スイスの名門に挑み、天文台コンクールで世界を驚かせたセイコー。その精度への執念は、ハイビート、スプリングドライブ、そしてグランドセイコー独自の美意識へと結
The Slow Burn:My Love Affair with Grand Seiko
遅れてきた恋——私がグランドセイコーを愛する理由
スイスの名門に挑み、天文台コンクールで世界を驚かせたセイコー。その精度への執念は、ハイビート、スプリングドライブ、そしてグランドセイコー独自の美意識へと結実した。ウエイ・コーが、自身の“遅れてきた恋”を通じて、グランドセイコーというブランドの本質に迫る
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by Wei Koh . Jul 28,2025 |
挑戦者たちのドラマ
それは、既得権を握る巨大な存在に挑む“アンダードッグ”の物語だ。
1966年、フォードGT40がフェラーリ相手に、ル・マン24時間レースで1位から3位までを独占した出来事のように。この敗北は、エンツォ・フェラーリがモータースポーツからの撤退を決断する一因になったとも言われている。
もうひとつの“ダビデ対ゴリアテ”の物語は、1976年の「パリスの審判」で起きた。専門家によるブラインド審査で、世界最高の白ワインとして、フランス産の一流品をおさえて、カリフォルニア州カリストガのシャトー・モンテレーナが生産したシャルドネが選出されたのである。
審査員には、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの当主オベール・ド・ヴィレーヌや、『ラ・ルヴュ・デュ・ヴァン・ド・フランス』編集長オデット・カーンといった名だたる人物が名を連ねていた。絶対的権威とされてきたフランスのワインに対し、新興のカリフォルニアが勝利を収めた瞬間であった。

▲ 1973年シャトー・モンテレーナ(カリフォルニア州カリストガ)

▲ パトリシア・ギャラガー(左、テイスティングを最初に提案した人物)、ワイン商スティーヴン・スパーリエ、そして影響力のあるフランスのワイン編集者オデット・カーン。結果が発表された後、カーンは自身の採点表の返却を求めたと伝えられている。「彼女は自分の点数を世間に知られたくなかったのだ」と、その日唯一現場に居合わせたジャーナリスト、ジョージ・テイバーは語っている。
その通りである。ブラインドテイスティングにおいて、クロアチア系アメリカ人の醸造家マイク・グルギッチが就任わずか1年目に手がけた1973年ヴィンテージは、ドメーヌ・ルーロの神話的プルミエ・クリュ「ムルソー・シャルム」(2位)や、ダイアナ妃が愛飲したジョゼフ・ドルーアンの「クロ・デ・ムーシュ」(5位)さえも打ち破ったのである。
その結果は、審査員たちを、そしてフランスという国を、さらには世界のワイン界全体を、唖然とさせた。
しかし、世界における真の“逆転劇”が起きたのは、スイスの湖畔の町ヌーシャテルであった。そこは、著名なヌーシャテル天文台コンクールにおいて、スイス最高の時計師たちがクロノメトリーの王座を目指してしのぎを削る舞台であった。
ところが1967年、日本のセイコーが諏訪精工舎および第二精工舎で製造した時計で、スイスの名だたる時計師たちと同じ土俵で競い合い、4位、5位、7位、8位、12位、13位、20位、25位という成績を収めたのである。その衝撃はスイスの国中に響き渡った。

▲ 1967年、スイス・ヌーシャテルで開催されたヌーシャテル天文台コンクールの上位30位を見渡せば、その年いかにセイコーが圧倒的な存在感を放っていたかが、すぐに理解できるであろう(Source: observatory.watch)

▲ ヌーシャテル天文台クロノメトリー・コンクール(Le Concours chronométrique de l’Observatoire de Neuchâtel)に出品された、ムーブメント番号052123のセイコー作品。同年13位に入賞した。(Image:Grand Seiko)
セイコーブランドの誕生
ここでセイコーの背景を少し振り返ってみよう。時計の針を100年前へと巻き戻す。
1868年に始まった明治時代は、日本にとって希望と可能性に満ちた特別な時代であった。国は鎖国から脱し、近代国家へと大きく舵を切ろうとしていた。その理由は明快である。日本が繁栄するためには、西洋の先端技術を学び、取り入れる必要があったのだ。
その流れの中で、暦もまた改められた。日本はグレゴリオ暦と24時間制へと移行し、それに伴い輸入の時計や懐中時計が急速に流入することとなった。

▲ 1881年にセイコーを創業した若き日の服部金太郎(1889年頃/Image:Seiko)

