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シェイプウォッチ物語―非ラウンドウォッチ100年間の進化

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1901年、パリの空を飛んだ飛行家アルベルト・サントス=デュモンのひと言が、腕時計という発明を生んだ。カルティエ〈サントス〉から〈タンク〉、そしてヴァシュロン・コンスタンタンの奇想天外なクッションケースまで、丸型が常識だった時代に生まれた”非ラウンド”の系譜を辿る。

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A Retrospective on Shaped Watches

シェイプウォッチ物語―非ラウンドウォッチ100年間の進化

1901年、パリの空を飛んだ飛行家アルベルト・サントス=デュモンのひと言が、腕時計という発明を生んだ。カルティエ〈サントス〉から〈タンク〉、そしてヴァシュロン・コンスタンタンの奇想天外なクッションケースまで、丸型が常識だった時代に生まれた”非ラウンド”の系譜を辿る。

by Neha S Bajpai . Aug 20, 2021

すべてはサントスから

 1901年10月の穏やかな午後、飛行家アルベルト・サントス=デュモンが黄色い飛行船でパリの空へ飛び立ったとき、この冒険がやがて腕時計の歴史を形づくることになるとは、彼自身も思いもよらなかっただろう。

 20世紀初頭、機械技術が急速に進歩していく時代、資産家であったサントス=デュモンは、気球や動力付き飛行船をいち早く飛ばしていた。実際、シャンゼリゼの自宅前の街灯に、小型の飛行機械を繋いでいたのは、当時のパリで彼ただひとりだったという。

 彼は飛行船に乗り込み、屋上のバーやレストランに着陸しては、パリの社交界を大いに驚かせていた。ポール・ホフマンはその伝記『Wings of Madness』の中でこう記している。

「彼は毎晩、飛行船でマキシムへ夕食に出かけ、日中は買い物や友人を訪ねるために空を飛んでいた」

 その1901年の秋の日、サントス=デュモンはエアロ・クラブ・ド・フランスとエッフェル塔の間を、30分以内で往復飛行するという記録に挑戦した。

 しかし飛行中、彼は懐中時計がいかに不便なものであるかを痛感する。上空で時間を確認できなかったために、彼はドゥッチュ・ド・ラ・ムルト賞と10万フランの賞金を失いかけたのである。

左:飛行家アルベルト・サントス=デュモン。1904年、ルイ・カルティエは彼のために、レザーストラップを備えた実用的で無駄のない腕時計を製作した。右:ドゥモワゼル号は、アルベルト・サントス=デュモンが1907年から1910年にかけて製作した軽量な単葉機で当時のベストセラーだった。

カルティエ〈サントス〉は、世界初のパイロット用腕時計であり、腕に着けることを前提とした最初の時計でもあった。

  サントス=デュモンは、飛行家として優秀だっただけでなく、完璧なファッションセンスを持つ社交界のスターでもあった。だから、カルティエ家やルーズベルト家といった人々とも社交を重ねていた。

 あるとき彼は、飛行中に時間を確認する難しさを、友人ルイ・カルティエに打ち明けた。これを受けてカルティエは、サントス=デュモンのために、レザーストラップを備えた堅牢な腕時計を設計した。

 作家・歴史家・時計専門家でもあるニコラス・フォルクスは述べる。

「カルティエ〈サントス〉は、単に腕に装着するために改造されたものではなく、最初から腕に着けることを前提として設計された、近代における最初の腕時計なのです」

 18世紀にはすでに、女性の装いとして時計付きブレスレットが登場していたが、サントスは男性のための腕時計として設計された。世界初のパイロットウォッチであり、腕に着けることを前提とした最初の角形時計でもあった。

 丸型の懐中時計が主流であった時代にあって、ルイ・カルティエは、角に丸みを持たせたスクエアケースと、8本のビスを露出させた力強いベゼルを備える、きわめて未来的なタイムピースをデザインした。

 そのデザインはエッフェル塔のシルエットから着想を得たもので、1904年にはサントス=デュモンのためだけに製作されたユニークピースであった。やがて1911年には時計に正式に〈サントス=デュモン〉の名が与えられ、25×35mmのケース(プラチナおよびイエローゴールド製)で量産モデルとして展開されるに至った。

 ノンラウンドウォッチの台頭

ルイ・カルティエによる洗練されたケースデザインは、腕時計を象徴的なアクセサリーへと押し上げた。上から時計回りに:1930年代のカルティエ〈タンク〉、1908年のカルティエ〈トノー〉、1922年のカルティエ〈クロッシュ〉、1924年のタンク〈サントレ〉

 第一次世界大戦以前、腕時計、あるいはリストレットは女性の装身具であった。19世紀には、ダイヤモンドのブローチや嗅ぎタバコ入れ、長いソトワールネックレスの中に時計を忍ばせた“シークレットウォッチ”が女性たちの間で流行した。

 ベルベットのドレスや宝石をあしらった靴とともに、こうした時計は男性と過ごす場面にて、さりげなく時間を確認するためのものであった。当時は、女性が時間を尋ねることは無作法と考えられていたのである。

 しかしこの状況は、第一次大戦(1914〜1918年)の勃発によって変わり始める。兵士たちは砲撃のタイミングを合わせるため、懐中時計を即席で腕に装着するようになった。大戦が始まってから2年ほどが経つと、電話や信号部隊では時計着用が義務となった。

 こうして懐中時計は次第に腕時計へと姿を変え、第二次世界大戦(1939〜1945年)を経る頃にはその流れは決定的となった。

 戦後になると、時計メーカーは実用性とデザイン性を融合させ、ダイビングやハイキング、レース、狩猟といったさまざまな用途に対応する時計を生み出していく。

 サントスの成功を受けて、ルイ・カルティエはさらに自由な発想で時計デザインに取り組むようになる。〈トノー〉や〈トーチュ〉、そしてアイコニックな〈タンク〉まで、彼の独創的で洗練されたケースデザインは、戦後、腕時計の美を決定づけることとなった。

 1916年12月、フランスの雑誌の表紙に戦車が初めて大きく取り上げられ、人々に強い印象を与えたという。カルティエの新しい時計タンクは、ここから着想を得たとされ、ケースの両側に配されたブランカードは戦車のキャタピラを思わせるデザインとなっていた。

 ルイ・カルティエにとって、時計は単に時間を知るための道具ではなく、機能と美しさが調和したものでなければならなかった。

 その名をタンクとしたことも巧みであった。この名前は当時の時代の空気を捉え、シンプルで幾何学的なデザインとともに、男性的な魅力を強く打ち出すことに成功したのである。

左:ルイ・カルティエのタンクのデザインの着想源となった、ルノー装甲戦車のスケッチ。右:カルティエ タンクの最初期の所有者のひとりとして知られる、第一次大戦で活躍した米陸軍ジョン・パーシング将軍。

左:1919年に登場したオリジナルのカルティエ〈タンク〉 右:ブレスレット型の腕時計(リストレット)の当時の広告。

 もともと、時計のケースが丸型であったのにはシンプルな理由がある。内部の機構、すなわち歯車やゼンマイが円形で構成されていたからだ。

 ダイヤル上の針も円を描いて回転するため、インデックスを円形に配置することで視認性も高まる。また、防水性の観点から見ても、ケースをしっかりとねじ込むことができる丸型は理にかなっていた。

