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パテック フィリップ試作時計“コブラ”―リニアの美学

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リニア表示は、21世紀になって突如現れたアイデアではない。その原点は、1958年にパテック フィリップが極秘裏に製作した一本の試作時計「Inv.P-110」にある。“コブラ”の愛称で知られるこの異形の時計は、ルイ・コティエとギルベール・アルベールという二人の天才が生み出した、あまりにも早すぎた傑作だった。ウルベルク〈UR-CC1 キングコブラ〉やHYTへと続くリニア表示の系譜を、その知られざる起源から読み解く。。

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Linear Progression: The Patek Philippe Inv.P-110

パテック フィリップ試作時計“コブラ”―リニアの美学

リニア表示は、21世紀になって突如現れたアイデアではない。その原点は、1958年にパテック フィリップが極秘裏に製作した一本の試作時計「Inv.P-110」にある。“コブラ”の愛称で知られるこの異形の時計は、ルイ・コティエとギルベール・アルベールという二人の天才が生み出した、あまりにも早すぎた傑作だった。ウルベルク〈UR-CC1 キングコブラ〉やHYTへと続くリニア表示の系譜を、その知られざる起源から読み解く。

by Adrian Hailwood.Apr 14, 2020

未来的だったリニア表示

 情報をリニア(直線的)に表示するという発想は、今日ではスイスの独立系ブランド、ウルベルクをはじめ、広く使われるスタイルのひとつだ。しかし、その源流は、今ではほとんど忘れ去られたパテック フィリップ“コブラ”Inv.P-110にまで遡ることができる。

 あるデザインが古さと新しさを同時に感じさせるとき、それを表現する言葉がある。“レトロフューチャー”である。 それは単なる懐古趣味ではない。過去の人々が思い描いた未来の姿、言い換えれば「未来に対するノスタルジア」とも呼べる感覚だ。

 歴史を振り返ると、20世紀半ばの人々は、ロータリー式よりリニア式のほうが“未来的”だと考えたようだ。

 1950年代から1970年代にかけて、自動車メーカーはダッシュボードにリニア式スピードメーターを採用し、先進的なイメージをアピールした。

 方式にはさまざまなバリエーションが存在した。もっとも一般的だったのは、水平に配置された目盛りの上を指針が扇状に移動するタイプである。完全な直線運動ではないため、やや“ごまかし”とも言えたが、安価で広く普及した。

 一方、1954年のダイムラー・ベンツは、指針そのものが目盛りに沿って左右へ移動する、より純粋なリニア表示を実現している。

 そして究極のリニア表示と言えるのが、速度に応じてバーが伸びていく方式である。これは1961年のビュイック〈エレクトラ〉や、1966年のリンカーン〈コンチネンタル〉などで見ることができた。まるで計器の中を光の帯が走るかのようで、当時の人々が思い描いた未来そのものだった。

1961年式ビュイック〈エレクトラ〉に採用されたリニア式スピードメーター(Photo: Mecum Auctions)

 時計メーカーもリニア表示に挑戦してきた。しかし、それはスピードメーターを設計するよりもはるかに難しかった。なぜならスピードメーターは本質的にゼロから始まり、再びゼロへ戻るのに対し、時計は常に前進し続ける時間の流れを表現しなければならないからだ。

 そのため、リニア表示を時計で実現しようとすると、表示が終点に達した瞬間に起点へ戻る“レトログラード機構”が必要になる。

 時計界における、“安価で実用的なリニア式スピードメーター”に相当する存在が登場したのは1970年代だった。その代表例として挙げられるのが、1972年に発表されたLIP〈セクトラ〉である。 この時計はレトログラード式の時表示と分表示を採用し、さらに文字盤上部の小窓に日付表示を備えていた。

 しかし、この表示方式には欠点があった。目盛りの中央部分に数字が密集して配置されており、視認性が悪かったのである。時間表示が均等ではなく、スケール上の数字が偏っていた。つまり、コンセプトとしては未来的だったものの、実用面では必ずしも理想的とは言えなかったのだ。

LIP〈セクトラ〉。1972年に登場したこのモデルは、レトログラード表示を用いてリニア表示を試みた意欲作として知られている(Photo: crazywatches.pl)

HYTとウルベルク

 ビュイックやリンカーンのリニア式スピードメーターと同じ時刻表示を実現するのは容易ではない。 その難題に挑んだ近年の代表例として挙げられるのが、HYTとウルベルクである。

 HYTの場合、時間表示そのものがチューブ内を移動する着色液体によって行われるため、リニア表示との相性は理想的と言える。 2015年に発表されたHYT〈H3〉では、短い直線状のチューブを用い、巧妙なジャンピングアワー機構が組み込まれた。

 目盛りは四角柱状のロッドに設けられており、各面には6時間分の表示が刻まれている。4面を合わせることで24時間表示となっている。インジケーターの液体が達しているところが現在の時刻である。液体がチューブの端まで到達すると、瞬時に左端へ戻る。同時にロッドが回転し、次の6時間分の数字が現れる。

