴する数々の革新技術の塊である。シリコン製テンプにプラチナ製リングを組み合わせた文字盤側配置のテンプ、自社製ヒゲゼンマイとその特許取得済みの終端曲線、さらにトリプル・パラシュート耐震システムなどが代表例だ。

  さらに重要なのは、これがジャックによるブランド戦略の第一歩だったということだ。彼はドゥ・ベトゥーンの物語を二つの明確な章に整理した。ひとつは〈DB28〉によってデニス・フラジョレの前衛的な創造性を表現する章、そしてもうひとつは〈DB25〉によって伝統的な時計製作への愛情を語る章である。

 ジャックが入社して約1年後、ドゥ・ベトゥーンは傑作〈DB28〉によって、GPHGの最高賞である“金の針賞(Aiguille d’Or)”を受賞した。同時にジャックは世界各地を飛び回り、ブランド独自の価値観と息をのむような時計製作の美しさを顧客に直接伝えることで、ドゥ・ベトゥーンに商業的成功をもたらした。

〈DB28〉は2011年のGPHGにおいて、最高栄誉である“金の針賞(Aiguille d’Or)”に輝いた。 

 ドゥ・ベトゥーンは強い追い風を受け、ブランドは批評面でも商業面でも成功を収めるようになった。その後の10年間で、ジャックは営業・事業開発責任者のヨルグ・ヒーゼック・ジュニア、PR・コミュニケーション責任者のウルドゥーズ・ナディリらとともに、ドゥ・ベトゥーンを独立系時計製造の世界における、真に創造的で独創的なブランドに育て上げた。

 2021年5月、私はドゥ・ベトゥーンがまもなく新世代の顧客と強く共鳴するだろうという確信を抱き、「The Next Big Thing(次なる大本命)」と題した記事を書いた。ところが驚いたことに、その年の9月、二次流通市場の時計ビジネスに革命をもたらしたWatchBox(現The 1916 Company、米国の高級時計リテーラー)が、ドゥ・ベトゥーンの過半数株式を取得したことが発表された。

 この提携を疑問視した人々もいたが、結果として、それは誤りだった。この新たな関係によって、ドゥ・ベトゥーンはかつてないほど有名になり、その創造性をさらに高い次元へ押し上げたのである。そのすべての過程において(他ブランドを経営をするために一時的に離れていた2年間を除き)ピエール・ジャックは見事な手腕でドゥ・ベトゥーンを導いてきた。

 今回、彼と腰を据えて話を聞く機会を得たことは、私にとって大きな喜びだった。以下のインタビューを通じて、彼のキャリアの軌跡をたどるとともに、私がドゥ・ベトゥーンとスイス時計業界に対する彼の貢献をいかに大きなものと考えているか、その一端を感じ取っていただければ幸いである。

始まりはトイレの広告

──学生時代にはすでに成功した起業家だったそうですね。その頃のお話を聞かせてください。

「母はとても自由な精神の持ち主でした。10代の子どもたちをロックコンサートへ連れて行ってくれるような人でしたね。ただ、家庭の経済状況は決して安定していませんでした。ですから私は早い段階から、自立することを学ばなければなりませんでした。最初の事業を始めたのは大学1年生のときです。スイスの大学生には全員に、利用できる社会サービスや年間行事などをまとめた分厚いガイドブックが配布されます。私はそのガイドブックに広告を載せることを考えました。それは広告主にとっては理想的な媒体でした。なぜなら、誰に向けて広告を出しているのかが明確だからです。スイス中の大学生全員にブランドを訴求できるのです。しかし、その仕事は年に一度しかありません。私は早くから、人は自分の力で生きていくしかないと学びました。私の場合、それは純粋に必要に迫られてのことでした。同級生たちは親の援助を受けていましたが、私の学費は100%自己負担だったのです。ある日、男性用トイレに立っているとき、自分の視線が自然と正面の壁に向いていることに気づきました。そして思ったのです。『公衆トイレの壁に広告を出したらどうだろう?』と。トイレは誰もが必ず利用する場所です。これが私にとって最初の成功となりました。男性用トイレの目線の高さに広告を掲示する額縁を考案したのです。私はそれを広告主に対し、『ページをめくって飛ばされることのない、最初の広告ページ』として売り込みました。やがてその広告はレストラン、映画館、ホテルなどスイス中に広がり、Club MedやUBSが主要な広告主となりました。この事業は修士課程を修了するまで続けました」