▲ 左:1897年頃の精工舎工場正門 右:1894(明治27)年には銀座四丁目の角地(現在のセイコーハウス)を購入し、時計台を設置した。総高さは16mだった(Image: Seiko)
1881年、きわめて進取の気性に富んだ服部金太郎は、東京の中心地に時計の小売り・修理を行う「服部時計店」を開いた。そして1892年には初の工場「精工舎」を設立する。その名は文字通り“精巧な時計の生産に成功する工場”を意味していた。
しかし、20世紀前半における同社の歩みは、まるで旧約聖書のヨブの物語を思わせるような試練の連続であった。幾度となく軍需工場へと転換を余儀なくされ、1923年には14万人以上の命を奪った関東大震災によって壊滅的な打撃を受け、さらに第二次世界大戦中には、ひとつを除くすべての工場が爆撃を受けるか、あるいは疎開を余儀なくされたのである。
それでも終戦後、疎開先での生産を再開し、セイコーは再び立ち上がっていく。また、現在の工場にもつながる長野県の諏訪精工舎と、東京・亀戸の第二精工舎という二大工場をそれぞれしかるべきタイミングで再建した。英断は、この二つの工場のあいだに健全な内部競争を促したことであろう。とりわけクロノメトリーの精度向上と、それを支える技術革新において徹底的に競わせたのである。

▲ 1960年12月18日に発売された「グランドセイコー」の初代モデル。ケース径35mm、80ミクロンの14Kの金張り(Image:Grand Seiko)
1959年まで、セイコーは堅実で実用的な時計メーカーと見なされていた。一方で、日本の消費者の憧れは、ロレックスや神話的存在であったパテック フィリップといったヨーロッパのブランドがあった。しかし、セイコーはそんな状況に満足していなかった。
同社が目指したのは、デザイン、仕上げ、そしてとりわけ機能面において、時計界の頂点に立つ存在と肩を並べられる時計をつくることであった。その志のもと、1960年、スイスの最高峰に挑むため、グランドセイコーが誕生した。その嚆矢となったのが、キャリバー3180を搭載したファーストモデルである。
このモデルは今日、象徴的存在となっている。長いラグ、ラウンドケース、存在感のあるドーフィン針、そしてファセット加工が施されたインデックスが特徴であった。ケースは一般に金張りであったが、無垢のプラチナ仕様も存在する。
そして何より重要なのは、文字盤の「Seiko」ロゴの下に「Chronometer」の文字が刻まれたことである。これはムーブメントが厳格な精度検査を経ていることへの自負の表れであった。製造は諏訪精工舎。手巻きキャリバー3180は日差−3秒から+12秒という精度を実現し、スイス公認クロノメーター検定機関(COSC)が定めるクロノメーター基準を日本製時計で初めて満たしていた。

▲ 1960年グランドセイコー製キャリバー3180(Image:Grand Seiko)
スイスvs日本のムーブメント対決
セイコーが、スイスの最高峰に肩を並べるタイムピースのラインを築こうとしていることを察知したスイス側は、日本企業が自前の時計に「クロノメーター」という言葉を用いることに強く反発した。そこでスイス公認クロノメーター検定協会はセイコーに書簡を送り、第二精工舎で製造されたキングセイコーおよび諏訪精工舎製グランドセイコーからその表記を削除するよう求めたのである。
そして、いよいよ世界との本格的な対決が始まった。セイコーはこれに応え、1964年、当時世界で最も苛酷、かつ権威ある精度競技とされていたヌーシャテル天文台コンクールに機械式ムーブメントを送り込んだ。ここでは日差±0.75秒以内、温度変化に対しては±0.20秒以内という極めて厳しい基準が課され、ムーブメントは45日間にわたり徹底的な検査にさらされた。
最初に挑戦したのは、グランドセイコー誕生の地である諏訪精工舎であった。1963年には実験的な水晶時計を出品し、翌年以降、セイコーは第二精工舎と諏訪精工舎からグランドセイコーおよびキングセイコー用の最上級機械式ムーブメントを中心に送り込むようになる。
今日の視点からすれば、機械式時計の精度にそこまでの価値を置くことは、どこか微笑ましく映るかもしれない。しかし機械式時計は、人類史において決定的な役割を果たしてきた。
1761年、ジョン・ハリソンの海洋時計は経度計算を可能にし、自船の正確な位置を割り出せるようになった英国海軍に勝利をもたらした。
1920年には、熱膨張率の極めて低いインバー合金の開発で、シャルル=エドゥアール・ギヨームがノーベル賞を受賞している。精度の向上は、科学と文明の発展そのものに寄与してきたのである。
ヌーシャテル天文台の常連王者は、オメガ、ロンジン、ジラール・ペルゴといったブランドであり、ペゼー260、ロンジン360、ゼニス135といった名キャリバーは、この競技から生まれた。
1964年、セイコーの初挑戦は惨敗であった。出品した2つのムーブメントは144位と153位に沈み、クロノメーター基準に達しなかった。1965年には諏訪精工舎は114位とわずかに前進する。これがむしろ、彼らの闘志に火をつけた。高振動化や新機構の開発に挑み、精度向上を徹底的に追求し始めたのである。
この競争心こそが、後の「ハイビート」そして「スプリングドライブ」というセイコーを象徴する独自の技術革新へとつながっていく。1966年、再挑戦の舞台でついに第二精工舎は9位を獲得し、セイコーは世界の精度競技に確かな足跡を刻んだのであった。

