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時計の表層:ダイヤルに光るNumerals(数字)を考える

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時計の文字盤に数字は必須ではなく、針の相対位置で示すものも存在する。しかし多くの時計に数字があるのは、歴史と美意識に根ざしている

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The Watch Face: Numerals

時計の表層:ダイヤルに光るNumerals(数字)を考える

時計の文字盤に数字は必須ではなく、針の相対位置で示すものも存在する。しかし多くの時計に数字があるのは、歴史と美意識に根ざしているからだ。

ゼロから始まる数字の物語

 数量を示す最初の印は、少なくとも3万年前に遡り、木、骨、石などに刻まれた集計記号であった。これらは合計のみに意味があり、個々の記号が異なる意味を持つ「数字」とは見なされない。

 最初の真の数字を発明したのは、現在のイラクに位置するシュメール人である。彼らの記号(古代文字や楔形文字)は現代の文字盤には残っていないが、彼らが確立した六十進法は、現代の時計の基礎となっている。60を基数とするシュメール、後のバビロニアの数え方により、1分は60秒、1時間が60分、円が360度という時間の区切りが定められているのだ。

バビロニア数字…ここにはパターンがある…

ローマ人が時計に残した贈り物

 時計の文字盤に見られる最も古い形式の数字はローマ数字であり、その起源は紀元前9世紀頃にまで遡る。起源については2つの説が存在する。1つは古い刻み勘定(タリー / Tally)が発展したという説、もう1つは指で数を数えたことに由来し、それゆえに5つずつのグループにまとめられているという説だ。算術に用いるには不向きという決定的な欠点があるにもかかわらず、ローマ数字は15世紀まで広く使われ続けた。原題においても、文字盤に独特の古典主義を与える要素として今なお根強い人気を誇る。

 文字盤でのローマ数字の使用に関して有名なのが、数字の「4」の表記である。通常は「IV」と表記されるが、時計の文字盤では「IIII」と表記されることが最も一般的である。

〈サントス ドゥ カルティエ ウォッチ〉MM ピンクゴールド(2018年)

 これにはいくつかの説が唱えられており、どれが真実であるかは定かではない。一説には、「IV」が古代の最高神ジューブ(ユピテル)、すなわちジュピターの略称であったため、時計職人たちが最高神を4番目という不条理な位置に置くことを忌避したからだと言われている。しかし、この制約がなぜ時計の文字盤だけに限定され、社会全体で「IV」の表記自体が完全に禁止されなかったのかという点については、にわかに納得しがたい。

 より理にかなった仮説は、意匠上の「視覚的バランス」を求めたというものだ。文字盤の真向かいに位置する「8(VIII)」と「4(IVまたはIIII)」を比較してみれば、その理由が見えてくる。時計に用いられるローマ数字の多くは、平芯ペンの先で書いたように太い線と細い線を組み合わせて構成されている。ローマ数字の「8」は太い線4本と細い線1本で構成されるのに対し、本来の「IV」は太い線2本と細い線1本しかなく、左右の視覚的ボリュームが著しく崩れてしまうのだ。ここに「IIII」を配置することで、文字盤全体の美しき均衡が巧みに保たれるのである。

 この「IIII」の採用が絶対のルールではなく、あくまでスタイル(意匠)の選択であることは、歴史的な例外の存在が証明している。例えば、ロンドンの象徴である「ビッグベン」の大時計には、すべての線の太さが均等なローマ数字が使われており、そこでは古典的な「IV」が堂々と選ばれている。……もっとも、この事実はジュピターには内緒にしておくべきかもしれない。

インドに眠るアラビア数字の起源

 現在、世界で最も広く普及しているのはアラビア数字である。アルファベットを使用しない国々でさえ、この数字はインデックス(時標)の主役として君臨している。これほどまでに世界を席巻した最大の理由は、十進法に基づく優れた算術性にある。しかし、その真の起源はイスラム圏ではなく、古代インドのヒンドゥー文化にあるのだ。

 アラビア数字の源流である「ブラフミー数字」は、紀元前300年頃にまで遡る。ただし、当時は我々が知るような位置記数法(位取り)を用いた十進法の数字ではなく、その完成には西暦400年頃を待たねばならなかった。さらに西暦628年、天文学者であり数学者でもあるブラフマグプタが「ゼロ(0)」を発明したことで、数学の世界に決定的なパラダイムシフトが起こる。この偉業こそが、ヒンドゥー数字のシステムに圧倒的な汎用性と永続性を与えたのである。