 しかし第一次大戦は、こうした従来のデザイン観を大きく覆した。1920年代に入ると、さまざまなデザインが一気に花開いた。

 この時期は、フランスでは“狂騒の時代”と呼ばれた。映画、ラジオ、飛行機、高速鉄道、自動車の普及によって、風俗はめまぐるしく変化していった。腕時計もまた、さまざまな形やサイズで登場した。

 ニコラス・フォルクスは次のように語っている。

「1920年代に時計は懐中型やペンダント型から腕時計へと移行し、1930年代初頭にはスイス時計産業の年間生産の半分以上を占めるようになりました。この過渡期には、実に多種多様でユニークなケースが登場しました。独特な形状のケースが採用されたのです。これらのデザインは、従来の古典的な時計との違い、時間の読み取り方そのものに新しい感覚をもたらしました。最も優れた例がカルティエであり、ルイ・カルティエ、タンク シノワーズ、オビュ、タンク ア ギシェ、タンク バスキュラント、アシンメトリックといった多様なバリエーションを生み出しました」

1904年から1936年にかけて、ルイ・カルティエは、力強く個性的なデザインのシェイプウォッチを数多く生み出した。左から:1928年の〈タンク・ア・ギシェ〉/1936年の〈タンク・アシメトリック〉/1927年の〈サンチュール〉

左:ベル・エポック期のダンディであり美術商でもあったボニ・ド・カステラーヌ。彼は1918年、友人であるルイ・カルティエから贈られたタンクを身に着けていた。右:1926年公開の映画『熱砂の舞』(1926年)に出演したヴィルマ・バンキーとルドルフ・ヴァレンティノ。撮影にあたりヴァレンティノは、自身の愛用するカルティエのタンクを着用することに強くこだわった。

1930年頃、〈タンク・ア・ギシェ〉を着用するデューク・エリントン。

  カルティエの魅力的なデザインは、当時の芸術界に深く根ざしていた。1919年にタンクを購入したベル・エポック期のダンディな美術商ボニ・ド・カステラーヌ、ジャズ・ミュージシャンのデューク・エリントン、1926年公開の映画『熱砂の舞』でタンクの着用にこだわった俳優ルドルフ・ヴァレンティノ……。1920年代においてタンクはまさに“身につけるべき時計”であった。

 やがて時を経るにつれ、ルイ・カルティエは、これらのシェイプウォッチをより腕に馴染むものへと進化させていく。湾曲し、薄いケースの開発がその鍵であった。

 1921年、カルティエは2作目となる〈タンク サントレ〉を発表する。

「コレクションの中で、これほどまでに強く湾曲し、かつ薄く仕上げられた時計は他にありません。年月を経てさまざまなバリエーションが登場し、ダイヤルだけでなくサイズの異なるモデルも存在しますが、いずれも50本から100本程度の小ロットで製作されてきました。タンク サントレはカルティエのタンクの中でも群を抜いてエレガントであり、人気の高いモデルで、“紳士のためのタンク”と呼ぶにふさわしいでしょう」

 そう語るのは、カルティエのコレクターであり研究者でもあるジョージ・クレイマーである。

 Revolutionファウンダーのウェイ・コーによれば、カルティエはタンク サントレのためにエドモン・ジャガーから特別なムーブメントを調達していたという。ウェイ・コーはこう語る。

「ジャガーは、このデザインを実現するために極めて薄型のムーブメントを設計しました。カルティエの呼称ではキャリバー123で、円形の地板に18石、スイスレバー脱進機、そしてブレゲ式オーバーコイルひげゼンマイを備えています。しかしタンク サントレの大きく湾曲したダイヤルの裏側に収まる様子を見ると、ケース内部にはほとんど余裕がないことがわかります。その後、カルティエとジャガーはヨーロピアン・ウォッチ&クロック・カンパニーを設立し、カルティエのムーブメント供給を担うようになります。そのためタンク サントレに搭載される多くのキャリバーには、“EWC”の略号が刻まれています」

左:1935年、カルティエ・ニューヨークがルイーズ・ヴァン・アレン(ムディヴァニ公妃)のために製作した〈タンク サントレ〉腕時計のデザイン画(©Cartier)右:2021年1月初旬、イエローゴールド製〈タンク サントレ〉の150本限定モデルが、ほとんど告知されることなくひっそりと発表され、顧客へ直接販売された。

1922年に誕生したベル型ケースの〈クロシュ ドゥ カルティエ〉。限定シリーズとして復活を果たしている。

  1904年から1936年にかけて、ルイ・カルティエは力強く個性的な、シェイプウォッチを次々と生み出した。

 1921年の〈タンク サントレ〉の翌年、1922年に発表されたベル型ケースの〈クロシュ ドゥ カルティエ〉は、限定シリーズとして復活を果たしている。もともとはブローチウォッチとして考案されたデザインであり、ダイヤル上のローマ数字が通常の位置から90度回転して配置されるという、ユニークさである。

 これら1世紀前のデザインは、いまなおコレクターの心を捉えている。

「1920年代から1930年代にかけて、カルティエ、ヴァシュロン・コンスタンタン、パテック フィリップといったブランドは、近年までほとんど顧みられてこなかった重要なモデルを数多く発表していました。特に時計に大型で男性的な外観が求められていた時代には、そうした存在は埋もれてしまっていたのです。だからこそ、過去のデザインの素晴らしさがようやく再評価されていることを非常に嬉しく思います」

 ジョージ・クレイマーはそう語る。

 彼はまた、カルティエのシェイプウォッチの中でも〈タンク アシメトリック〉と〈クラッシュ〉を最も重要なモデルとして挙げている。

 時代を超えたモダニティ

20世紀初頭、ヴァシュロン・コンスタンタンは遊び心に富んだ数々のデザインを発表した。左から:1928年に製作されたクッション型ケースのシングルプッシャー・クロノグラフRef.11059/1937年のRef.308/1930年代後半に製作された“ドン・パンチョ”Ref.3620。

  20世紀半ば、パブロ・ピカソやアンリ・マティスの芸術作品に見られる幾何学的でエキセントリックな造形に影響され、時計の世界でもさまざまなケースデザインが登場した。

 トラペゾイド(台形)から楕円形、長方形、さらには六角形に至るまで、そのバリエーションは実に豊かであった。

 カルティエがタンクとその派生モデルで世界を魅了していた頃、ヴァシュロン・コンスタンタンは複雑機構を備えた魅力的なシェイプウォッチを発表していた。

 ヴァシュロンのスタイル&ヘリテージ・ディレクターであるクリスチャン・セルモニは次のように語る。

「腕時計は、デザイナーやケースメーカーが創造性を発揮する絶好の舞台となりました。ヴァシュロン・コンスタンタンにとって、20世紀最初の30年間は“クッションシェイプ”の時代でした。これは特定のモデルを指すのではなく、1920年代後半にさまざまな複雑機構を搭載するために用いられた、美しいフォルムそのものを意味しています」

 そして2021年、ヴァシュロン・コンスタンタンは最も有名なクッションケースのひとつである〈アメリカン 1921〉の誕生100周年を祝し、1920年代以前の手仕事による技法を用いて製作されたユニークピースを発表した。