▲スイス・ヌーシャテルで開催された天文台コンクールにおける1964年のセイコーの成績は芳しいものではなかった。最高順位は144位にとどまっていたのである(Source:observatory.watch)
1967年、セイコーの運命は大きく動いた。4位、5位、7位、8位、そして12位に入賞したのである。4位に入ったのは第二精工舎製のキャリバー052。毎時36,000振動のハイビートムーブメントであった。
そして1968年、事態はさらに劇的な展開を見せる。セイコーのムーブメントがあまりにも優れた成績を収めたため、スイス側はなんと競技そのものを中止してしまったのである。冗談ではない。まさに「これで終わりだ」と言わんばかりの幕引きであった。
後に、セイコーは2位、そして4位から8位までを独占していたときいたことがある。当時、スイス側はベータ21というクオーツムーブメントを導入していた時代である。それにもかかわらず、セイコーは機械式でこれに肉薄したのであった。
競技中止後もセイコーは諦めなかった。ムーブメントを携えてジュネーブ天文台へ移り、そこで再び挑戦。1位から3位まではベータ21のクオーツ時計であったが、4位から10位まではすべてセイコーが占めたのである。これは、大海原で帆船が最新鋭のモーターボートに迫る、あるいは打ち負かすような出来事であった。ここに、グランドセイコーの伝説は確立されたのである。
さらに1969年、セイコーはキャリバー4520Aを103個ヌーシャテル天文台に提出し、そのうち73個がクロノメーター認定を受けた。これらは「天文台クロノメーター検定合格モデル」として、クッション型ケースの特別モデルに収められ、市販された。
量産機として真に天文台認定ムーブメントを搭載した時計を販売したブランドは極めて少なく、セイコーはその一角を占める存在となった。私にとって、これらは実に魅力的なセイコーの時計である(なお、同様に量産ムーブメントを競技で認定させ、市販したブランドとしてジラール・ペルゴが挙げられる。特筆すべきは、ジラール・ペルゴが競技で認定されたムーブメントをそのままシリーズとして販売した唯一のメーカーであった点である)

▲ 1969(昭和44)年にセイコーから73個だけ発売された「天文台クロノメーター検定合格モデル」(Image:Grand Seiko)
グランドセイコーの美
これは実に素晴らしい物語である。だがそれは、私にとって、あくまで“技術の話”にすぎなかった。精度競技の栄光には心を動かされたが、心の深い部分までは届かなかったのである。
グランドセイコーを手に取るたび、その技術力と品質の確かさには感嘆したものの、長年にわたるスイス時計への愛情と比べれば、どこか冷静に距離をとっていた。
しかし最近、啓示の瞬間が訪れた。それは、パンデミックによって世界が一変する直前、ロンドンのグランドセイコーブティックで開かれたイベントでのことだった。あの瞬間、私は突然理解したのである。グランドセイコーの美とは何かを。
その本質は“他者性”にある。自らのデザイン言語以外から決して影響を受けないという、頑ななまでの姿勢である。
長野の雪景色から着想を得た文字盤。クオーツ技術とアナログを融合させたハイブリッド機構スプリングドライブ。ISO規格にまで影響を与えたダイバーズウォッチ。別次元とさえ言える仕上げの水準。独特でありながら、最終的には圧倒的に美しく、しかも普遍性を備えている。
その個性は一見すると風変わりではある。だが見続けるほどに、その必然性と強さが心に沁みてきた。そして気づけば、私は一本を手に入れずにはいられなくなっていた。——事の顛末は、こうである。

▲57GSセルフデーターは1964年に一般発売された(Image:Grand Seiko)

