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アブラアン‐ルイ・ブレゲブレゲと“完璧なオイル”の伝説

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「陛下、完璧なオイルを与えてくだされば、完璧な時計をお作りしましょう」――アブラアン‐ルイ・ブレゲがルイ16世に答えたとされるこの言葉は、時計界で長く語り継がれてきた。だが、彼が本当にそう言った証拠はどこにあるのか。その真偽を確かめるべく、七代目子孫でパトリモニー部門責任者のエマニュエル・ブレゲに話を聞いたところ、アーカイブに眠っていた“完璧な油”の実際のレシピという、伝説以上に興味深い事実に行き着いた。

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Breguet And The Legend Of The Perfect Oil

アブラアン‐ルイ・ブレゲブレゲと“完璧なオイル”の伝説

「陛下、完璧なオイルを与えてくだされば、完璧な時計をお作りしましょう」――アブラアン‐ルイ・ブレゲがルイ16世に答えたとされるこの言葉は、時計界で長く語り継がれてきた。だが、彼が本当にそう言った証拠はどこにあるのか。その真偽を確かめるべく、七代目子孫でパトリモニー部門責任者のエマニュエル・ブレゲに話を聞いたところ、アーカイブに眠っていた“完璧な油”の実際のレシピという、伝説以上に興味深い事実に行き着いた。

by Jack Forster. Sep 30, 2024

時計師と王

 時計の世界は伝説に満ちている。時にはそれが真実であることもあれば、そうでないこともある。しかし長く語り継がれるのは、証拠の有無にかかわらず、「いかにも本当らしく聞こえる」物語である。

 典型的な例が〈クラッシュ〉だ。長いあいだ通説とされてきたのは、このモデルがカルティエの実在の時計(たしか〈ベニュワール〉だと言われていた)に着想を得たという話で、その時計が自動車事故の火災によって部分的に溶けて歪んだ姿から生まれたというものだった。

 だが、真相はもっとありふれたものだ。〈クラッシュ〉は、1960年代にロンドンで、ジャン=ジャック・カルティエとデザイナーのルパート・エマーソンによってデザインされたのだ。あまりにも変わった形だったため、火災で溶けた時計という伝説が生まれたのである。

 これは唯一の例ではない。

 最初の携帯できる時計は、ドイツの時計師ペーター・ヘンライン(1485頃–1542年)によって発明されたという神話から、水中で動いているときの動的水圧は、静的水圧よりずっと大きいという誤解に至るまで、この種の逸話は今なお語り継がれている。

 時計の世界でも他の分野と同じく、面白い物語というものはなかなか消えないものなのだ。

 私がクラッシュの逸話と同じくらい長く耳にしてきたもう一つの話が、アブラアン‐ルイ・ブレゲにまつわるものである。

 それによると、ルイ16世がブレゲに

「完璧な時計を作ってほしい」と依頼したところ、ブレゲはこう答えたという。

「陛下、完璧なオイルを与えてくだされば、完璧な時計をお作りしましょう」

左:アブラアン‐ルイ・ブレゲ(1747–1823年) 右:ルイ16世(在位 1774–1792年)

 この逸話がもっともらしく聞こえるのは、それがいかにもブレゲが口にしそうな言葉だからだ。ブレゲは、質の悪い潤滑油が時計の機構に与える問題をよく理解していた。

 たとえば彼のトゥールビヨンの特許には、その目的の一つとしてテンプ軸における油の均等な分布を確保することが挙げられている。特許文書の記述を見る限り、それは重力の影響による誤差と同じくらい重要な課題と考えられていたようだ。

 とはいえ、私はそれをそのまま信じる気にはなれなかった。理想を言えば、アブラアン‐ルイ・ブレゲ本人やルイ16世に直接話を聞ければよかったのだが、残念ながら両者とも取材のアポイントメントを取ることはかなわない。

 そこで私は次善の策としてブレゲの本社に連絡を取った。そして、この言葉が本当かどうかを確認しようとした人物は、これまで誰もいなかったことがわかった。そのうえで、もし希望するならエマニュエル・ブレゲに話を聞いてみてはどうかと勧められた。