 こうしてHYT〈H3〉は、液体による極めてユニークな方法で24時間表示を実現したのである。

HYT〈H3〉は、時表示と分表示の両方にリニア表示を採用した極めて独創的なモデルである。

 HYTが登場する以前、真の意味でリニア表示の時計を製造していたのは、ウルベルクだけだった。その代表作が、2009年に発表されたウルベルク〈UR-CC1 キングコブラ〉である。 この時計は、時・分・秒をすべてリニア表示で示し、さらに経過秒を表示するデジタル表示も備えている。

 その機構は極めて独創的だ。 表示シリンダーにはグリーンとブラックの螺旋模様が施されており、シリンダーが回転するにつれてグリーンの帯が左から右へ移動していく。これによって時間の経過を視覚的に表現するのである。

 そしてガイドロッドがカムの頂点を越えると、一気に落下して分表示シリンダーをゼロ位置へリセットすると同時に、時表示シリンダーを1時間分だけ進める仕組みとなっている。

 もっとも、この時計は単なる未来志向の実験作ではない。ハニカム構造のラックやベリリウム製カムなど、先進素材と高度な技術を用いているものの、これは過去の名作へのオマージュなのだ。

 実際、正式名称であるウルベルク UR-CC1 キングコブラという名が示す通り、この時計はパテック フィリップのためにギルベール・アルベールとルイ・コティエが生み出した、奇抜かつ唯一無二のリニア表示時計コブラへの敬意を込めた作品なのである。

ウルベルク〈UR-CC1 キングコブラ〉。秒、分、そしてジャンピングアワーによる時表示をすべてリニア表示で実現した意欲作であり、その複雑な表示機構は垂直配置のトリプルカムによって制御されている。

 異端によって生み出された“コブラ”

 1958年までに、ルイ・コティエはすでに時計史に名を刻む者として確固たる地位を築いていた。 1931年に実用的なワールドタイム機構を開発し、さらに1950年代には第2リュウズを追加することでその機構を改良したことで知られている。

 一方のギルベール・アルベールは、エコール・デ・ザール・アンデュストリエルでジュエリーとデザインを学んだ後、パテック フィリップのデザイナーとしてキャリアをスタートさせた。 1955年から1962年にかけてデザイン部門の責任者を務め、その期間中、保守的なデザインで知られるパテック フィリップの歴史のなかでも、ひときわ大胆な時計を数多く生み出した。

 そして1958年、機構設計の巨匠と異端のデザイナーが手を組んだことで誕生したのが、コブラである。

ギルベール・アルベールがパテック フィリップのためにデザインした“コブラ”Inv.P-110。完全なリニア式デジタル表示によって時刻を示す、同社の歴史の中でも屈指の異色作である。

 これは、LED式クオーツ時計による“サイドビューウォッチ”が登場し、広く普及する約20年も前に生み出された「横から読む時計」だった。その時刻表示は、まったく前例のないものだった。分は白地の上をゆっくりと進む黒いラインによって表示され、時は数字が記されたラインがジャンピングアワー方式で移動することで示されたのである。

 ムーブメントのベースとなったのは、美しく仕上げられたCal. 9-90だった。構造を見ると、シリンダー駆動機構はウルベルク UR-CC1 キングコブラと同様にムーブメント左側に配置されているように見える。一方、右側には板バネ式と思われるレトログラード機構が備えられていた。

 この機構に関する特許は1959年に出願されたものの、コブラが量産されることはなかった。製作されたのはわずか1本のみで、その唯一の個体は現在、パテック フィリップ・ミュージアムに収蔵されている。

 では、この時計は実際に十分な信頼性を備えていたのだろうか。残念ながら、その答えを知る術はない。なにしろ量産に至ることなく終わったため、その実用性や耐久性が検証されることはなかったからだ。

 しかし確かなのは、コブラが1950年代という時代において、半世紀以上先の時計表現を先取りしていたということである。ウルベルクやHYTのような現代の革新的ブランドが追求するリニア表示の思想は、すでにこの時計の中に存在していたのだ。

パテック フィリップのCal. 9-90。時表示はジャンピングアワー機構によって瞬時に切り替わり、分表示の連続的な移動と組み合わせることで、あたかも時間が直線上を進んでいくかのようなリニア表示を実現していた。

 ウルベルク UR-CC1 キングコブラの存在は、このコンセプトそのものが正しかったことを証明している。しかし、ウルベルク版の実現には高度な先端技術が必要だったことを考えると、パテックのコブラは実用時計として世に送り出すにはあまりにも繊細だったのかもしれない。

 蛇はしばしば変容や創造性の象徴とされる。だが残念ながら、パテック フィリップのコブラは孤高の存在のまま終わった。

 その後もギルベール・アルベールは4年にわたり非対称的で独創的なデザインを生み出し続けたが、やがてパテック フィリップは、自らを世界的な存在へと押し上げた原点へと立ち返る。すなわち、卓越した品質で仕立てられた、端正かつクラシカルな時計作りである。

※編集部注:“コブラ”はあくまでも「呼称」となります。

Brand:Patek Philippe
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