ゴールドを惜しみなく使った〈キングマイダス〉は、その代表格である。神話に着想を得た唯一無二のデザインと圧倒的な存在感。その誕生の背景と、いま再評価される理由を追う。
The Rolex King Midas: Worth its weight in Gold
ロレックス〈キングマイダス〉──その重みに値する黄金の時計
ロレックスといえば〈サブマリーナー〉や〈デイトナ〉を思い浮かべる人が多い。しかし、その長い歴史には、ブランドのイメージからは想像もつかない大胆な実験作が存在した。18Kゴールドを惜しみなく使った〈キングマイダス〉は、その代表格である。神話に着想を得た唯一無二のデザインと圧倒的な存在感。その誕生の背景と、いま再評価される理由を追う。
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by Nick Foulkes. Oct 28, 2020 |
ロレックス〈キングマイダス〉の輝き
最近、私はロンドン、バーリントン・アーケードをぶらついていたのだが、そのときジョージ・ソムロの店のショーウインドウに並ぶ一本の時計に目を奪われた。
ソムロはヴィンテージ・オメガの正規取扱店として知られ、ヴィンテージのカルティエやパテック フィリップ、さらに1960〜70年代のピアジェにも強い店だ。
だが、今回目にしたのは、ここ数年ロンドン・ウエストエンドの洒落たショーウインドウでは見かけることのなかった時計だった。
ガドルーン装飾を施したケースとブレスレットを備えるロレックス〈チェリーニ“キングマイダス”〉である。
ヴィンテージウォッチ市場の嗜好を映す風見鶏として見れば、ソムロほど信用できる存在はない。しかも、ウエストエンドの家賃を考えれば、売れない商品をショーウインドウに飾っておく余裕などあるはずもない。
となれば、ロレックス史の奥深くに埋もれていたこの異端作が、いま再評価の波に乗り始めたということなのだろう。むしろ不思議なのは、「なぜここまで長く見過ごされてきたのか」という点だ。
私がキングマイダスをこれほど好む理由も、おそらくそこにある。この時計は少なくとも一世代にわたり、ロレックス一族の“厄介者”として過小評価され、忘れ去られてきた存在だった。
ロレックスに詳しいと自負する人でさえ、「ロレックスが手掛けたナンバードかつリミテッドのシリーズは、1970年代に登場した伝説的なRef.5100“ロレックス クォーツ”だけだ」と、こともなげに語る。
だが実際には、クォーツショックの暗雲が立ち込めるはるか以前から、ロレックスはすでにシリアルナンバー入りの限定シリーズを送り出していたのである。
その独創的なデザインゆえ、多くの人はキングマイダスを1970年代の時計だと思い込んでいる。しかし実際には、1962年の時点ですでにロレックスのカタログへ掲載されていたのだ。

▲ロレックス〈キングマイダス〉にふさわしい絢爛たる装いのニック・フォルクスと私物のロレックス〈キングマイダス〉Ref.9630(©Revolution)
時代を先取りしすぎた異端児
ロレックスがこれまで世に送り出してきた時計のなかでも、キングマイダスは最も大胆な作品のひとつだった。
それは時代を大きく先取りしていた一方で、同時に時代錯誤ですらあり、さらに言えば、あまりにも唯一無二であったがゆえに、既存のカテゴリーには収まりきらない時計だった。
その名が示す通り、この時計は18Kゴールドを惜しげもなく用いた、きわめて豪奢な存在である。実際に腕に載せると、その感覚は決して忘れられない。
キングマイダスは、まるで18Kゴールド製の手錠のような重量感をもって手首にのしかかる。だが、この時計の魅力は単に大量の貴金属を使ったことだけではない。
可動式リンクによって構成されたブレスレットは、時計のブレスレットというより、むしろ戦車のキャタピラーを思わせる造形だった。
しかもケースとブレスレットは単に調和しているだけではない。時計本体がどこで終わり、ブレスレットがどこから始まるのか判別できないほど、一体化されていたのである。
21世紀の今日においてすら、キングマイダスは特異な時計に見える。まして1960年代初頭においては、まるでUFOのような存在だったに違いない。
キングマイダスが早くから採用していたケース一体型ブレスレットのデザイン、そして強烈に直線的な造形は、後にパテック フィリップやオーデマ ピゲで一体型デザインの名手として知られるジェラルド・ジェンタが、この時計のデザインに関与していたのではないかという憶測を呼ぶことになった。
その真偽はともかく、この時計が細部に至るまで大胆なデザイン実験であったことは間違いない。
鋸歯状のプロファイルを持つリュウズや、巧妙に隠されたコンシールドクラスプは、それまでのロレックスには見られなかった意匠である。
さらに、ダイアル上には装飾的なΜΙΔΑΣというギリシャ文字が配されている。リュウズ脇のケース側面には、“Rolex King Midas” の文字が刻まれている。
なお初期シリーズでは、後年のモデルと異なり、ダイアル上には “Rolex” と “Cellini” の文字しか記されていなかった。