 彼はアブラアン‐ルイ・ブレゲの七代目の子孫であり、同ブランドのパトリモニー部門(歴史的遺産を管理する)の責任者でもある。ブランドの主任歴史家である彼こそ、この有名な言葉が本当かどうか、知っている可能性が高いと思われた。

 ところが当初、エマニュエル・ブレゲは、自身の著名な祖先について、それほど意識していなかったという。Zoomでのインタビューの中で、彼は大学の教授からその偉大な祖先を改めて思い出させてもらったと語った。

アブラアン‐ルイ・ブレゲの7代目の子孫であり、現在モント・ブレゲの副社長兼パトリモニー部門責任者を務めるエマニュエル・ブレゲ。

ブレゲの子孫、過去を知る

「家にはいくつかの記念品や、居間に置かれた時計がありました。父は飛行機の話をよくしていました。というのも、父は祖父であるルイ・ブレゲの輝かしい航空機産業での活躍の時代を生きた人でしたから。しかし父自身は時計づくりの熱心な愛好家ではありませんでした。私が多くのことを知ったのは、パリのソルボンヌ大学で学生だった頃です。技術史の専門家である教授の授業を受けていたのですが、ある日、私は彼に将来の論文のテーマをどうすべきか尋ねました。すると教授は『君は自分の名前を覚えているか?』と言うのです。私は『ブレゲです、エマニュエル・ブレゲです』と答えました。すると教授は『そのエマニュエル・ブレゲが、私に研究テーマを聞くのかね?』と言いました。」

 彼は笑いながら語ってくれた。そして続ける。

「その瞬間、私は突然、家族の歴史の重要さを理解したのです」

 エマニュエル・ブレゲは、その祖先が創業した会社で長年働いている。まだインベストコープがブレゲを所有していた時代に彼は同社に連絡を取り、会社は彼を採用した。役割はアーカイブや歴史、つまりパトリモニーを管理することだった。

 その後、彼はブレゲについて数多くの研究や執筆を行い、1997年には『ブレゲ 天才時計師の生涯と遺産』(菅原茂 訳/原題:Breguet, Watchmakers Since 1775: The Life and Legacy of Abraham-Louis Breguet)という書籍を出版している。

エマニュエル・ブレゲが著した『Breguet, Watchmakers Since 1775: The Life and Legacy of Abraham-Louis Breguet』第2版より。

 この本は、ジョージ・ダニエルズによる『The Art of Breguet』――同社の技術史や、トゥールビヨンをはじめとするアブラアン‐ルイ・ブレゲの発明を扱った不可欠な研究書を補完するものだという。

「私は技術者ではありません。時計師でもなく、歴史家です。ですから私の目標は、ジョージ・ダニエルズの有名な著書『The Art of Breguet』を補完することでした。技術的解説に関しては、彼の本のほうが私のものより優れています。私が書きたかったのは、ブレゲがいかに成功したのかということです。なぜ彼がイングランド、ロシア、トルコ、ドイツ、イタリアで有名になったのか、その理由を明らかにすることでした。彼は組織的に事業を運営し、高級ブランドとしては最初期の国際的ネットワークを築きました。今日ではラグジュアリー・ブランドがインターナショナルであることは当たり前ですが、19世紀初頭、その先鞭をつけたのがブレゲだったのです」

1808年、パリ駐在オスマン帝国大使エッセイド・アリ・エフェンディのために製作された、グランド・ソヌリおよびプチ・ソヌリ機構を備えるクォーター・リピーター、〈ブレゲ No.2090〉。ルビー・シリンダー脱進機を採用している。

 エマニュエル・ブレゲによれば、アブラアン‐ルイ・ブレゲはフランス革命の後にパリへ戻った際、自身の顧客リストをイチから作らなければならなかったという。

「しかもそれは一度ではありませんでした。彼はそれを二度やり遂げたのです。生涯にわたり5,000本以上の時計を製作しながら、国際的な販売ネットワークを維持するため、物流や管理をこなした経営者としての能力は、本当に驚くべきものです。しかも、その点についてはほとんど語られることがありません」