▲ 左:1967年、グランドセイコー Ref.44GS 右:1968年、グランドセイコー Ref.61GS(Image:Grand Seiko)
グランドセイコーの歴史には、魅力的な側面がいくつもある。なかでも、デザイナー田中太郎が確立した「デザイン文法」は象徴的だ。この思想から生まれたのが、1964年の57GS、1967年の44GS、1968年の61GSである。
私がグランドセイコーをクールだと感じるのは、そのデザイン言語にある。力強く、鋭くファセット加工された一体型ラグ。極限まで要素を削ぎ落とした、禅的とも言える純粋な文字盤。西洋の時計デザインとは明らかに異なる独自性がある。
その美学を理解するまでには、正直なところ時間がかかった。ちょうど日産GT-Rの超硬派な魅力がわかるのに、時間が必要だったのと同じである。
しかし、私を本当に惹きつけ、深く引き込んだのは別の部分であった。それは、セイコーが切り拓いた二つの先駆的ムーブメントである。ひとつは、1967年と1968年の天文台コンクールを席巻する原動力となったハイビート(高振動)ムーブメント。もうひとつは、クオーツと機械式の長所を融合させた革新的機構、スプリングドライブである。
ハイビート・キャリバー
61GSは、田中太郎の「デザイン文法」を完璧に体現した時計というだけでなく、セイコーの高級機として初めてハイビート・ムーブメントを搭載したモデルとしても特筆される。
では、高振動ムーブメントの理論とは何か。機械式時計において、テンプと脱進機は調速機構の中枢である。テンプは一定の間隔で往復振動し、脱進機によってロックとアンロックが繰り返されることで規則正しい振動を維持する。
マリンクロノメーターは、テンプの振動数が毎時18,000振動(vph)以下と比較的低速であるにもかかわらず、極めて高い精度を誇る。それは、ジンバル機構によって船の揺れから調速機構が守られているからだ。
しかし腕時計の場合、手を叩いたり、腕を振ったりといった日常の動作によって、無数の微細な衝撃にさらされる。考えてみれば、毎秒5回から10回も振動している小さなテンプが精度を保っているという事実は、ほとんど魔法のようである。
研究の結果、テンプの振動数を高めることで、衝撃や重力、その他の外的要因からより自律性を得られることが判明した。36,000vph(10Hz)という高振動ムーブメントを最初に商業化したのはジラール・ペルゴである。
1967年、セイコーは初のハイビート・キャリバー5740C(10Hz)を発表した。ただしこれはグランドセイコーではなく、「ロードマーベル」というモデルに搭載された。そしてハイビートを備えた最初のグランドセイコーが、61GSである。このモデルは、デザインと技術の両面において傑出していた。
興味深いことに、61GSの製造数は合計36,000本だった。ヴィンテージの初期グランドセイコーを検討するなら、このモデルは理想的な出発点だろう。価格も比較的手が届きやすい、約2,500米ドル前後で推移している点も魅力である。

▲ 毎時36,000振動のムーブメントを搭載した1967年製ロードマーベル(Image:Seiko)
そしてハイビート・ムーブメントに興味があるなら、知っておくべきことがある。2020年、グランドセイコー誕生60周年を記念して、ブランドはまったく新しいハイビート・ムーブメント「キャリバー9SA5」を発表した。
このムーブメントは、約80時間へと延長されたパワーリザーブを備え、改良型のテンプ、テンプを押さえる両持ち式のフルバランスブリッジ、新型ヒゲゼンマイ、そして極めて革新的な脱進機を搭載している。
この新しい脱進機は、従来のスイス式アンクル脱進機を廃し、「デュアルインパルス脱進機」を採用した点が最大の特徴だ。八つの尖端を持つガンギ車が、レバー式機構と連動し、テンプが反時計回りに振れるときにのみ摩擦が発生する仕組みとなっている。これによりエネルギー効率が向上し、精度も高められている。
この、より進化し、より大胆になったハイビートは、エレガントなドレスウォッチ「SLGH002」に搭載された。

▲グランドセイコー 2020年製 ハイビートムーブメント・キャリバー9SA5。発表当時の限定モデルに搭載された特別仕様。(Image:Grand Seiko)

▲ グランドセイコー2020年ハイビートムーブメント・キャリバー9SA5のために新開発された脱進機ユニット。オーバーコイル式ヒゲゼンマイを装備(Image:Grand Seiko)(※現在のムーブメントとは一部仕様が異なります)

▲ グランドセイコー 60周年記念限定モデル SLGH002。瞬時切替式デイトを搭載。ケースバックから望むハイビートムーブメント・キャリバー9SA5(Image:Grand Seiko)※生産終了
この限定モデルは、まさに究極のスリーパーである。一見すると端正な三針時計に過ぎない。だが、そのケースの内側では、世界で最も先進的な10ヘルツ・ムーブメントが脈打っている。
スプリングドライブ・ムーブメント
さて、ここでグランドセイコーのスプリングドライブについて触れておこう。時を1960年代後半に戻すと、時計界における高振動ムーブメントの試みは、クオーツ時計の登場とその急速な普及によって姿を消していく。皮肉なことに、その幕開けとなったのは1969年に発表されたセイコーの「クオーツ アストロン」であった。
実際、スイスで「クオーツ・クライシス」と呼ばれたクオーツ革命の影響で、グランドセイコーも1970年代半ばから休眠期間を経ることとなる。では、クオーツ時計とは何か。
それは、機械式のテンプに代わり、水晶振動子を用いた時計である。水晶に電気信号を送ると、毎秒32,768回という極めて高い周波数で振動する。理論上、これは機械式時計よりも桁違いに高い精度を実現するはずだ——少なくともそう言われていた。ここで再び、1968年のジュネーブ天文台コンクールを思い出してほしい。
興味深いことに、クオーツ技術を最初に開拓したのは日本ではなくスイスであった。1967年、世界初のアナログ式クオーツ時計の試作機「ベータ1」が発表されている。しかし、市場投入でスイスを出し抜いたのは日本、すなわちセイコーであり、1969年の「クオーツ アストロン」がそれを証明した。
クオーツ時計には弱点もあった。電池による電力供給と、定期的な交換が必要だったことだ。また、秒針は1秒ごとにカチリと前進する。無機質で正確ではあるが、優雅さに欠けると感じる者も少なくない。
興味深いことに、ロレックスはすでに1950年代に「トゥルービート」と呼ばれる機械式時計を発表している。これはスイスの伝統的な“デッドビート”機構を備え、通常の機械式時計のように秒針が滑らかにスイープするのではなく、1秒ごとに進む仕様であった。しかし生産数は少なく、販売も限定的で、わずか5年で製造中止となっている。