──時計業界初の大型判グロッシーマガジン『GMT』を創刊されました。その経緯を教えてください。

「2000年3月、私はビジネスパートナーであり親友でもあるブリス・ルシュヴァリエとともに、『GMT(Great Magazine of Timepieces)』を創刊しました。これは時計とライフスタイルをテーマにした先駆的な雑誌でした。私たちは他誌と差別化できるよう、コーヒーテーブルブックのような大型判を採用することを思いつきました。ブリスとは、彼がClub Medで広告・コミュニケーションを担当していた頃に知り合いました。私たちはすぐに親しい友人になったのです。そこで大型雑誌を作るアイデアが生まれたとき、私は彼に電話をかけ、パートナーにならないかと提案しました。私は出版と広告営業を担当し、彼は編集全般を担うという役割分担です。創刊号から黒字化に成功しました。同時に、当時は非常に保守的だった時計業界にライフスタイルや楽しさの要素を持ち込み、ブランドがより幅広い層とつながる手助けをしていたのです。ブリスも私も出版に関する教育や経験はありませんでした。すべて現場で学んだのです。私たちはただ、エネルギーと希望に満ちた若者でした。試作版を携えてパテック フィリップやロレックスを訪ねたことを覚えています。プレゼンテーションを終えると、彼らはこう言いました。『よし、君たちに賭けてみよう』。私は今でも、スイス時計業界の王者ともいうべき彼らに深く感謝しています」

──デニス・フラジョレとダヴィッド・ザネッタ、ドゥ・ベトゥーンの共同創業者たちとはどのように知り合ったのですか?

「私が最初にデニス・フラジョレとダヴィッド・ザネッタに出会ったのは、二人がルロワで働いていた頃でした。私は以前から、時計製作の歴史に対するデニスの深い愛情と探究心に魅了されていました。ですから、二人が2002年にドゥ・ベトゥーンを創業したとき、私はすぐに彼らを支援したいと思いました。そこに金銭的な見返りはまったくありませんでしたが、それでも応援したかったのです。そして2007年、私たちはGMTをスイスの出版社エディプレスへ売却しました」

▲  左から、デニス・フラジョレ、ダヴィッド・ザネッタ、ピエール・ジャック(Source: La Cote des Montres)

 「その後も私は2年間にわたり、事業の移行を支援しました。同時に、GPHGの運営責任者も務めていました。その後、私はスイスの高級時計小売店レ・ザンバサドゥールへ移りました。ちょうどその頃、ダヴィッド・ザネッタからドゥ・ベトゥーンのCEOとして加わらないかという誘いを受けました。しかし私はそれを断らざるを得ませんでした。すでにレ・ザンバサドゥールへの就任を決めており、その仕事に100%のエネルギーを注ぎたかったからです。あまりに早く次の仕事へ移ることはしたくありませんでした。当時のダヴィッドは、すでに何十年にもわたって時計業界で活躍していました。彼はおそらく、新しい視点と豊富なエネルギーを持つ人物にブランド経営を託したいと考えていたのでしょう。私にとっては難しい決断でした。というのも、私はすでにドゥ・ベトゥーンを心から愛するようになっていたからです。このブランドは完全に独自の美学を備え、現代時計製作における重要な技術革新を生み出していました。しかし、それを理解している人はごくわずかだったのです」

──最終的にドゥ・ベトゥーンのCEO就任を決意した理由は何だったのでしょうか?