 その後、ヒンドゥー数字はシルクロードを伝って自然と西方へ流れていったが、その普及を爆発的に加速させたのは学者たちの功績であった。アル=フワリズミーやアル=キンディといった碩学が、アラブ世界全域にこの数字を広めていったのである。やがて数字のスタイルと形状は2つの潮流へと分かれていく。1つは我々が今日広く使用している「西アラビア数字(いわゆるアラビア数字)」であり、もう1つは現代のアラビア文字のなかで使われている「東アラビア数字」である。

時計の文字盤に東アラビア数字が記されている

 地理的な近接性により、この西アラビア数字は、その使用法を解説した学術論文とともに中世ヨーロッパへと伝わった。そして16世紀半ばまでには、一般的な使用においてローマ数字に取って代わることとなる。ちなみに、アル=フワリズミーのラテン語訳こそが、現代の数学用語「アルゴリズム」の語源である。

 一方、「ヒンドゥー数字」とも呼ばれる東アラビア数字は、近年の時計メーカーが特定の市場の嗜好に応えるにつれ、一種のカムバックを果たしている。その最も象徴的な例が、2016年に発表されたロレックスのプラチナ製〈デイデイト〉(Ref.M228206-0025)だ。このモデルにおいてロレックスは、1950年代後半から1970年代末にかけて製造された往年のデイデイトへのオマージュを捧げている。

 当時、まずは曜日のアラビア文字表記から始まり、次いで日付、そして最終的にはアワーマーカー(インデックス)に至るまで、東アラビア数字へと意匠を広げていった歴史がある。初期の時計においてこれらのインデックスが見られる例はきわめて稀だが、トルコ(オスマントルコ)市場向けに製造された懐中時計に見られる「シェブロン(逆V字)型」のマーカーは、実はこの東アラビア数字を高度に様式化したものである。

ロレックス〈デイデイト〉Ref. 228206

 世界で最も広く普及しているアラビア数字のスタイルはフランス生まれである。パテック フィリップからセイコー、そしてもちろんブレゲ自身に至るまで、名だたるブランドの文字盤を彩る「ブレゲ数字」がそれだ。1790年頃に考案されたこの数字だが、そのデザインのインスピレーション源がどこにあったのか、今となっては知る由もない。唯一の手がかりは、ブレゲ自身のサインに見られるような、彼本来の流麗な筆跡(草書体)だけである。芸術的な感性と卓越した視認性を高次元で融合させたこのタイポグラフィは、200年以上にわたり、文字盤デザイナーたちを魅了し続けている。

ブレゲ〈Classique Tourbillon Extra-Plat 5367〉のブレゲ数字

その他の文字

 世界にはアラビア数字やローマ数字以外にも数多くの数字が存在するが、それらが時計の文字盤に採用される例はきわめて稀である。理由は2つある。1つは、時計製造の歴史がこれら2つの数字が支配する西ヨーロッパを中心に発展してきたこと。もう1つは、時計製造が他の地域に普及した時代には、すでにその現地でもアラビア数字が一般的なものとして定着していたためである。

 例えばキリル数字は、18世紀のロシアにおけるピョートル大帝の改革によって大半が廃止された。現代のロシア製時計にキリル文字を見かけることはあるが、それは数字ではなく、愛国的なメッセージを綴った「文字」であるケースがほとんどだ。

 アラビア数字は、時計製造の技術が伝わるよりも前に中国や日本へと到達していた。中国市場をいち早く開拓したスイスブランドの先駆者であるボヴェ(Bovet)も、その文字盤には通常、ローマ数字を採用していた。ボヴェは漢字をアワーマーカーに用いた数少ないメーカーの1つであるが、それは彼らの総生産数のごく一部にすぎない。

 しかし現代では、ロレックスと同様に、多くのブランドが中国や日本市場に向けて漢字(中国語のハンズィ、日本語のカンジ)を取り入れた文字盤を製造している。ただし、これらはレギュラーモデルというよりも、文化的なイベントを記念した限定コレクションとして発表される傾向が強い。ノモス(Nomos)が日本の「文化の日」に合わせてタンジェントの漢字文字盤を発表したほか、ボヴェやグラハム(Graham)も漢字を用いたモデルを世に送り出している。

グラハム〈クロノファイター〉

 アワーマーカーの選択肢がこれほどまでに溢れている現代において、数字という意匠が今なおこれほど頻繁に用いられている事実は、一見すると驚くべきことかもしれない。しかし、数字とは我々の文化的精神に深く根ざした存在なのである。

 ローマ数字を選ぶか、あるいはアラビア数字を選ぶか。そして、それらがどのようなフォントで表現されるか。それこそが、時計そのもののキャラクターを雄弁に物語る最も端的な手法であり、同時に、我々が時計を通じて自らのアイデンティティを表現するための最良の手段なのである。

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