「私にとってそれは、技術面と同じくらい興味深いです。彼は同じ時計を二つと作ることがありませんでした。つまり、会社を運営するための特別な方法を持っていたということです。もっと効率的な生産体制を整えることもできたはずですが、彼はそれを選びませんでした。人生の最後まで、もし10本の時計を作れば、その10本はすべて異なる時計だったのです。トゥールビヨン、クォーターリピーター、あるいはモント・ア・タクトといった具合に」

「彼が非常に多くの人々と築いた関係もまた驚くべきものです。私は最近、1814年、ナポレオン失脚直後にアブラアン‐ルイ・ブレゲがロンドンに滞在していた際、彼と息子の間で交わされた書簡を読みました。そこではブレゲが国王や王子、さらにはウェリントン公と面会していたことがわかります。彼は単に優雅な品を作る職人としてではなく、ロンドンやパリの科学アカデミーの会員と同等の科学者として認められていたのです」

ブレゲ〈No.1279〉。4分トゥールビヨン、ロバン脱進機、パワーリザーブ表示、ストップセコンド、温度計を備えた時計で、1808年にジョージ3世に販売された。(Image: Sotheby’s)

〈ブレゲ No.2470〉。ウェリントン公が所有した時計で、スペインとポルトガルの七宝製地図が装飾されている。もともとは1808年、ナポレオンによってスペイン王に任命されたジョゼフ・ボナパルトの注文によるものだった。しかし半島戦争で、ウェリントン公率いるイギリス軍がフランス軍を打ち破った後(自分の領土を失ったため)ジョゼフはこの時計の購入を拒んだ。つまり勝者であるウェリントン公が敗者が注文した時計を手に入れたのだ。

1815年、ウェリントン公によって購入された時計。ケース裏には秘密の内蓋が設けられ、そこにアメリカ生まれのマリアンヌ・パターソンの肖像が収められた。彼女は後にウェリントン公の兄と結婚することになる女性である。(Images: Copyright Stratfield Saye)

 エマニュエル・ブレゲは、アブラアン‐ルイ・ブレゲを啓蒙時代が生んだ最良の人物像だと考えている。

「当時は、時計師こそが世界を再現し、それを小さく凝縮できる唯一の人物だと考えられていました。私はトゥールビヨンこそが、その考え方の頂点だと思います。なぜならトゥールビヨンは、まさに天文学の世界そのものだからです。私は古い辞書を調べて、18世紀における“トゥールビヨン”という言葉の意味を探りました。その意味は太陽系なのです……つまり時計師とは、宇宙を再現できる人物だったのです」

「この言葉は17世紀にデカルトによって使われ、またディドロの百科全書(18世紀フランスで編纂された最大の百科事典)にも登場します。しかし19世紀末になると“トゥールビヨン”という言葉の意味は変化しました。今日ではその意味は当時とは同じではありません。現在では無秩序に回転する渦のような動きを指し、どこか暴力的なニュアンスを帯びた言葉になっています」

完璧なオイルの伝説を追って

 さて、先に述べたように、エマニュエル・ブレゲとの対話のきっかけとなったのは、ブレゲの有名な言葉が本当に彼の発言なのかを確かめることだった。

「陛下、完璧なオイルを与えてくだされば、完璧な時計をお作りしましょう」

 この言葉は、やはりいかにもブレゲが口にしそうな響きを持っている。前述したように、トゥールビヨンの特許には、この発明の利点の一つとして潤滑油をより均等に分配することが挙げられている。

 またブレゲは、油の流れをうまく制御できないか、さまざまな実験も行っていた。たとえばある実験では、油を適切な位置に留めて広がるのを防ぐため、ガンギ車の歯にごく小さな油溜まりを設けるという方法を試している。

 では、この有名な言葉をブレゲが実際に語ったという証拠はあるのだろうか。

「正直に言って、私はこの言葉を見つけたことがありません。現在、私はブレゲ辞典のようなものを準備しています。AからZまで、ブレゲについてのすべてを簡単に探せるようにまとめた用語集です。しかしこの言葉は見たことがありません。私たちは手稿や書簡など多くの資料を持っていますが、この言葉の作者が誰なのか分からないのです。彼が実際に言った可能性はありますが、少なくともその正確な文章を見つけたことはありません」

「ただし調査の過程で、時計用オイルのレシピを見つけました。アーカイブで発見した手稿の中で、ブレゲ自身が時計製作に最適なオイルの作り方を説明していたのです。それは19世紀初頭の手書きのノートに記されていました」