▲ 機械式時計の高精度化を構想した赤羽好和(Image: Seiko EPSON)
現在「信州 時の匠工房」を構成する主要工房の一つであるマイクロアーティスト工房が所属するセイコーエプソン塩尻事業所内で、1977年に、赤羽好和という時計界の“異端児”が、機械式とクオーツの長所を融合させたムーブメントを生み出した。それがスプリングドライブである。
スプリングドライブは、しばしばSF的な比喩で語られることがある。すなわち「人間の肉体がロボットの骨格を覆い、コンピューターの頭脳で動くサイボーグ」のような存在だ、と。
しかし実際はまったく異なる。グランドセイコーのスプリングドライブは、輪列の最後の歯車に至るまで、構造的には機械式ムーブメントとほぼ同一なのである。
さらに、セイコー独自の高効率自動巻き機構「マジックレバー」と組み合わせることができ、あるいはスプリングドライブ誕生20周年を記念して発表されたSBGZ001に搭載されたキャリバー9R02のように、美しい手仕上げを施せば、それは壮麗なムーブメントへと変身する。それは手彫りのケースとダイヤルを備え、技術と工芸の極致といえるものだった。
では、スプリングドライブはどのように作動するのか。動力は従来どおりゼンマイを収めた香箱に蓄えられ、通常の輪列を通じて伝達される。だが、世界中の99パーセントの時計に見られる脱進車、スイス式アンクル、テンプの代わりに搭載されているのが、クオーツ式時計に用いられるIC・水晶振動子の電気信号を利用し、電磁ブレーキをかけるという、セイコーが「トライシンクロレギュレーター」と呼ぶ調速機構なのである。

▲ SBGZ001(2019年・プラチナ・30本限定)搭載 手巻き3.5日巻スプリングドライブムーブメント・キャリバー9R02(Image: Grand Seiko)

▲ トライシンクロレギュレーターは、主に3つの要素で構成されている。① 「動力ぜんまい」 ぜんまいのほどける力で発電を行う。②「IC・水晶振動子」 水晶振動子が、基準となる正確な信号をICに発信する。③ 「ローター」 ローターのブレーキをかけて調速する。(※使用している画像は9RB2のものです。ムーブメントの構造、パーツの仕様はキャリバーによって異なります)
では、「トライ」とは何を意味するのか。それは、この調速機構に働く3種類のエネルギーを指している。
第1は、動力となる機械的な力、第2は、正確な信号である電気信号、第3は、ブレーキの役割を担うローターによる磁力。
仕組みはこうだ。輪列の最終段に位置する重要なパーツがローターである。このパーツは、コイルに取り付けられたふたつの磁石の間で回転する。コイルによって磁気エネルギーは電気エネルギーへと変換され、その電力はICとクオーツ振動子へ送られる。
ICは水晶振動子の振動回数を計測し、その情報に基づいて電流を電磁石へと送り返す。電磁石はローターに磁力のブレーキをかけ、その回転を精密に制御する。
こうして時間は刻まれる。ゼンマイは、エネルギーが減衰していく過程においても、一定かつ安定した速度で解け続ける。これがスプリングドライブの真骨頂だ。
磁気の影響を受けにくく、極めて高い耐衝撃性を備え、さらに2020年次世代ムーブメントとして発表されたキャリバー9RA5では温度補正制度をさらに向上させた。ひと言で言えば、限りなく誤差に近づかない機構である。
そしてもうひとつの魅力がある。文字盤中央の秒針は、断続的なエネルギーのパルスではなく、滑らかな動力によって駆動される。そのため針は円周を静かに、絶え間なく滑っていく。まるでサングラスにシルクのパジャマ姿でヘネシーを傾けるバリー・ホワイトのような、あの圧倒的なスムーズさを思い浮かべてほしい。