▲ニック・フォルクス私物のロレックス〈キングマイダス〉Ref.9630(©Revolution)
〈キングマイダス〉──黄金で築かれた真の傑作
この時計を理解する鍵は、その名そのものにあった。
ケースからブレスレットに至るまでソリッドゴールドを惜しみなく用いたキングマイダスは、ロレックスのみならず、当時の時計業界全体においても“最も重く、最も高価な男性用腕時計”として喧伝されていたのである。
当時の広告は、熱に浮かされたような調子でこう謳っている。
「これまでに存在しなかったほど大胆に新しく、常識外れなまでに異彩を放ちながら、なお古典的調和を備えた時計。黄金の手を持つ伝説の王にちなんで名づけられ、18Kソリッドゴールドの塊から削り出されたキングマイダスは、この世界でもっとも目の肥えた人々のために生み出された時計である」
さらに広告は続ける。
「一本一本が、驚くほど重厚なゴールドの塊である。非常に重く……そして、非常に高価だ」
そして最後には、ほとんど挑発的ともいえる一文が添えられていた。
「あなたには買えないかもしれない。しかし、一目見ずにはいられない。夢を見るために来てほしい。ミダス王を見よ。ミダス王に触れよ。どんな写真でも真価を伝えきれない、黄金の傑作である」
議論の余地なく、キングマイダスは極端すぎた。誰もこの時計を必要としてはいなかった。だがそれを言うなら、海面下11km、マリアナ海溝の底で動作する時計を必要としていた人間もまた存在しない。
重要なのは、「必要だったか」ではない。ロレックスにはそれを作る技術があり、そして実際に作ってしまう大胆さがあったということだ。
実に興味深いのは、ロレックスが地球最深部を目指す潜水艇トリエステのため、半球状風防を備えた〈ディープシー〉を開発していたまさにその時代に、一方ではそれと対極に位置する時計──キングマイダスをも同時に生み出していたという事実である。

▲ Ref.9630には、ロレックス〈キングマイダス〉のために特別に用意された、壺型のプレゼンテーションボックスが付属していた(Image:sothebys.com)

▲ロレックス〈キングマイダス〉の壺型ボックスは、神話に登場するミダス王の酒器“スタムノス”を模した黒いケースで、そこにはシレノスがミダス王の前へ連れてこられる場面が赤で描かれている(©Revolution)
ロレックス、そしてアヴァンギャルドな1960年代
キングマイダスによって、ロレックスは新しいタイプの腕時計を出そうとしていた。
1957年、家族経営の名門ピアジェは、それまでのムーブメント供給メーカーから大きく飛躍し、Cal.9Pという驚異的なムーブメントを発表する。厚さわずか2mmの超薄型手巻きムーブメントである。
このCal.9Pによって、ピアジェは前衛的デザインを備えたエレガントなドレスウォッチを次々と世へ送り出した。
しばしばオニキスやラピスラズリなどのハードストーンダイアルを組み合わせたそれらの時計は、従来の時計とはまったく異なる美意識を提示していた。
つまりこの時代、新たな“時計装飾の言語”が生まれつつあったのである。そしてキングマイダスを通じて、ロレックスは自らもその言語を自在に操れることを証明しようとしていた。
さらにロレックスとしてはきわめて異例なことに、キングマイダスRef.9630は1000本限定で製造され、各個体にはケース接続部近くのブレスレット裏側へシリアルナンバーが刻印されていた。
時計本体は、一方が直線、もう一方が鋭く尖った左右非対称の造形を持つ。そして側面を下にして置くと、そのシルエットは古代神殿のペディメントとティンパヌムを思わせる。
当時の広告には、こう記されている。
「われわれはこれを、古代ギリシアへの現代的オマージュとして創造した」
もっとも、パッケージをひと目見れば、この時計が古代世界へ深く傾倒していたことは誰の目にも明らかだっただろう。
その“箱”自体が、ひとつの芸術作品だったのである。
初代〈ノーチラス〉のコルク製ボックスや、1969年の〈オメガ スピードマスター アポロXI トリビュート〉に付属した月面クレーター型ボックスと並び称されるべき、単体で収集価値を持つ傑作だった。
その着想源となったのは、大英博物館所蔵の古代ギリシア陶器の傑作“ミダスのスタムノス”である。紀元前440年頃に制作された蓋付き陶器で、壺とアンフォラ双方の特徴を備える器だ。
黒地の上には赤絵で、シレノスがミダス王の前へ連れてこられる場面が描かれている。
その2500年以上前の器に描かれているのは、こんな場面である。
“泥酔して農民に発見されたサテュロスの老賢者シレノスが、フリュギア王ミダスのもとへ連れてこられる。ミダスは彼が酒神ディオニュソスの師であることを見抜き、数日にわたり手厚くもてなした。そしてディオニュソスのもとへ送り返した礼として、ミダスは「あらゆるものを黄金へ変える力」を授けられる”
この神話場面は、聖杯を思わせる形状のキングマイダス用“スタムノス”ボックスの蓋にも再現されている。さらにその表面には、古代世界の戦闘場面までも描かれていた。

