映画史には数多くの名作がある。しかし、男性の装いにこれほど大きな影響を与えた作品は多くない。名優スティーブ・マックイーンは、エレガンスと男らしさの理想像を演
Thomas Crown’s Affair With Style And Timepieces
史上最高のスタイリッシュさ、映画『華麗なる賭け』の服と時計
映画史には数多くの名作がある。しかし、男性の装いにこれほど大きな影響を与えた作品は多くない。名優スティーブ・マックイーンは、エレガンスと男らしさの理想像を演じた。
![]() |
by Wei Koh . Mar 21, 2025 |
ストーリーはいまいち……?
スティーブ・マックイーン主演の1968年の映画『華麗なる賭け(原題:The Thomas Crown Affair)』は、メンズスタイルに最も影響を与えた映画の一つである。今日に至るまで、男らしさと装いによる表現が、これほど力強く描かれた作品はない。
当時、作品の評価は低かった。泥臭い現実をありのままに描こうとする“社会写実主義”に傾倒していたため、フェイ・ダナウェイの31回におよぶ衣装替えやフェラーリGT250、ロールス・ロイス、そして何よりスティーブ・マックイーンの英国仕立てのバリッとしたスーツに満ちたこの作品を、批評家たちは『中身のない目の保養』として切り捨てた。
確かに、映画のストーリーはいまいちである。主人公はボストンの新興エリート、36歳で離婚歴があり、ポロをたしなむ。裁定取引の専門家にして自ら富を築いた億万長者、トーマス・クラウンだ。退屈な日々に飽き飽きした彼は、手下たちを使い、白昼の銀行強盗を画策することで、アドレナリンという名の報酬を得ようとする。
そこにフェイ・ダナウェイ演じる鋭敏な保険調査員が登場し、クラウンを相手に、知略とスタイルの優劣を競う。“猫と鼠の追いかけっこ”を繰り広げるのだ。
キャラクターの掘り下げは甘く、プロットは平凡だ。ある批評家は「オートクチュールのモデルを思わせる、煌びやかだが空虚な映画。表面は目も眩むほど美しいが、その内側は凹んでいて栄養失調のようだ」と評した。

▲ 映画『華麗なる賭け』(1968年)より。主演のスティーブ・マックイーンは最高の装いを見せた。


しかし、こうした批判は、この作品の本質を完全に見逃している。純粋なスタイルの探求としての本作が、映画界に与えた影響は極めて重要なものだ。
物憂げな音楽から、オープニングや銀行強盗のシーンで使われたスプリットスクリーン(分割画面)の手法に至るまで、あらゆる場面がクールである。ちなみにスプリットスクリーンの手法は、1964年の万博で初めて公開された。
冒頭のクレジットで複数の映像が次々とフラッシュすることで、メッセージは明確になる。「完璧に仕立てられたスーツを着たスティーブ・マックイーンの姿が一枚、それより美しいものは何か? その答えは彼の姿が何枚も映し出されること」なのだ。
マックイーンの完璧なスタイル
カルト映画『ギャングスター・ナンバー1』(2001年)に衣装を提供した英国仕立ての巨匠、マーク・パウエルはこう断言する。
「これ以上のものはない。史上最もスタイリッシュな映画だ」
また、サヴィル・ロウの名著『The London Cut』の著者ジェームズ・シャーウッドは言う。
「この映画は、軍服や宮廷服に抱いていたあの情熱を呼び覚ましてくれる。かつてスタイルを牽引する主役は女性ではなく、常に男性であったという過去の数世紀を思い出させてくれるのだ」
男性の装いによる自己表現を賛美するこの映画が、幅広い層の心を掴んだのは、マックイーンが放つ男らしさとエレガンスの融合があったからだ。トミー・クラウンには、女々しさや気取りは一切ない。彼はビスポークという名の鎧を纏った、紛れもないアルファ・オスなのだ。
無骨なキャラクターのマックイーンが、都会的で洗練された大富豪を演じることができるのかとスタジオ側は懸念していたという。しかし、かつてレンガ積み職人だったショーン・コネリーを、衣装の力がジェントルなスパイへと変貌させたように、極上のスーツはマックイーンに、型にはまった配役を覆す力を与えた。ここでは間違いなく、“服が男を作った”のである。
劇中での装いは、どのシーンも細部まで完璧である。フェイ・ダナウェイを誘惑する際に選んだ色合わせ――グレーのスリーピースに、淡いピンクのストライプシャツ、モーブ(薄紫)のネクタイ、そしてシルバーとブラックのポケットチーフのように、ギリギリの冒険でも、すべて成功している。