▲ グランドセイコー誕生60周年記念限定モデル プロフェッショナルダイバーズ600m SLGA001。2020年発表の5日巻キャリバー9RA5を搭載。生産終了(Image © Revolution)

▲ 2020年スプリングドライブ5日巻キャリバー9RA5に採用された「オフセットマジックレバー」。高い巻き上げ効率を維持しながら、ムーブメントの薄型化を実現する(Image:Grand Seiko)

▲ 新設計ベースプレートと温度補正機構を備えた、2020年発表スプリングドライブ5日巻キャリバー9RA5。60周年記念限定モデルを駆動する(Image: Grand Seiko)
スプリングドライブの魅力は、機械式とクオーツ、それぞれの長所を取り込み、ひとつの完成された機構とした点にある。
機械式時計の美点――すなわち、着用や手巻きによって得られるゼンマイの力だけで駆動するという純粋性。そして、毎秒32,768回振動する高精度の水晶振動子というクオーツの強み。その双方を融合し、他に類を見ない独自のパッケージとして結実させたのがスプリングドライブなのだ。
では、その精度はどのくらいだろうか。グランドセイコーのスプリングドライブは、日差±1秒以内。これは、最も精度の高い機械式時計の約2倍に相当する。
私はスプリングドライブの仕組みを完全に理解した瞬間、たちまちその魅力に取り憑かれた。そして、いつか必ずグランドセイコーのスプリングドライブを手に入れようと心に決めた。
だが、その時点で私はまだ、グランドセイコーのもうひとつの重要な次元を見落としていた。それは、仕上げに対する執念――完璧なフィニッシングへのこだわりである。
スプリングドライブ20周年記念限定モデル SBGZ001
少々気恥ずかしい告白だが、この10年近く、私は遠近両用眼鏡を必要としていた。そう、“年配者がかけるあの眼鏡”だ。なにしろ私も、もう立派な年配者なのだから。
よく冗談でこう言っていた。
「パテック フィリップの永久カレンダーを買えるようになったその日こそ、実はその表示が読みにくくなる日なのだ」と。
だが冗談ではなく、もともと近視だった私の視力は急速に衰え、ついにはプライドと虚栄心を捨て、“老眼鏡”を手に入れざるを得なかった。
最初はレンズ越しの、どこか宙に浮くような感覚に戸惑ったものの、慣れてしまえばそれは新しい世界を開いてくれた。再び読書を心から楽しめるようになったのだ。
そんな自分に少し満足しながら、バーゼル・フェアでグランドセイコーのブースを訪れた。英国におけるブランド責任者、デイヴィッド・エドワーズとのアポイントメントのためだ。そして彼が私の前にそっと置いた一本の時計に、私の心は完全に奪われた。
それが、先に触れたマイクロアーティスト工房による手彫りの彫金を施した、プラチナ製、手巻き、スプリングドライブ20周年記念、世界限定30本のモデル――SBGZ001である。

▲ 2019年発表 スプリングドライブ20周年記念限定モデル SBGZ001(プラチナ製・30本限定)生産終了(Image © Revolution)
新調した“超高解像度”の老眼鏡越しにそれを覗き込んだ瞬間、私は椅子から転げ落ちそうになった。これまでの人生で見た中で、新作としては、最も美しい三針時計だったからだ。誇張ではない。本当に、息を呑むほどに魅惑的だった。
とりわけ圧倒されたのは、その仕上げの完成度である。手作業による面取りを施した壮麗なムーブメントはもちろんのこと、針やインデックスに至るまで、他ブランドであればトゥールビヨンのブリッジにしか見ないほどの水準の仕上げが惜しみなく施されていた。
デイヴィッドがグランドセイコーの「ザラツ研磨」の哲学――光を完璧に反射させる鏡面仕上げ――について説明してくれたとき、私は思わず叫んだ。
「いや、でもこれは7万3,000ドルの時計でしょう? さすがに、もっと手頃な価格帯のモデルには当てはまらないのでは?」
すると彼は、ためらいもなく自分の腕から時計を外して差し出した。そこにあったのは、同じ完璧さだった。ベゼルのポリッシュ、ラグのエッジ、デイト枠の面取り、さらにはブレスレットの細部に至るまで、寸分の曇りもなく輝いていた。あまりの精緻さに、私は思わず息を呑んだ。
私は次から次へと時計を手に取り、ルーペで覗き込んだ。どの一本からも、品質に対する執念が伝わってくる。スプリングドライブに対して抱いていた畏敬の念に、この完璧な仕上げへの献身が加わったとき、私は無意識のうちに財布に手を伸ばし、プラチナのSBGZ001を購入する決意を固めていた。――その価格の十分の一すら、自由に使える金がないことに気づくまでは。
スプリングドライブ “スノーフレーク(「雪白」ダイヤル)” SBGA211
そのとき私は、新調したあまりに鮮明な老眼鏡を恨めしく思い始めていた。あれほどの美と完成度を見せつけられながら、それが自分の銀行口座のか細い限界をはるかに超えているのだから。
私をとりわけ魅了したのは、長野の月明かりに照らされた雪面を思わせる、静謐で瞑想的なダイヤルの表情だった。その吸い込まれるような質感は、眺めているだけで心を鎮める力を持っていた。思わずデイヴィッドに嘆きを漏らすと、彼は静かにこう返した。
「“スノーフレーク”はご検討されましたか?」
私は愚かにもこう答えた。
「スノーフレークって何ですか?」
彼は、自分の腕に着けていた時計を指差した。ちょうど私は、それを自分の腕に着け替え、彼に気づかれないうちに持ち去れないものかと淡い期待を抱いていたところだった。冗談だ……、いや、半分は本気だったかもしれない。
SBGA211、グランドセイコー通称“スノーフレーク(「雪白」ダイヤル)”は、現代におけるグランドセイコーのアイコンである。
1988年、グランドセイコーはまずクオーツのみで復活を遂げ、1998年には機械式キャリバー9Sを発表。これを搭載したモデル9SGSによって、再び機械式の系譜を取り戻した。
そして、この“スノーフレーク”のデザインは、発表から実に15年を経た今もなお、ほとんど変わることなく受け継がれている。
私がいまこの原稿を書きながら腕に着けている“スノーフレーク”の造形は、実は発売当初、完全には理解できていなかった。しかし時を経て、その真価がゆっくりと私のなかに浸透していったのである。