 ヒストリーク・コレクションのオリジナルを忠実に再現したこの新作は、3Nイエローゴールド製ケースに、オリジナルの11リーニュ・ヌーヴォー・キャリバーを忠実に再構築したムーブメントを搭載している。これは新旧のパーツを組み合わせ、一から製作されたものである。

ブラウンストラップを備えたヴァシュロン・コンスタンタン 〈アメリカン 1921〉のユニークピース(左)と、オリジナルのアメリカン 1921。

ヴァシュロン・コンスタンタンのスタイル&ヘリテージ・ディレクター、クリスチャン・セルモニ。

ヴァシュロン・コンスタンタンにとって、20世紀最初の30年間は“クッションシェイプ”によって特徴づけられていた。

  長らく、ダイヤルを45度傾けたアメリカン 1921は、自動車の運転者のために設計されたものだと考えられてきた。

 しかし、リューズを上部に、スモールセコンドを下部に配した非対称レイアウトには、より合理的な理由があった。20世紀初頭、多くのブランドは懐中時計用の既製ムーブメントを流用し、腕時計としていたのである。

「クッションシェイプは扱いが難しいフォルムです。ヴィンテージの趣きを持ちながらも、デザインには細心の注意が求められます。シンプルなラウンドケースと比べると、高い完成度で仕上げるのははるかに難しいのです。1919年、私たちはアメリカンモデルの最初のバージョンを発表しました。ラジウム夜光のアラビア数字を備え、リューズは左ではなく右上に配置され、ダイヤル自体も右に傾けられていました」とセルモニは語る。

 さらに、ヴァシュロン・コンスタンタンには、アメリカン 1921以上に大胆かつ特異なデザインを持つシェイプウォッチが存在する。それが、通称も与えられていないナンバー10970である。

 1917年に製作されたこの流麗なモデルは、シルバー仕上げのグレインダイヤルにブラックエナメルのアラビア数字を配し、近年ニューヨークのフラッグシップ・ブティックで展示された。

「この大ぶりで曲線的な作品は、当時のヴァシュロン・コンスタンタンの創造性を表しています。この形状には名称すら存在しません。それほどまでに特異なのです。既存の常識を超え、まったく新しいものを生み出していた好例と言えるでしょう」とセルモニは述べる。

 フィリップスにおいて欧州大陸および中東の時計部門責任者を務めるアレクサンドル・ゴトビによれば、ヴァシュロン・コンスタンタンはスイス時計界の三大ブランドのなかでも、とりわけ遊び心に富んだデザインを展開していたという。

「たとえばカルティエは、この1世紀にわたり多くのシェイプウォッチの基準を打ち立ててきましたが、ヴァシュロン・コンスタンタンの時計は、デザイン以上に複雑機構に重きが置かれていました。1920年代において特に興味深いのは、今日アメリカン 1921と呼ばれるモデルや、日付表示とムーンフェイズを備えたトノー型の作品でしょう」とゴトビは語っている。

左:1930年代にヴァシュロン・コンスタンタンがパリのジュエラー、ヴェルジェ・フレールと協働して製作したシャッターウォッチ。右:1917年製、18Kイエローゴールド製のヴァシュロン・コンスタンタンのシェイプウォッチ、リファレンス10970。

  1930年代から1950年代にかけて、ヴァシュロン・コンスタンタンは、シャッターダイヤルや装飾的なラグを備えた魅力的なタイムピースも数多く生み出していた。

「当社のアーカイブには、単に複雑機構というだけでなく、メゾン独自のスタイルを体現した時計が多く残されています。たとえばリファレンス1755は、1928年製の非常に美しいシングルプッシャー・クロノグラフです。当時は懐中時計のムーブメントを流用していたためクロノグラフは大型になりがちでしたが、このモデルは33mmのクッションケースに合わせて専用に開発されたクロノグラフ・ムーブメントを搭載していました。また、パリのジュエラーであるヴェルジェ・フレールと協働し、シャッターウォッチも製作していました。1930年代の一例では、ホワイトゴールド製のレクタンギュラーケースに、ヒンジ付きパネルでダイヤルを覆う構造を採用しています。ベゼルのスイッチを操作することでシャッターが開き、時刻を確認できる仕組みです。スポーツ用途を想定して設計されたこの時計は、当社の技術を象徴するモデルです」とセルモニは語る。

 アレクサンドル・ゴトビによれば、ヴァシュロン・コンスタンタンの20世紀における腕時計製造の最高傑作は、〈ドン・パンチョ〉ことリファレンス3620である。1930年代後半に製作されたこの一点物は、トノー型ケースにミニッツリピーター、曜日表示、レトログラード式日付表示を備えている。

 「これはヴァシュロン・コンスタンタンにおいて最も重要な作品のひとつであるだけでなく、20世紀前半を代表する時計のひとつでもあります」とゴトビは語る。彼は2019年5月のフィリップスのオークションで、この時計を登場させた立役者でもある。

 ドン・パンチョはスペインの実業家フランシスコ・マルティネス・リャノの特注品として製作された。

 大型のイエローゴールド製トノーケースに、12時位置のリューズ、低音域に調律されたミニッツリピーター、ケース右側のリピーター作動レバー、曜日表示、レトログラード式日付表示を備え、さらにケースバックにはブルーエナメルでリャノのイニシャルが施されている。

 リャノは、ブラックのブレゲ数字をエナメルで描いたダイヤルとラジウム夜光数字のダイヤルという2種類の文字盤、簡単に交換可能な6本のストラップを求めたという。

 1947年にオーナーが亡くなった後、この時計は60年以上にわたり金庫に保管され、後に遺族によって再発見されフィリップスに出品されたのだ。

 セルモニは次のように振り返る。

「リファレンス3620は、フィリップスがオリジナルオーナーの家族から購入するまで、謎に包まれた伝説の存在でした。この時計は唯一無二であるだけでなく、極めて複雑な機構を持っています。2019年に74万スイスフランで落札されました」

1930年代製ヴァシュロン・コンスタンタン〈ドン・パンチョ〉ミニッツリピーター(レトログラード・カレンダー付き)は2019年、フィリップスにて74万スイスフランで落札された。

アレクサンドル・ゴトビは、2019年5月のフィリップス・オークションで〈ドン・パンチョ〉Ref.3620を手掛けた。

1947年に所有者が亡くなった後、この時計は60年以上ものあいだ金庫に眠り続け、のちに遺族によって再発見され、フィリップスに託された(Image: Phillips)

  シェイプウォッチとそれを取り巻く謎といえば、注目せずにはいられない一本がオーデマ ピゲに存在する。通称“1938年オーデマ ピゲ・ワールズフェア・ウォッチ”として知られるそれは、2003年以来、時計コレクター・研究家のマイケル・フリードマンが所有している。

「第一印象では、パテック フィリップの“トップハット”のデザインを思わせます。しかし段差のあるラグはより円筒形に造形され、ストラップを収めるフード付きの構造になっています。『A Man & His Watch』(2017年に刊行された、著名人やコレクターが所有する腕時計と、その背景にある物語をまとめた書籍)では独立した章で紹介され、1940年頃のオーデマ ピゲの広告にも掲載されました。1939年のニューヨーク万国博覧会に出展されたことから、この愛称で呼ばれています。いつか実物を手に取って見てみたい時計のひとつです」