 そして以下が、ブレゲが記した完璧なオイルに最も近いもの、当時の材料と技術で到達したレシピである。

 “時計用の油は、一粒ずつ選び抜かれた、完全に熟したオリーブから作られなければならない。未熟すぎても熟しすぎても、油は劣化しやすくなる。選ばれたオリーブが青すぎたり、あるいは熟しすぎていた場合、その油には酸が含まれ、酸化を引き起こし、最終的には潤滑性能を損なってしまう。

 時計用の油は、使用する前に18か月から2年間保存しておかなければならない。この期間を経て初めて油は安定した性質を持つようになり、その状態は8年から10年持続する。

 さらに油はコルク栓をして暗所で保存し、レオミュール温度計で8度以下の温度に保つ必要がある(レオミュール温度計は摂氏温度が普及する以前に用いられていたもので、この目盛りでは0度が水の凝固点、80度が沸点である。8度レオミュールは約10度摂氏に相当する)。

 というのも、空気、光、そして熱は、それぞれ単独であれ同時であれ、油の成分の組み合わせを変化させてしまい、その結果、本来の用途に適さないものになってしまうからである”

 オリーブを最適な熟度で選び、長期間熟成させる工程は、酸化による劣化を防ぎ、油を化学的に安定させることを目的としている。ブレゲが、この油は保存状態で8年から10年は安定性を保つと述べている点は注目に値し、当時としては大きな技術的優位性をもたらしたはずである。

「これは引用そのものです」とエマニュエル・ブレゲは語る。

「ノートの中にブレゲ自身が書いた文章そのままなのです。彼にとって油は非常に重要なものだったのです。それはトゥールビヨンとも関係しています。トゥールビヨンでは油の分布がより均一になるからです。ナチュラル脱進機については……どうか聞かないで下さい。それを本当に説明できたのはジョージ・ダニエルズだけでしょう。ナチュラル脱進機は本来、油を必要としない構造として考えられたものですが……。とはいえ、どんな場合であれ、油は時計師の仕事の中心にあるのです」

ブレゲはナチュラル脱進機を発明した。これはインパルスがテンプに直接伝えられる構造であることからそう呼ばれ、潤滑油を必要としない点が特徴である。ここに示されているのは、その初期の構成で、ハーフ・クォーター・リピーター懐中時計〈No.1135〉に搭載されたもの。二つのガンギ車は互いに歯車で連結され、垂直の歯を備えており、それらが中央のレバーによってロックおよび解除される仕組みになっている(Image: Wikipedia)

 「証拠がないことは、存在しないことの証明ではない」とよく言われる。

 確かに、フランス王に対してブレゲが油について語ったとされるあの有名な言葉を裏付ける証拠は見つかっていないし、どうやら後世に作られた逸話の可能性が高い。しかし、ブレゲが潤滑油に深く関心を抱いていたことは間違いないだろう。

 そもそも摩擦とは、古典力学を実際の機械に応用する際の最も大きな課題でもある。完全な真空の中で摩擦がまったく存在しないなら、振り子は永遠に振れ続けるはずなのだから。

 完全な真空が存在しないのと同じように、完全な油というものも存在しない。だが摩擦と潤滑という避けがたい問題を克服しようとするなかで、ブレゲは驚くほど多様な時計技術を生み出した。

 最も有名なのはトゥールビヨンだが、脱進機に関する研究、そして彼の工房における極めて高精度な製作方法のすべてが完全性の追求を物語っている。

 ブレゲにとって“完璧なオイル”とは、実のところ油そのものが不要である状態、つまり潤滑を必要としない機構だったのかもしれない。

 もしアブラアン‐ルイ・ブレゲが、今日のブレゲ社の技術を見ることができたなら、シリコン素材や磁気ピボットに強い関心を抱いたに違いない。

 あの有名な言葉を本当にブレゲが言ったのかどうかは、もはや知ることはできないだろう。しかしその言葉が何十年にもわたり語り継がれてきたのは、その核心に、時計師たちが今なお向き合い続けている問題への、強い関心が込められているからにほかならない。

Brands:Breguet

Brand:Rolex
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