▲『華麗なる賭け』の撮影現場で、テイクの合間に休憩するマックィーン。
マイケル・ケイン主演の映画『ミニミニ大作戦』(1969年)のスーツを手がけた英国テーラリング界の伝説、ダグ・ヘイワードこそが、『華麗なる賭け』においてマックイーンの衣装一式を任された人物である。
世間では、マックイーンのスーツは当時流行した細身のシルエットだと言われているが、これは誤りである。実際には、ヘイワードのスーツはその正反対だ。それらは英国クラシック・テーラリングそのものであり、現代においてもまったく通用する。むしろ完璧に正しいスタイルなのである。
どのスーツも三つ揃いで構成され、堂々たるフォーマル感を醸し出している。ショルダーはきちんと構築され、わずかなロープドショルダー(ロープのような立体的な盛り上がりがある肩先)により、力強く、どこか捕食者のような雰囲気を作り出している。やや細めのラペルは、胸板の広さを強調するためのものだ。
ジャケットは2ボタン、強めにシェイプされたウエストラインを持ち、アトラスのようなシルエットを形成する。大きめの袖付けと程よくゆとりを持たせた背中など、可動性を高めるためのビスポーク的ディテールも見られる。
オープニングで登場するチェック柄のスーツを含め、いくつかのスーツには1つボタンのフィッシュテール・カフ(袖口が魚の尾のようにVに割れている袖口)といった、思わずニヤリとさせる意匠も盛り込まれている。
作中のウエストコート(ベスト)は基本的にノッチのないデザインで、裾はまっすぐにカットされ、位置がやや高めに設定されている。これは、マックイーンの脚をより長く見せるためのものだ。裾がストレートカットの場合、最後のボタンまで留めるのが作法であり、劇中もそれが守られている。
ノータックのハイウエスト・トラウザーズは比較的ゆとりを持ちながらも、裾に向かってテーパードし、英国製の細身のオーダーメイド・シューズとの絶妙なバランスを生んでいる。
劇中に出てくる時計たち
映画の冒頭シーンほど、男性的エレガンスが表現された例はないだろう。
スーツは、濃淡の異なるグレーを組み合わせたチェ。サイドベンツは非常に長く、ロープドショルダー、1ボタンカフスと、ディテールはどれもエッジが効いている。
ライトブルーのシャツに大ぶりの白蝶貝のカフリンクス、そこにロイヤルブルーのシルクタイをディンプルを効かせたノットで締めている。ペルソールのサングラスのレンズ色は、ショッキングブルーのスーツ裏地と共鳴するように選ばれている。
胸ポケットには、アステア・パフ風に挿したダヴグレーのポケットスクエアが収められている。
この姿でクラウンは、ダブル・アルバート・スタイルで吊り下げたゴールドのパテック フィリップ製懐中時計を確認するのだ。この懐中時計のほかにも、劇中のマックイーンは他に2本の注目すべき腕時計を着用している。

▲ パテック フィリップ製の懐中時計に付けられた、ダブル・アルバート様式のチェーン。

▲ パテック フィリップの金無垢懐中時計。
1本目はジャガー・ルクルト〈メモボックス〉、2本目は、多くの人が“紳士の腕時計の究極形”とみなし、マックイーンの劇中スタイルにも完璧に調和するカルティエ〈タンク サントレ〉である。
ひとつ覚えておきたい豆知識として、さまざまな情報源でこの時計が〈タンク アメリカン〉と表記されているのを目にするが、それは事実としてあり得ない。
というのも、アメリカンの発売は1989年であり、『華麗なる賭け』はそれより21年前の1968年公開だからである。

▲ 『華麗なる賭け』のプロモーション写真で、カルティエのタンク サントレを着用。

▲ こちらの劇中のショットでもカルティエ タンク サントレを着用。
「彼はハンサムだと思う?」
向こう見ずなほどのクールさに満ちた、実にクレイジーな装い──ほとんど“やり過ぎ”と言っていいほどのテーラリングによる大胆不敵な自己表現だ。だが、これが見事に成立してしまうのが、この映画とマックイーンの凄いところである。
テーラーでありデザイナーでもあるティモシー・エベレストはこう語る。
「この装いこそが、私がテーラーになりたいと思った原点なんだ」
マックイーンの衣装は場面ごとに自在に表情を変えてゆく。スイスの空港でのチャコールグレーの三つ揃い、銀行家のオフィスで見せる、やや奇妙なセンターベントのブルー/グレーのピンストライプのスリーピース。
そしておそらく本作で最もスタイリッシュと言えるのが、ミッドナイトブルーのスーツに、見事なダブルブレストのウエストコート、さりげないストライプシャツ、カラーピン、そしてフォーインハンドで結ばれたタイという装いだ。
作中、フェイ・ダナウェイ演じるキャラクターはこう尋ねられる。
「彼がハンサムだと思う?」
彼女はため息まじりに答える。
「ええ、もちろんよ」
そして、われわれも同意せずにはいられない。
いま、男性たちがクラシックなエレガンスへと回帰しつつある時代において、この映画はこれまで以上に大きな意味を持っている。
なぜなら本作のあらゆるフレームには、“堂々と美しくあることは、あなたの権利である”というメッセージが刻み込まれているからだ。
・
※この原稿は2020年8月3日に初掲載されたものです。
・