▲ 左: 諏訪精工舎(現セイコーエプソン)はクオーツ技術を牽引し、1999年にはスプリングドライブを完成させた。写真は2005年に発売されたブライトチタン製スプリングドライブモデル SBGA011 右: 1998年、第二精工舎(現セイコーインスツル)は機械式キャリバー9Sを発表。これがグランドセイコー機械式コレクションの中核となった。写真は3日巻パワーリザーブを備えた初の機械式モデル SBGR001。(Image: Grand Seiko)

▲スプリングドライブ “スノーフレーク(「雪白」ダイヤル)” SBGA211(Image: Grand Seiko)
それはスポーツウォッチでもなければ(実際、ダイヤルにも針にも夜光塗料はない)純粋なドレスウォッチでもなかった。サイズはやや大きく、厚みもある。しかし一体型ブレスレットを備え、控えめで少しひねりの効いたスポーツシックな存在感を放っていた。
グランドセイコー、とりわけSBGA211を理解するには、実際に腕に載せてみる必要がある。まず驚くのは、その軽さだ。見た目は堅牢そのものなのに、信じられないほど軽い。それもそのはず、ケースはセイコー独自の「ブライトチタン」で製作されている。重量がステンレススチールより約30%軽く、通常のチタンよりも色が明るく、更に傷つきにくいという特性を備えている。
そしてもうひとつ重要なのは、この時計が“高価なものの感触”を持っているということだ。目を閉じて手のひらに載せてみてほしい。
これは私がパテック フィリップでよく試す方法でもある。肌に触れた瞬間の心地よさが違うのだ。グランドセイコーも同様で、すべての面が徹底的に研磨され、人間工学に基づいて磨き上げられているため、着けていることを忘れてしまうほど腕になじむ。
普段、私は原稿を書くとき時計を外す。しかしこの“スノーフレーク”だけは違う。この5,000語に及ぶ原稿を書いているあいだも、ずっと腕に着けたままなのである。

▲ グランドセイコー スプリングドライブ “スノーフレーク(「雪白」ダイヤル)” SBGA211(Image: Grand Seiko)
時計を裏返せば、1982年に開発がスタートしたスプリングドライブ・ムーブメントが姿を現す。
丁寧に仕上げられたその美しい景色を覗き込めば、この機構がいかに純粋に機械式であるかが見えてくる。伝統的なムーブメントと異なるのは、人工ルビーの穴石とローターの部分のみであり、それ以外はほぼ機械式そのものと言ってよい。ブリッジは、いわゆるジュネーブ・ストライプと呼ばれる装飾が施されている。
SBGA211は自動巻きムーブメントを搭載し、セイコー独自の高効率「マジックレバー」機構の恩恵を受けている。