▲ 1970年、ヒューストン・アストロドームで開催されたヒューストン・ライブストック・ショー&ロデオ公演を記念し、ロレックス〈キングマイダス〉を贈られたエルヴィス・プレスリー。写真では、壺型ボックスを手にした姿が写っている(Photo by Silver Screen Collection/Getty Images)
セレブリティ御用達となった〈キングマイダス〉
もともと少数販売しか想定されておらず、広告でも謳われていたように、その価格はごく限られた富裕層にしか手の届かないものだった。
実際、当時のロレックス最高峰モデルであった〈デイデイト〉より、およそ50%も高価だったのである。
そのためキングマイダスは、まさにセレブリティのための時計として特別な地位を築いた。愛用者にはジョン・ウェインやエルヴィス・プレスリーが名を連ねた。
プレスリーには、
“To Elvis Presley from the Houston Livestock Show Officers 1970.”
という刻印入りのキングマイダスが贈られている。

▲左:ゴールド製ミラーダイアルを備えるRef.4017(1975年頃) 右:ガドルーン装飾とブルーダイアルを備えたホワイトゴールド製Ref.4015(1976年頃)

▲左:ホブネイル装飾ベゼルとポリッシュ仕上げのウッドダイアルを備えたイエローゴールド製Ref.4126(1981年頃) 右:ヘアライン仕上げのホワイトゴールドケースにシルバーダイアルを組み合わせたRef.4315(1975年頃)
〈キングマイダス〉の変遷──異端から〈チェリーニ〉の象徴へ
1964年、初めて“ベンヴェヌート・チェリーニ(ルネサンス期の彫刻家)へのオマージュ”と掲げたカタログが登場した際、キングマイダスはその中でも際立った存在感を放っていた。
もっとも、この時点ではまだキングマイダスは“チェリーニ”銘を冠したモデルではなかった。ダイアル上に筆記体の“Cellini”ロゴが初めて現れるのは、1968年のことである。
1970年代は、とりわけ〈チェリーニ〉コレクションにとって豊穣な時代だった。キングマイダスもまた、多彩なケース形状やデザインバリエーションへ発展し、このドレスウォッチファミリーを象徴する柱のひとつとなっていく。
そして“Midas”の名がカタログから姿を消すのは21世紀初頭のこと。その頃には、かつてのオールゴールド仕様オリジナルモデルは姿を消し、クロコダイルストラップを組み合わせた〈チェリーニ ミダス-ファースト〉へと置き換えられていた。

▲後年の〈キングマイダス〉では、初期モデル特有の左右非対称ケースは姿を消していった。写真右は、ラピスラズリダイアルを備えるイエローゴールド製Ref.4611(©Revolution)

▲〈キングマイダス〉には女性向けの小型モデルも存在した。こちらは、パヴェダイヤモンド仕様のダイアルとベゼルを備える〈クイーン マイダス〉(©Revolution)
ようやく今、この時計は再評価のルネサンスを迎えつつあるのだと私は思う。そして本当に驚くべきなのは、ヴィンテージのステンレス製スポーツロレックス収集では入口にも立てないような金額で、
・巨大なゴールドの塊
・ナンバード仕様の限定シリーズ
・しかも、ロレックス史の重要な一頁
そんな時計を手に入れられるという事実である。
もちろん、ロレックスがキングマイダスを再び復活させると期待するのは、さすがに望みすぎかもしれない。だが少なくとも、ロレックス・コレクターたちが今後ますますこの時計へ敬意を払うようになる―私はそう信じたい。
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