「その後も私はレ・ザンバサドゥールで働き続けましたが、自分が大好きだった人との交流から切り離されているように感じていました。私の仕事は販売チームを管理することでした。しかし本当は売り場に立ちたかったのです。とはいえ、自分が販売に直接関わればチームの売上機会を奪うことになりかねないので、そうすることもできませんでした。あるとき、自分の将来の姿を思い描いてみたのです。そこには、とても快適な人生がありました。しかし、それは挑戦に満ちた人生ではなく、起業家精神を発揮できる人生でもありませんでした。そこで私は考えました。『私はまだ若い。本当に何か永続的な影響を残したいのなら、あるいは本当の変化を生み出したいのなら、今決断しなければならない』と。そして数日後、私はドゥ・ベトゥーンに電話をかけ、新たなCEOとしての就任を受け入れたのです」

 危機を乗り越えて

 ──入社から数週間後、いきなり大きな危機に直面したそうですね。そのときのことを教えてください。

「私は2011年1月にCEOとしてドゥ・ベトゥーンへ入社しました。そして3月15日、経理部門から電話がありました。『ピエール、大変なことになった。今月の給与を支払うだけの資金がない』。当時、ドゥ・ベトゥーンには複数の株主がおり、従業員は約30人いました。彼らに『今月は給料を支払えない』と伝える状況を想像したのです。しかし私は、そんなことは絶対に起こさせないと決意しました。そこでデニス・フラジョレのもとへ行き、こう尋ねました。『在庫には何がある? ムーブメントでもケースでも何でもいい。できるだけ早く組み立てられる時計は何本ある?』。最終的に、約20本の時計を完成させられることが分かりました。私はすぐに電話を取り、自分のネットワークのなかでも最も重要な顧客に連絡しました。『1カ月ほどで20本の時計を納品できる。ただし、今すぐ50万スイスフランが必要だ』。私はそう伝え、自分の言葉だけを担保に約束しました。スイス時計業界は、こうした信頼関係によって成り立っている世界です。すると彼は承諾し、すぐに資金を送ってくれました。この業界では、どのような人間関係を築いてきたかがすべてを左右するのです。彼とは今でも友人関係が続いています。その50万スイスフランこそが、この美しいブランドのエンジンを再始動させ、正しい方向へ押し出すための原資となりました。面白いことに、この危機以前の私はCEOという役職にどこか居心地の悪さを感じていました。1月と2月の私は、『CEOならこうするだろう』などと考えながら、まるでCEOを演じているような感じだったのです。しかし会社の倒産や破綻という現実的な危機に直面し、それを乗り越えたとき、私は初めてこう思いました。『自分は本当にCEOなのだ』と。振り返れば、ドゥ・ベトゥーンの創業者たちは私に贈り物をしてくれたのかもしれません。あるいはリーダーシップの教訓でしょうか。会社でのキャリアのごく初期に、大きな危機と向き合う機会を与えてくれたのですから。入社当初、マニュファクチュールのスタッフの多くは、『この男は一体何をしに来たんだ?』という目で私を見ていました。しかし私が何を成し遂げたのかを理解すると、彼らは私を本当の仲間として受け入れてくれるようになりました。2010年、ドゥ・ベトゥーンの年間生産本数は65本でした。しかし2013年から2014年には、年間約400本にまで増加したのです」

──あなたが入社する前、なぜドゥ・ベトゥーンは苦境に陥っていたのでしょうか? 

「理由は単純です。顧客との関係を担う人がいなかったからです。デニス・フラジョレは創造の天才です。しかし彼が最も居心地がいいと感じる場所は、サント・クロワの工房です。彼はいつもこう言っています。『私は時計師だ。作業台の前にいるべき人間なんだ』。私がデニスについて心から尊敬していたのは、彼が常に最高を追求していたことです。品質であれ性能であれ、常に次のレベルへ到達しようと挑戦し続けていました」

時計師デニス・フラジョレ。

 「一方で、ダヴィッド・ザネッタは人に会ったり、各地を飛び回ったりすることをあまり好みませんでした。仮に顧客や取引先と会ったとしても、相手がブランドをすぐに理解してくれないと、苛立ちを覚えることがありました。そして時には会議の途中で席を立ったり、その場を去ってしまったりすることさえあったのです。当時のドゥ・ベトゥーンは、ある意味であまりにも純粋すぎました。つまり、創作活動に深く没頭していた一方で、明確な商業戦略を欠いていたのです」

──ドゥ・ベトゥーンを立て直すために、どのような計画を立て、それを実行したのでしょうか?