 そう語るのは、Instagramアカウント@books_on_timeを運営するチャーリー・ダンである。

 この時計がなぜ生まれたのか、その背景について私たちは多くを知らない。しかしフリードマンは、この一本が自身と父親の「あらゆる文化・テクノロジー・デザインが交差する地点への共通の愛情を表している」と語っている。

 オーデマ ピゲのヘリテージ&ミュージアム・ディレクター、セバスチャン・ヴィヴァスはこう説明する。

「1951年以前、オーデマ ピゲが製作した時計はすべてユニークピースでした。というのも、当時はまだモデルリファレンスが存在しなかったからです。つまり、それぞれが異なる一本だったのです。これらの時計が製作されたこと、その生産や販売に関する記録はアーカイブに残っています。しかし、どのように作られたのかについての情報はごくわずかしかないのです」

左:1938年製のオーデマ ピゲ・ワールズフェア・ウォッチは、2003年以来、マイケル・フリードマンのコレクションの一部となっている(Image: Audemars Piguet)右:1927年製、パテック フィリップのレクタンギュラー・トーチュ型ジャンピングアワー。(Image: Christie’s)

  1940年代から1960年代にかけて、パテック フィリップは驚くべき傑作を次々と生み出した。同社は1920年代、ジャンピングアワーのような複雑時計において、トノー型ケースを好んで採用していた。

 現存が確認されている最初期のパテック フィリップ製ジャンピングアワー腕時計のひとつは、1927年に製作されたモデルである。これはレクタンギュラーなトーチュ型ケースを備え、ルクルト製10リーニュのエボーシュをベースにしていた。 ムーブメントの改造は、ジュウ渓谷の名門複雑時計工房として知られるルイ=エリゼ・ピゲが手がけた。

「初期の腕時計において、カルティエとパテックは先駆者だったと思います。当時、売上全体だと、腕時計の比率はまだ小さいものでした。しかしそれらは、腕時計を形作るうえで大きな役割を果たしました。のちにRef.5098の着想源となったブラジル市場向けのクロノメトロ・ゴンドーロ・トノー型腕時計には、腕時計デザインの真髄が詰まっています。もちろんジルベール・アルベールの作品も大好きですが、あえて逆張りをするなら、パテック フィリップがジャンピングアワー腕時計に用いたトノー型モデルは本当に素晴らしい。1920年代後半のオリジナルを手にする機会はないでしょうが、1989年の150周年記念モデルも決して悪くありません」とチャーリー・ダンは語る。

 おそらく、南米の販売店ゴンドーロ&ラブリオとの協業こそが、1920年代にパテック フィリップがシェイプウォッチにアール・デコの要素を取り入れるきっかけとなったのだろう。ゴンドーロ側は、顧客の手首に自然に沿う細長いレクタンギュラーケースの時計を求めていた。

 ヨーロッパが第一次世界大戦とその経済的余波に苦しんでいた時代、ゴンドーロ一社だけでパテック フィリップ総生産量のおよそ3分の1近くを販売していた。ブラジルではその人気は絶大で、「パテック」という言葉が「時計」の代名詞になったほどだった。時計を買うという意味で、「パテックを買う」と言ったのである――たとえそれが本物のパテック フィリップでなくても。ゴンドーロ&ラブリオを通じて販売された本数は約1万2,000本にのぼる。

 1930年代になると、男性用時計には機能性とエレガンスの両立が求められた。ニッカーボッカーのようなスポーツウェアがプリンス・オブ・ウェールズ(後のエドワード8世、ウィンザー公)に愛用され、またテニス選手ルネ・ラコステが着た半袖シャツが話題になるなか、腕時計の潮流もまた変化していった。

「テニスシャツ、あるいはポロシャツは、何が適切な装いかという常識を変えてしまいました。その近代化の効果は、腕時計がもたらした影響にも比肩します。しかし腕時計がポロシャツ並みの実用性を備えるには、なお改良の余地があったのです」とニコラス・フォルクスは語る。

ジャガー・ルクルト〈レベルソ〉のヴィンテージ広告。

1931年に誕生した、初代レベルソ。

  スイスの時計商・実業家セザール・ド・トレイのもとに、インド駐在の英国軍将校たちから、ポロ競技の激しさにも耐えうる時計を作ってほしいという要望が持ち込まれた。彼はこの話を精密機械の名手、ジャック=ダヴィド・ルクルトとエドモン・ジャガーに持ちかけた。

 困難を極める挑戦だったが、最終的にこの課題は、フランス人デザイナー、ルネ=アルフレッド・ショーヴォの協力によって成し遂げられる。彼が考案した直線構成のケースは、1931年3月4日にフランス商工省へ提出された特許第712868号において“支持部内を滑らせて移動させることができ、完全に裏返すことができる”と記されている。

 アール・デコの美意識をまとい、バトン型針、ダート型インデックス、アラビア数字、そして上下に3本の装飾的ガドローンを備えた反転ケースを持つレベルソは、瞬く間に大成功を収めた。

「レベルソのデザインはデザイン優先の考え方ではなく、機能性によって導き出されたものでした。その価値は素材の高価さや装飾の豪華さではなく、工学的な独創性にありました。素材の選択、革新的な機構、そして満たしたニーズ――そうした点から見て、レベルソはアール・デコを代表する名品だったのです」とフォルクスは語る。

 1950年代:フォルムデザインの黄金時代

左上から時計回りに:マルコウスキー製ケースによる“ラムズホーン”または“ベアクロー”ラグを備えたパテック フィリップ Ref.2471/1964年製18Kイエローゴールドのパテック フィリップ Ref.2554/7J 〈マンタレイ〉/1967年にジルベール・アルベールがデザインしたパテック フィリップの〈リコシェ〉懐中時計/ジルベール・アルベールによる1961年の非対称傑作パテック フィリップ Ref.3424P(Images: Collectability)

  戦後の1950年代、アメリカとヨーロッパは前例のない好景気に包まれた。より良い未来を信じる楽観主義と人類の能力への賛美は、芸術、建築、科学の分野でさまざまなかたちとなって表れていった。宇宙開発が始まったのもこの頃であり、人々の想像力は限りなく膨らんでいた。

「シェイプウォッチの黄金時代は二つの世界大戦のあいだにありました。しかし1950年代には、より流線型で、引き締まったラインを持ち、装飾を削ぎ落としたデザインが登場しました。過去との決別、そして“モダン時代”の到来が告げられたのです」とアレクサンドル・ゴトビは語る。

 1950年代の時計デザイン界を根底から変えた人物のひとりが、天才デザイナー、ジルベール・アルベールである。 パテック フィリップのリコシェ、フライングソーサー、アシメトリー、フューチュリスト、トゥッティ・フルッティといった遊び心ある愛称を持つ彼の非対称デザインは革新的であり、古典的美意識で知られていたパテックにとって大きな挑戦となった。

「1955年、アンリ・スターンは一種の賭けに出て、当時25歳だったジルベール・アルベールを採用しました。当初の目的は、女性向けジュエリーウォッチに若々しいデザイン感覚を吹き込むことでした。しかしアルベールはまもなくクリエイティブ部門の責任者となり、その後10年間にわたりパテック フィリップが生み出すあらゆる時計に彼の影響が見られるようになりました」