▲ SBGA211に搭載される「キャリバー9R65」。現在も9Rスプリングドライブの最もスタンダードなムーブメント。72時間のパワーリザーブ(Image:Grand Seiko)
ダイヤルレイアウトに関して言えば、SBGA211は2004年に登場したSBGA001/003(SBGA211と同様の、キャリバー9R65搭載モデル)――すなわち最初のグランドセイコー・スプリングドライブ――と基本的に変わらない。
大ぶりで美しく仕上げられたソード型の時分針、炎のように青く焼かれた秒針(最初のグランドセイコー・スプリングドライブはシルバーの秒針)、8時30分位置のパワーリザーブ表示、そして3時位置の日付窓。構成は明快だ。
そこにあるのは、禅的とも言うべき削ぎ落とされた調和と静寂である。この時計を眺めていると、心が自然と穏やかな状態へと導かれる。とりわけ秒針の滑らかなスイープ運針は、時間が冷酷に終末へ向かって進んでいくという観念を和らげるかのようだ。
しかし、このモデルが“スノーフレーク”と呼ばれる所以は、何よりもそのダイヤルの表面にある。そこには、長野県にある工房の近くにある穂高連峰雪原に着想を得た、繊細で不均一なテクスチャーが広がっている。
タペストリーでもなければ、サンレイでも、ギヨシェでも、フロステッド仕上げでもない。西洋のダイヤル装飾への参照は一切ない。これは、完全に、そして見事に、日本の感性から生まれた造形なのである。
SBGZ001のように手彫りで仕上げられているわけではない。しかしそのダイヤルの製作工程は驚くほど複雑で、その表情の裏には精密な技術が隠されている。

▲“スノーフレーク”SBGA211の印象的なダイヤル(Image: Grand Seiko)
雪のパターンは、まず型押しによってダイヤルに刻まれ、その上から銀めっきをベースとした特殊な加工を施し、さらに磨き上げる工程をあえて途中までで止めることによって、金属の地肌を生かしていく。この“スノーフレーク”は白の塗料を使っていないのだ。
ロシアのシュプレマティズムを代表する前衛画家、カジミール・マレーヴィチは、その代表作《白の上の白》を描いた際にこう語った。
「白は無限の色である」と。
グランドセイコー“スノーフレーク”のダイヤルを見つめていると、まさにその言葉の意味がわかる。吸い込まれるような白の奥行き、そして滑らかに円周をなぞる秒針。その動きに身を委ねていると、自分が無限の時間の流れと、静かにつながっているかのような感覚を覚えるのである。

▲ カジミール・マレーヴィチ《白の上の白》(1918年)

▲左:“スノーフレーク”ダイヤルの型押し工程。右:針の取り付け作業(Image: Grand Seiko)

▲ 左:“スノーフレーク”ダイヤルへのインデックス装着工程。右:素地の検査(Image: Grand Seiko)
それから一年のあいだ、私は“スノーフレーク”のことを忘れることができなかった。そしてついに、デイヴィッド・エドワーズと共に開催したRevolution×グランドセイコーのイベントで、私はこう言った。
「デイヴィッド、あなたと一緒にこのイベントを主催するのに、顧客でないままではいられません!」
ショーウィンドウに置かれていたSBGA211“スノーフレーク”には、すでに目星をつけ、取り置きまでしていた。そして、その場で購入したのである。
面白いことに、まさにその直後、サヴィル・ロウのテーラー、ハンツマンのフロント・オブ・ハウスを務める友人であり、同じく時計愛好家のジョニー・アレンが店に入ってきてこう叫んだ。
「“スノーフレーク”を買いに来たよ!」

▲ デイヴィッド・エドワーズ(セイコーUKリミテッド代表)
そして今、この原稿を書いている時点で購入からちょうど2カ月が経った。新型コロナウイルスの混乱と隔離生活のただ中にあって、あえて言おう。グランドセイコー“スノーフレーク”は、私の正気を保ってくれた一本である。
まず第一に、とにかく頑丈だ。スピンバイクを漕ぐときも腕に着けたまま。インスタグラムで、ぴちぴちの若者たちがコーチするHIITワークアウトを、不器用に真似るときも外さない。さらにはシャドーボクシングまで――。普通なら機械式時計を着けて行うようなことではないが、スプリングドライブの精度は、一秒たりとも狂わない。
そしてもうひとつ。視覚的にも触覚的にも、この時計は純粋な快楽をもたらす。細部まで徹底的に磨き上げられたその完成度は、見るたびに心を奪う。
正直に言えば、グランドセイコーに心を開くまでには時間がかかった。電撃的な恋というより、じわじわと熱を帯びる“スローバーン”だった。しかし一度火がつけば、その熱量は計り知れない。
入り口は、セイコーが成し遂げた驚異的なクロノメトリーの実績や技術革新だった。だが最終的に私の心を動かしたのは、仕上げの完璧さと品質への執念であった。
50歳になって初めてグランドセイコーを購入した私にとって、これはまさに新しい収集人生の始まりである。どうやら私とこのブランドの関係は、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』さながらだ。時間を越えて続く愛の物語なのである。あとは、あのマイクロアーティスト工房のモデルのために、7万3,000ドルを誰か貸してくれればいいのだが⸻。
※この原稿は2020年5月22日に公開された記事の改訂版です。
Brand:Grand Seiko
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