「私が取り組んだのは、ブランドの方向性を明確にすることでした。私が入社した時点で、ドゥ・ベトゥーンはすでに10年にわたり、〈ドリームウォッチ〉や〈DBS〉、〈DB21〉をはじめとする数々の驚異的な時計を生み出していました。しかし、その数があまりにも多かったのです。リファレンスが多すぎたため、ドゥ・ベトゥーンとは何をするブランドなのか、そのアイデンティティが曖昧になっていました。ブランドというものは、理解しやすくなければなりません」

〈ドリームウォッチ 5 トゥールビヨン“シーズン1”〉。サファイアクリスタルとブルーチタンを組み合わせた、ドゥ・ベトゥーンを代表する前衛的なタイムピース。10本限定。

「私は少しもどかしさを感じていました。デニス・フラジョレはフランソワ=ポール・ジュルヌと並び立つほどの存在だと確信していたにもかかわらず、知名度ははるかに低かったからです。しかし私にとって、彼は間違いなくその特別なクラブの一員であるべき人物でした。その理由のひとつは、ブランド名が彼自身の名前ではなかったことです。また彼は常に、自ら語るよりも時計そのものに語らせることを好んできました。重要だったのは、時計が明確なストーリーを語り、彼のユニークさを表し、顧客がブランドをより理解しやすくすることでした。私は、誰もが理解でき、なおかつデニスの驚異的な創造力を示すことのできる時計を作らなければならないと考えました。それが〈DB28〉です。少し冗談めかして言えば、ギュンター・ブリュームラインはかつてバルジュー/ETA 7750のエボーシュをベースにしたグランドコンプリケーションを開発し、それを“イル・デストリエロ・スカフージア”、すなわち“シャフハウゼンの軍馬”と呼びました。ならば私たちには“サント・クロワの軍馬”が必要だ――それが〈DB28〉だったのです」

──なぜこの時計は2011年のGPHG最高賞“金の針賞(Aiguille d’Or)”を受賞したのでしょうか?

「まず時計を目にした瞬間、そのユニークさに心を奪われます。ムーブメントを文字盤側に配置し、フレキシブルなフローティングラグを備え、ケースは全面が鏡面仕上げのグレード5チタン製です。これほどまでに独創的な時計は他にありません。さらに目を凝らすと、2つの香箱を支えるドゥ・ベトゥーンの象徴であるデルタ型ブリッジ、自社製テンプが文字盤下部で脈動する姿、そしてそのすぐ下には、パラジウムとブルースチールを用いて手作業で製作されたブランドを象徴する立体的なムーンフェイズ表示が見えてきます」

〈DB28〉はチタン製ケースを採用し、手巻きキャリバーDB2115を搭載していた。

「さらに、デニスを象徴するもう二つの重要な技術――独自の終端曲線を備えたドゥ・ベトゥーン独自のヒゲゼンマイと、トリプル・パラシュート耐震システムを加えて、デニスの卓越した才能を誰にでも分かりやすく伝えることのできるショーケースが完成したのです。そして、ついに理想の時計が完成したとき、私はこう確信しました。『この時計を携え、知り合いのいる世界中のあらゆる場所へ行かなければならない』と」

会社売却―新たな挑戦

──デニス・フラジョレとは、どのように役割分担をしているのですか?

「なぜ時計業界を代表する名門ブランドの多くが、ジャガー・ルクルトやヴァシュロン・コンスタンタンのように二人の名前を冠しているのでしょうか。それは、ブランドが二人の人物によって成り立っていたからです。ひとりは技術的天才。そしてもうひとりは世界中を旅し、顧客と会い、時計の価値を伝える人物です。デニスは前者でした。そして私は、自分が後者になるために生まれてきたのだと分かっていたのです」

左からピエール・ジャックとデニス・フラジョレ。

「私たちは15年間にわたってパートナーとして肩を並べて仕事をしてきました。ほとんど夫婦のような関係ですね(笑)。もちろん冗談ですが、結婚と同じで最も大切なのは、お互いを信頼していることです」

──1916(旧WatchBox)に経営権の過半を売却するというアイデアは、どのように生まれたのでしょうか?