 そう語るのは、約30年にわたりパテック フィリップに在籍し、現在は時計専門サイト Collectability でマーケティング・コミュニケーションズを担当するタニア・エドワーズである。

左: 1960年代のジルベール・アルベール作品を紹介するパテック フィリップの広告。(Image: Collectability) 右:パテック フィリップ Ref.2442 “マリリン・モンロー”を掲載した往年のカタログ。(Image: Collectability)

  アンリ・スターンの賭けは成功を収め、パテック フィリップは時計デザイン界で最も権威あるダイヤモンズ・インターナショナル・アワードを、1958年から3年連続で受賞したのである。ジルベール・アルベール自身も、この賞を通算10回受賞することになる(うち2回は別ブランド名義、5回は自身のアトリエ名義)。

 ピエト・モンドリアンやコンスタンティン・ブランクーシといったアール・デコ以後の芸術家たちに着想を得たジルベール・アルベールのデザインは、一見するとまったくの気まぐれで描かれたように映る。しかし、最も奇抜にみえる時計でさえ、綿密に計算されたラインと角度による幾何学に基づいたものだった。

「ジルベール・アルベールは、時計デザインを見る視点そのものを刷新しました。時計ケースは非対称でも三角形でもよくなったのです。新作がバーゼル・フェアで発表されると、人々は何が出てくるのかと胸を躍らせ、驚きを求めて列を成しました。ですが、小売店へ販売していくのは簡単ではありませんでした。世界中の多くの取引先が、伝統的なパテック フィリップが“正気を失った”と思ったのです。いつの時代も、パテックは時代を先取りしていました。どうやらアルベールのデザインの多くは、先進的だったアンリ・スターンにとってさえ、あまりに“飛びすぎていた”ようです」

 そう語るのは、アルベール作の“リコシェ”懐中時計を所有する幸運なひとり、タニア・エドワーズである。

「彼は一本一本に手彫りとエングレービングを施し、官能的な質感を与えました。リコシェは柔らかく滑らかなフォルムを持ち、斑点状のクラシックな彫刻模様には見入ってしまいます」と彼女は続ける。

 アルベールの代表作としては、1960年の菱形ケース Ref.3422、そして Ref.3424 “リコシェ”が挙げられる。イエローゴールド、ピンクゴールド、そしてRef.3424ではプラチナといった貴金属で製作され、ケース中央から端部へ放射状に伸びるブラックのセクターラインは、デザイナーの十八番だった。

 しかし、最も劇的なジルベール・アルベール作品は、1958年のRef.3412だろう。極端な比率を持つ二辺で構成された三角形のようなケースは、従来のラグという概念を覆してしまった。鋭角なコーナーと文字盤上で交差するラインが、強烈な個性を放っている。

「1930年代のパテック フィリップのカタログや広告を見ると、ほとんどすべての時計がユニークピースのように見えます。しかし実際には、それらはすべて通常生産品でした。もちろん生産数は決して多くはありませんでした。このことは、1930年代、そして1960年代において、ケース形状の面でパテック フィリップがいかに創造的だったかを示しています」

 そう往年のパテック フィリップの広告を収集する時計コレクター、ドウ・タショレンである。

イエローゴールド、ピンクゴールド、プラチナといった貴金属で製作されたリファレンス3424は、ケース中央から外縁へ向かって放射状に伸びるブラックのセクターラインを備えていた。これはジルベール・アルベールのトレードマークである(Image:Collectability)

 ▲ジルベール・アルベールの時計の中でも最も劇的な一本が、1958年発表のリファレンス3412である。極端な比率をもつ二辺で構成された三角形のようなケースデザインを採用し、この時計は伝統的なラグの概念を根底から覆してしまった(Image:Christie’s)

1957年のバーゼルワールドのカタログページ。ジルベール・アルベールによる最初期のデザインのいくつかが紹介されている(Image: Dogu Tasoren)

  20世紀半ばの時計は、建築物や工業製品からも大きな影響を受けていた。アメリカ車の流麗な曲線や、エッフェル塔に至るまで、時計ブランドは時代を象徴するデザインを取り入れ、自らの個性としていったのである。

「1950〜60年代のシェイプウォッチで私が特に好きなのは、パテック フィリップとヴァシュロン・コンスタンタンです。どちらも非常に個性的な形の時計を作っており、実に興味深い。たとえば、Ref.2554“マンタレイ”は、左右に広がったケースの形が特徴で、しばしば“エッフェル塔”と呼ばれるRef.2441を思わせます。Ref.2441の独特なラグは、エッフェル塔の土台から着想を得たものでした。1948年から1955年までに、わずか200本しか製造されていません。“マンタレイ”は現在やや見過ごされがちですが、非常に面白い時計だと思います」とニコラス・フォルクスは語る。

 こうした自由なクリエイティビティは、左右非対称のケースだけに限られなかった。四角形や長方形の時計にも、形の中に別の形を収めるような、遊び心あるデザインが取り入れられていった。

 その代表例のひとつが、ヴァシュロン・コンスタンタンの“チョコラトーネ”である。

 セルモニはこう語る。

「これは長方形の時計ですが、文字盤の開口部は正方形で、ケースには大きな丸みがあります。当時の四角いチョコレートに似ていたことから、イタリア人が“チョコラトーネ”と呼ぶようになりました。最初のRef.4821と4822は手巻き式で、その後、自動巻きのRef.6440と6440 Qへと置き換えられたのです」

パテック フィリップは、1948年から1955年にかけて、Ref.2441を約200本製造した。その独特に広がったケースデザインから、しばしば“エッフェル塔”の愛称で呼ばれている。このモデルは、1997年に登場した“パゴダ”のデザインにも着想を与えた。

ヴァシュロン・コンスタンタン “チョコラトーネ” Ref.6440Q(1967年製)。18Kイエローゴールド製のスクエアケースを備えた自動巻き腕時計で、シルバー仕上げのサンレイサテン文字盤、ゴールドのインデックス、3時位置の日付表示、センターセコンドを備える(©Revolution)

  1930年代に宝石をあしらったミニッツリピーターやクッション型のキュビズム的デザインを手がけていたオーデマ ピゲは、1950年代に入ると、さらに個性的な造形にも挑戦し始めていた。

 そうした例のひとつが、2014年5月にヘリテージ・オークションズで販売された、“形の中に別の形を収めた”時計である。ジェラルド・ジェンタがデザインしたこのモデルは、丸い文字盤をH字型のケースに収めていた。

「バウハウス的な雰囲気持ちつつ、ジェンタの個性がはっきりと表現されています。ここでも、細く先端が尖ったバーインデックスが使われており、それらが細い黒線でつながれ、外周のフレームを形づくっています。この巧みな文字盤デザインには二つの役割があります。ひとつは、デザインに奥行きを与えること。もうひとつは、外側のH字型ケース構造を視覚的に文字盤へとつなげることです。四角の中に円があり、その中にまた四角がある。中央には、オーデマ ピゲおなじみのバトン針が配されています」

 そう語るのは、ヴィンテージ・オーデマ ピゲの専門家であり、ステッツ&カンパニー創業者のジョシュ・ランキンである。

 ランキンによれば、初期のジェンタの美意識をもっともよく表している一本が、1950年代半ばにリリースされたRef.5093である。イタリアのコレクターのあいだで“ディスコ・ヴォランテ(空飛ぶ円盤)”と呼ばれるこの時計は、超薄型時計への大胆な挑戦であった。その特徴は、幅広くナイフのように薄いベゼルにあった。

「彼は、さまざまな装飾や模様を与えました。たとえば、ギヨシェ仕上げのクル・ド・パリ模様、宝石装飾、フロレンティーヌ仕上げなどで、素材もあらゆる貴金属が用いられました。ただし、常にベゼルが主役だったわけではありません。ベゼルの意匠が多彩であったように、文字盤デザインもまた実に幅広かったのです」とランキンは語る。

 1960年代になると、ジェンタの勢いはいよいよ増していった。オーデマ ピゲからは、とりわけ風変わりな形の時計が2本リリースされた。ひとつは、丸い文字盤を囲む大きなC字型ケース。もうひとつは、黒いセクターラインが入った、細長い長方形の非対称文字盤を備えたモデルである。

 これらについてランキンは、ジェンタが日本の美学“不均斉”に惹かれていたようだと語る。

「左から右へ大きく伸びた大文字の“C”のようなケースが、丸い時計本体を飲み込むように包み込んでいます。まるでパックマンが時計になったかのようです。右側の開いた口元は、視線を左へ導くゆるやかなテーパーによってバランスが取られています。ツートーン文字盤の内側は、もともとは純粋な円だったことがわかります。しかし左右の半球をずらすことで、細いインデックスまでもその造形に従わせたのです」

左:ジェラルド・ジェンタは、1950年代のオーデマ ピゲに大胆な美意識をもたらした。 右:オーデマ ピゲ Ref.5093、通称“ディスコ・ヴォランテ”。1950年代半ばにおける超薄型時計製造への大胆な挑戦であった(Image: Josh Rankin)

左:オーデマ ピゲ Ref.5182は、日本のデザイン原理である“不均斉”にインスピレーションを得たモデルだといわれている。左から右へ大きく伸びた大文字の“C”のようなケースが、時計本体を包み込みこんでいる。中:オーデマ ピゲ Ref.5159のケースは、有名ケース職人、ジョルジュ・クロワジエがデザインした。このモデルは、1960年から1961年にかけて、わずか7本のみ製造・販売された。右:ジェラルド・ジェンタがデザインしたこのオーデマ ピゲは、“形の中に別の形を収めた”デザインである。四角の中に円があり、その中にまた四角がある。そして中央には、オーデマ ピゲおなじみのバトン針が配されている。

  1950年代の非対称デザインといえば、もっともよく知られた名前はジルベール・アルベールである。しかし同時代に、もうひとり非常に奇抜な時計デザインを生み出した人物がいた。それがリチャード・アービブである。

 軍用航空機や兵器デザインの専門家であり、ハミルトンの個性的なエレクトリックウォッチを手がけた人物でもあった。

「リチャード・アービブのデザインだけを見ても、ハミルトンは過小評価されているブランドです。ジルベール・アルベールほどの名声はないかもしれませんが、ペーサー、フライト I & II、ベンチュラ、エベレスト、アルタイルといった、最高峰のレトロウォッチを数多く生み出しました。ハミルトン・エレクトリックの時代は、アメリカのデザイナーやケースメーカーたちが、自らのスタイルと時計づくりの技術を存分に披露しました。ジョネル、ビッグス、スター・ウォッチ・ケース・カンパニー、シュワブ&ウィシュパードは、当時アメリカを代表するケースメーカーでした」とチャーリー・ダンは語る。

デザイナーのリチャード・アービブとアメリカ人モデルのベティ・ペイジ。

左:ハミルトン〈ベンチュラ エルヴィス80 オート〉 右:エルヴィス・プレスリーのハミルトン〈ベンチュラ〉

  シェイプウオッチの著名コレクターのひとりであるロニ・マドヴァニは、時計デザインにおけるこの自由奔放な時代は、スイスブランドだけに限られたものではなかったと語る。

「1945年から1965年までの時代は、ブランドを問わず時計デザインのベル・エポックでした。もちろん、その後アイコンとなり、コレクターが真っ先に思い浮かべるようなデザインを生み出した企業もありました。しかし、この創造性はスイス中心のものではありませんでした。ベンラス、ブローバ、ハミルトン、リップ、そして数え切れないほど多くのブランドが、卓越したデザインウオッチを生み出していたのです。私が従来集めてきた分野の時計は、価格が高騰し入手もほぼ不可能になってきたため、こうしたブランドの収集にも乗り出しています。ロンジン、ユニバーサル、ゼニスなどによるデザイン系ウォッチは、新たなフロンティアなのです」

 さまざまなラグを持つ時計たち

ヴァシュロン・コンスタンタンのさまざまなラグを備えた時計。左から:ティアドロップラグ付き。1951年製ミニッツリピーター Ref.4261/1950年代製 Ref.4709/1952年製“クラブクロウ(蟹の爪)”Ref.4659/Ref.6017、1957年製。

  シェイプウォッチの魅力は、奇抜なケース形状だけにとどまらない。もともと、懐中時計を腕に装着するようになった時代に生まれたラグは、20世紀半ばに大きなデザイン的進化を遂げた。

「ヴァシュロン・コンスタンタンは、腕時計の誕生以来、おそらくラグデザインにおいて最も高い創造性を示してきたブランドです。代表的なラグには、クラブクロウ(蟹の爪)、コルヌ・ド・ヴァッシュ(牛の角)、フレーム、そしてティアドロップがあります。この時代に登場した時計の中でも、クラブクロウ・ラグを備えた Ref.4659は、個性的でありながら、最も魅力的な一本です。そこには、私が愛してやまない第二次世界大戦後の高揚感と楽観主義が表現されており、今なお私にインスピレーションを与え続けています」

 そう語るのは、Revolutionファウンダーのウエイ・コーである。

 彼は3月にシンガポールで開催されたヴァシュロン・コンスタンタンのコレクターズ・プログラムで披露された、Ref.4261 ミニッツリピーターとその同時代モデルにも心を奪われたという。

 有名なコルヌ・ド・ヴァッシュラグを備えたクロノグラフ Ref.6087や、クラブクロウラグのRef.4659に加え、“バットマン”Ref.6694もまた、この時代を代表するヴァシュロン・コンスタンタンのモデルである。

 クリスチャン・セルモニによれば、この時計はヴァシュロンのクラシックなスタイルにひねりを加えた完璧な例だという。

「バットマンは、非常に個性的なラグを用いることで、ラウンドデザインを超越しています。とても華やかで魅力的です。クラシックな丸型ケースに、これほど意外性のあるラグを組み合わせる……、その緊張感が私は大好きなのです。もうひとつのお気に入りは、超薄型ムーブメントと美しいティアドロップラグを備えたミニッツリピーターRef.4261です。1940年代から1960年代初頭にかけて、およそ40本が製作されました」

ティアドロップラグを備えたヴァシュロン・コンスタンタン Ref.4261 ミニッツリピーター(©Revolution)