「コロナのパンデミックが始まった頃、私たちも皆と同じように大きな不安を抱えていました。デニスと私は会社の株主ですが、それに加えて15人の株主がいました。こうした状況は管理が難しく、とりわけ私たちはコロナによって先行きが極めて不透明になると考えていたのでなおさらでした。彼らは皆いい人たちでした。しかし時計業界の人間ではなかったため、しょっちゅう電話をかけてきては、あれこれと経営について提案してくるのです」

1916コミュニティイベントで披露されたドゥ・ベトゥーンの新作群。

「パンデミックの初期には、実際に不安を感じている株主もいました。そこで私たちは、15人の個別株主を抱えるよりも、強力な戦略的優位性を持つ単一の株主を迎えるべきだと考えたのです。そのときに出会ったのがWatchBoxでした。私は、彼らが独立系時計ブランド市場の支援のために行ってきたことや、二次流通市場の価値向上に果たした役割に深く感銘を受けました。彼らは実際に多くの小規模ブランドを支援してきましたし、非常に情熱的な人々によって運営されています。そこで私たちは、15人の株主が保有していた持ち分をWatchBoxが引き継ぐという形で取引をまとめました。ですから確かに、彼らは現在ドゥ・ベトゥーンの筆頭株主です。しかし、会社全体を売却したわけではありません。デニスと私は今も株主であり続けています。WatchBox、現在の1916は、その他の15人が保有していた持ち分を取得したのです。私たちは非常に良いチームとして協力していますし、彼らはブランド認知の拡大にも大きく貢献してくれています。例えば、あなたも出演したデニスのドキュメンタリー映画『Seeking Perfect』は意義深いプロジェクトでしたし、ドゥ・ベトゥーン創業20周年を記念して制作された美しいアスリーンの書籍もそうです」

──現在のドゥ・ベトゥーンの経営体制について教えてください。

「現在のドゥ・ベトゥーンは三頭体制によって率いられています。創業者であり時計製造の天才であるデニス、CEOである私、そしてエグゼクティブ・チェアマンであるジャスティン・ライスです。ジャスティンの役割は、国際的なビジネス経験を生かして、私たちが正しい方向へ成長できるよう支援することです。彼はすでにロサンゼルス、ニューヨーク、香港に素晴らしい“ドゥ・ベトゥーン・ハウス”を開設しました。現在はサウジアラビアでのショールーム開設にも取り組んでいます。彼は米国を拠点としており、とりわけアメリカ市場の発展に注力しています。また、彼はスウィズ・ビーツ、トミー・ポール、ウェス・ラングといった著名な顧客とも密接に関わっています。私たちの共通の目標は、今後5年で年間生産本数を600本規模まで引き上げることです。現在は自社ブティックも展開しています。ただ、それ以上大きく成長したいかというと分かりません。私たちは最高水準の仕上げを維持したいと考えており、品質を保つためには規模にも限界があるからです。エントリーレベルのモデルを用意することも重要ですが、一方で、今年発表した〈カインド・オブ・グランド・コンプリケーション〉のようなハイコンプリケーションやグランドコンプリケーションの分野でも成長していきたいと考えています」

──販売パートナーとの関係についてはいかがですか。

「私たちは小売パートナーとの協業を非常に重視しています。東南アジアのマイケル・タイや、中東のセディキ家のような方々と仕事をするのが大好きです。彼らは本当に優れたブランドビルダーです。また、ニューヨークのレオン・アダムス、モナコのアート・イン・タイムをはじめ、素晴らしいパートナーは他にもいます。私はもともと小売業界の出身です。そのため、小売店が果たす役割を心から信じています」

左:ザ・アワーグラス グループ・マネージング・ディレクターのマイケル・テイ 右:セディキ・ホールディングのチーフ・コマーシャル・オフィサー、モハメド・アブドゥルマジード・セディキ。

 ──ドゥ・ベトゥーンで、まだ実現していないことは何でしょうか?

「もちろん、まだ手がけていないものがひとつあります。それはミニッツリピーターです。しかしデニスは、このプロジェクトを急いで進めるつもりはありません。彼は『もし自分が鳴り物時計を作るのであれば、そのカテゴリーに新たな基準をもたらすものでなければならない』と言っています。ですから、その時計は私たちが本当に準備が整ったときに発表することになるでしょう」

Brands:De Bethune

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