船の舵輪に似た姿から“ヘルム”の愛称で知られるヴァシュロン・コンスタンタン Ref.4709。ケースはC.マルコウスキーが製造した(Image:Phillips)

1963年製 ヴァシュロン・コンスタンタン Ref.6694 クロノメーター・ロワイヤル “バットマン”(Image:Phillips)

 ロレックス〈キングマイダス〉も、ひときわ異彩を放つ時計だ。見た目は1970年代にデザインされたように見えるが、実際にはその名称は1959年に登録されている。

 この時計のファンであるニコラス・フォルクスはこう語る。

「これは、ロレックスによるピアジェ・キャリバー9Pへの対抗作だったのだと思います。9Pは非常に薄い手巻きムーブメントで、それによってピアジェは、より薄いケースにハードストーンダイヤルを載せることができるようになりました。私はヴァランタン・ピアジェは、1960年代から70年代初頭のリシャール・ミルのような存在だと思います。信じられないほど大胆でファンキーなデザインを生み出していたからです。ロレックスがそれを見て対抗心を燃やし、生まれたのがマイダスでした。当時、マイダスは世界で最も高価な時計でした。今ではそれほど注目されていませんが、私はいくつか所有しています。ただ、ケースとブレスレットが一体化したデザインで、着けるととても重い(笑)。ロレックスでは珍しい、シリアルナンバー付きのシリーズでもあります」

自身のロレックス〈キングマイダス〉を手にするニコラス・フォルクス(©Revolution)

キングマイダスの後年のモデルは、非対称ケースではないものが多い。右のイエローゴールド製 Ref.4611 は、ラピスラズリダイヤルを備える(©Revolution)

1967年製 オリジナルのカルティエ〈クラッシュ〉

  この時期はまた、カルティエ ロンドンにとっても創造性に満ちた時代でもあり、1960年代後半から70年代にかけて、ダリを思わせる〈クラッシュ〉、〈ペブル〉、そして〈マキシ オーバル〉といった魅力的な時計を生み出した。

 ケースメーカー:縁の下の力持ち

 今日では、ムーブメントから外装まで自社で一貫生産する“インテグレーテッド・マニュファクチュール”であることが、本格時計ブランドの証だと見なされている。

 しかし、シェイプウォッチの時代には、傑出した技術を持つケースメーカー、文字盤メーカー、デザイナーたちと協業するのが当たり前だった。

 伝統的に、時計のデザインをリードしていたのはデザイナーではなくケースメーカーだった。彼らは、自らが一定数を製造できる技術的条件に基づき、時計の造形を決定していたのである。

 だが、時代の流行の変化や、ジルベール・アルベールのような新たなスターデザイナーの台頭により、ケースメーカーは次第に表舞台から退き、補助的な役割へと追いやられていった。

「ジルベール・アルベールによるアシンメトリーウォッチ、そしてアトリエ・レユニがデザインしたパテック フィリップ〈ゴールデン・エリプス〉は、業界そのものを完全に変えてしまいました。それまでは、パテック フィリップの有名なケースをいくつも手がけたC.マルコウスキーや、Ref.788 や Ref.789 など“リコシェ”ケースで知られるアントワーヌ・ゲルラッハ、フライングソーサー”Ref.855の3つのバリエーションを製造したエグリー&シーといったケースメーカーが名を馳せていました」とタニア・エドワーズは語る。

1950年に登場したパテック フィリップ Ref.2471は、わずか3年間のみ製造されたモデルである。C.マルコウスキーが手がけたそのケースは、“ラムズホーン(雄羊の角)”あるいは“ベアクロー(熊の爪)”と称され、当時パテック フィリップが製造したレクタンギュラー腕時計のなかでも、最も希少かつ大型の一本だった(Image: Phillips)

C.マルコウスキーは、パテック フィリップのなかでも最もドラマティックなケースのいくつかを手がけた。左:“アワーグラス”Ref.1593 右:“トップハット”Ref.1450(Images: Collectability and Antiquorum)

パテック フィリップ Ref.2442 に見られるようなマルコウスキーのケースは、他に類を見ない官能性を漂わせていた(Image: Christie’s)

  1950年代を代表する最も名高いケースメーカーのひとりがC.マルコウスキーだった。彼はシンプルなトノー型ケースを、挑発的な芸術作品へと昇華させた。

“トップハット”のフード付きラグから、Ref.2442“マリリン・モンロー”に至るまで、マルコウスキーのケースは、他に類を見ない官能性と神秘性を湛えていた。

 さらに興味深いのは、こうしたパテック フィリップの美しい時計に搭載されたムーブメントもまた、そのフォルムに従っていたことだ。これらの時計には、自社製のトノー型キャリバー9”’90(9-90)が搭載されていた。厚さわずか3.65mmで、薄く流麗なフォルムのケースに理想的なムーブメントだった。

 ジュネーブとその周辺の時計製造の村々には、オーデマ ピゲやヴァシュロン・コンスタンタンと協業したケースメーカーが数多く存在していた。たとえば1930年代、オーデマ ピゲはクロノグラフ用スティールケースをジョルジュ・クロワジエから調達していた。

「私たちは1909年以来、エグリー&シーにケースデザインを依頼していました。アーカイブには、彼が手がけたクッション型ケースの美しいツートーンのミニッツリピーター腕時計が残されています。そして1930〜40年代には、ティアドロップラグ付きケースを手がけたウェンガーもいました」とセバスチャン・ヴィヴァスは語る。

 ヴァシュロン・コンスタンタンもまた、ジュネーブのエグリー&シー、ウェンガー、そしてF.バウムガードナーと密に仕事をしていた。

 ジルベール・アルベールのデザインを、アントワーヌ・ゲルラッハがケースとしたパテック フィリップの“リコシェ”リファレンス789(Image: Collectability)  

  タニア・エドワーズによれば、その時代でもっとも高く評価されたケースメーカーのひとりが、J.P.ハグマンだった。

 彼はパテック フィリップのミニッツリピーター用ケースにおける最高峰の作り手として名声を博した。さらに、パテック フィリップの伝説的モデル、スター・キャリバー2000のケース製作も手がけている。

1970年代とポスト・クオーツ時代

 1969年、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表し、その後の10年間にわたりスイス時計業界を未曾有の危機へと追い込んだ。

 そのわずか1年前、パテック フィリップはもっともエレガントなシェイプウォッチの傑作、エリプスを発表した。

「黄金比に基づくクラシックな楕円形ケースに、ブルーゴールドのダイヤルを組み合わせたこのモデルは、商業的にも成功したフォルムデザインの好例です」とエドワーズは語る。

 シンプルな楕円形でありながら、エリプスは市場にあった他のゴールドウォッチから一頭地抜きん出ていた。鮮やかなコバルトブルーのダイヤルと普遍的なフォルムは、コレクターたちの心を瞬く間につかみ、腕時計のみならず、ライター、カフリンクス、リング、さらにはクロックに至るまで、多彩なエリプス・アクセサリーに人気が広がった。

 世界の時計市場が日本製のクオーツであふれ始めると、スイス勢は大胆なデザインの時計で応戦した。1972年にリリースされたヴァシュロン・コンスタンタンの〈プレステージ・ドゥ・ラ・フランス〉や、同じ年のオーデマ ピゲ〈ロイヤル オーク〉といったモデルである。

 ヴァシュロン・コンスタンタンは1972年、フランス委員会(Comité de France)からプレステージ・ドゥ・ラ・フランス賞を授与されたことを記念し、トノー型キャリバーを搭載した台形ケースのユニセックス・ウォッチを製作した。

 15.4mm×13mmという非常に小ぶりなサイズながら、ムーブメントには、ネジなしの特殊テンプや慣性調整機構など、優れた技術が使われていた。

 熱心なヴァシュロン・コンスタンタンのコレクターであり、ヴィンテージウォッチの専門家でもあるロバート・エスポジートはこう語る。

「ヴァシュロン・コンスタンタンの1972年製プレステージ・ドゥ・ラ・フランスは、優雅で洗練され、その独特のフォルムゆえに実に魅力的です。同社はアメリカン 1921が誕生する以前から多くの非円形ケースを製作しており、さらに永久カレンダーやミニッツリピーターなどの複雑機構も、こうしたシェイプウォッチに組み込んでいました」

左:1960年代後半のパテック フィリップ〈ゴールデン・エリプス〉のヴィンテージ広告。右:シンプルな楕円形でありながら、エリプスは市場に並ぶ他のゴールドウォッチを一歩リードするスタイルを打ち出した(Image: Collectability)

ヴァシュロン・コンスタンタンは1972年、プレステージ・ドゥ・ラ・フランス受賞を記念し、トノー型キャリバー搭載の台形ケースによるユニセックスウォッチを発表した。

 1972年、オーデマ ピゲはジェラルド・ジェンタがデザインしたロイヤル オークによって、スティール製ラグジュアリー・スポーツウォッチという新ジャンルを切り開いた。

 大型で力強く、しかも当時のロレックス サブマリーナーの少なくとも10倍という法外な価格であった。八角形ベゼルと一体型スティールブレスレットを備え、やがて20世紀を代表するタイムピースのひとつとなった。

「オーデマ ピゲのもっとも重要なシェイプウォッチが、同時に歴史上もっとも有名な腕時計のひとつとなったのです。それがロイヤル オークです。この時計は正面からだけではなく、側面から見ても独自のフォルムを持っています。丸みを帯びたオクタゴンであると同時に、トノー型でもあるのです」とセバスチャン・ヴィヴァスは語る。

左:ジェラルド・ジェンタは1972年、オーデマ ピゲのロイヤル オークによって、スティール製ラグジュアリー・スポーツウォッチという概念を切り開いた。 右:1976年発表のオリジナル、パテック フィリップ〈ノーチラス〉Ref.3700/1 

  ロイヤル オークの成功に続き、ジェラルド・ジェンタは1976年、舷窓に着想を得たもうひとつの名機、パテック フィリップ〈ノーチラス〉を発表した。

 市場でもっとも高価なスティールウォッチとして宣伝された初代ノーチラス Ref.3700は、多くの販売店に衝撃を与えた。保守的な顧客にこのモデルを受け入れてもらえるのか、懸念する声も少なくなかったのである。

 それから半世紀。いまやこの伝説的モデルの価格が二次市場でどれほど高騰したかは、あらためて語るまでもない。

シェイプウォッチ、その過去と現在

上から時計回りに、1993年のオーデマ ピゲ〈ロイヤル オーク オフショア〉、2008年発表のウルベルク〈UR-103.09〉、MB&F〈HM4 ラズル・ダズル〉、オーデマ ピゲ 〈CODE 11.59〉

 1990年代初頭から現代に目を向けると、腕時計のデザインは、マックス・ブッサー、マルティン・フライ、フェリックス・バウムガルトナー、ドゥニ・フラジョレといった才能あふれるクリエイターたちによって再び命を吹き込まれた。

 ニコラス・フォルクスによれば、現代におけるシェイプウォッチは、21世紀の幕開けとともにリシャール・ミルによって本格的に切り開かれたという。

「リシャール・ミルは多くの意味で画期的な存在だったと思います。まず、彼は独自の美学をトノー型ケースで打ち出しました。それが大きな転換点でした。さらに、フランク・ミュラーの存在もあります。かつては非常に勢いのある時計師でした。トノー型ケースのサントレ カーベックスなど、実に興味深い複雑機構を手がけています。また、ロングアイランド コレクションも発表しましたが、これは1920年代のパテック フィリップのゴンドーロから強い着想を得ているように見えます」と彼は語る。

1992年製 フランク ミュラー〈カサブランカ〉サーモンピンクダイヤル。

2001年に発表されたリシャール・ミル〈RM 001〉は、独自の技術的・美学的アプローチで時計業界に衝撃を与えた。

  フランク・ミュラーが大ヒット作〈カサブランカ〉によってトノーケースの時計を復興させた一方で、リシャール・ミルは大胆かつ色彩豊かな複雑機構モデルによって、そのフォルムを圧倒的に魅力的な存在へと押し上げた。

 21世紀を代表するアイコニックなシェイプウォッチを語るうえで、ブルガリ〈オクト フィニッシモ〉を外すことはできない。過去7年間で超薄型時計における7つの世界記録を打ち立て、ブランドに驚異的な成長をもたらしたからだ。

「オクト フィニッシモの物語は、記録的な技術的偉業という点だけではありません。パテック フィリップのノーチラスやオーデマ ピゲのロイヤル オークといった、確固たる地位を築いた一体型ブレスレットのスポーツシック・ウォッチに真っ向から並び立つ現代のアイコンへと成長したこと自体が、ブルガリCEOジャン=クリストフ・ババンの卓越したリーダーシップを物語っています」とウェイ・コーは語る。

ブルガリ〈オクト フィニッシモ〉は、一体型ブレスレットを備えたスポーツシックウォッチの現代のアイコンである。

  カルティエやヴァシュロン・コンスタンタンは、現行コレクションにおいても象徴的なシェイプウォッチを継続的に展開してきたが、市場におけるヴィンテージデザイン人気の高まりを背景に、こうした時計への関心はいっそう強まっている。

「別に自分が影響を与えたと言うつもりはありませんが、私は以前からカルティエに対して、アーカイブに眠るシェイプウォッチの復刻を求めてきました。メルセデスにレインコートを買いに行く人はいないでしょう。言いたいことはわかりますよね。もし天文機構付きの丸型コンプリケーションウォッチが欲しいなら、おそらくパテック フィリップのようなブランドに向かうでしょう。しかし、優雅なフォルムケースの時計を求めるなら、ここ100年以上それを作り続けてきたカルティエに行くはずです」

 そうニコラス・フォルクスは語る。

 タニア・エドワーズはこう話す。

「最近、ニューヨークで開催されたサザビーズの時計オークションに出席しましたが、1991年頃のカルティエ クラッシュが10万米ドルを超えて落札されました。これほどの高値は、こうしたシェイプウォッチへの真剣な関心の高まりを示しています。今後、市場がどう推移していくのか興味深いですね。ジルベール・アルベールによる左右非対称のRef.3424も、現在では数十万ドルで取引されています。ジルベール・アルベールもアンリ・スターンも、きっと喜んでいることでしょう」

 

Brand:Audemars Piguet, Bvlgari, Cartier, Franck Muller, Jaeger-LeCoultre, Patek Philippe, Richard Mille, Vacheron Constantin
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