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生涯ロレックスを愛用した歌手ジョニー・キャッシュの遺品

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ジョニー・キャッシュは、自らの名声を通じて、不平等や人種差別、そして偏見に対して毅然と異議を唱えた。生涯、ロレックスを愛用した彼は、まさに「クール」

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Sotheby’s Once Auctioned Johnny Cash’s Rolex Watch For Just $7,200

生涯ロレックスを愛用した歌手ジョニー・キャッシュの遺品

ジョニー・キャッシュは、自らの名声を通じて、不平等や人種差別、そして偏見に対して毅然と異議を唱えた。生涯、ロレックスを愛用した彼は、まさに「クール」という言葉を体現する存在であったのだ。

by James Sherwood  . Jul 18, 2025

黒衣の男とオイスター パーペチュアル

 パティ・スミスが“カントリー界の道徳的指針”と評したように、J.R.“ジョニー”・キャッシュは多くのジャンルを極め、晩年に至るまで、その歩みは常に自分自身に対して誠実であり、万人の憧れであり続けた。

 同時代のエルヴィス・プレスリーと同様、1950年代初頭にレコーディング契約を求めてテネシー州メンフィスに降り立ったキャッシュもまた、ゴスペル音楽の伝統を受け継いでいた。サン・レコードの代表サム・フィリップスは、キャッシュにこう告げた。 “家に帰って罪を犯し、それから私が録音できるような曲を持って戻ってこい” 。

 1956年、彼の出世作となったシングル『I Walk the Line』はチャートの1位に立ち、43週間にわたってランクインし、200万枚以上のセールスを記録したのである。

 キャッシュは、カウボーイブーツにステットソン帽、ラインストーンのラペルといった、野暮ったいカントリー&ウェスタン歌手のイメージとは正反対の存在であった。頭からつま先まで黒で統一し、なでつけた“クィフ(前髪を立たせた髪型)”と鋭い眼差し。その深いバス・バリトンの声とギターで、同様にダークなバラードを歌い上げたのだ。

 この“黒衣の男(マン・イン・ブラック)”と呼ばれた彼は、アウトローであり、疎外された者や弱者の代弁者でもあった。彼の最も成功したライブアルバムのうちの二つ、『At Folsom Prison』と『At San Quentin』は、受刑者たちの前で録音されたものである。彼が身に着けていた唯一の装飾品は、14Kイエローゴールドのロレックス 〈 オイスター パーペチュアル 〉 であった。これは2004年にサザビーズで、わずか7,200ドルで落札されているのである。

▲ジョニー・キャッシュの14Kイエローゴールド製ロレックス 〈 オイスター パーペチュアル 〉

 

善人、悪人、そしてデイデイト

崩壊したアメリカン・ドリームを歌うダークなバラード歌手というオーラは、ジョニー・キャッシュの依存症によってさらに深まった。彼は大酒飲みであり、1960年代初頭に『Ring of Fire』や『Understand Your Man』でチャート1位を記録していた頃、年間300本に及ぶ過密なコンサート・スケジュールをこなすために「ありとあらゆる薬物を試した」と告白している。

 1965年には、ギターケースからデキセドリンが発見され、テキサス州エルパソで逮捕され一晩拘留された。「しばらくの間は私が薬を飲んでいたが、そのうちに薬が私を飲み込み始めた」と、彼は自身の薬物使用について語ってる。その後、1968年に結婚した二番目の妻であり、歌のパートナーでもあるジューン・カーター・キャッシュの助けを借りて、彼は悪癖を断ち切ったのである。

▲ジョニー・キャッシュ

 1983年に再びベティ・フォード・センターへ入所することになるが、ジューン・カーターとの結婚は彼の精神的な目覚めと健康の回復、および1969年のABCでの『ザ・ジョニー・キャッシュ・ショー』によるキャリアの絶頂期と重なった。

 キャッシュはこの番組のホストを務め、ルイ・アームストロング、ニール・ヤング、ボブ・ディラン、ニール・ダイヤモンド、ケニー・ロジャース、ジェームズ・テイラー、レイ・チャールズといった、多種多様なミュージシャンと共演した。あらゆるジャンルを跨ぐカルト的なミュージシャンとしての地位は、このテレビ番組で築かれたものである。

 しかし、1979年の『Ghost Riders in the Sky』が最後のヒットとなり、その後10年間はベテラン歌手として各地の地方興行を回る不遇の時代を過ごした。この時期、オンステージでもオフステージでも、彼はプレジデントブレスレット仕様のイエローゴールドのロレックス 〈 デイデイト 〉 を身に着けていたのである。

▲『ザ・ジョニー・キャッシュ・ショー』1969年

 

不死鳥の飛翔

 ジョニー・キャッシュのカムバックは、前例のないほど鮮やかなものであった。「デフ・ジャム・レコーディングス」の共同創設者であるリック・ルービンは、新曲によるソロアルバムの制作を彼に働きかけた。

 キャッシュは1993年、サンセット・ストリップにあるジョニー・デップのナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」でこれらの新曲を披露したのだ。1994年にアルバム『American Recordings』がリリースされた。

 この年、ケイト・モスが『Delia’s Gone』のビデオにゲスト出演し、ジョニー・キャッシュはグラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーを務めた。キャッシュはトム・ウェイツといった現代アーティストの楽曲をカバーし、2002年にはナイン・インチ・ネイルズによる薬物依存と自傷行為の哀歌『Hurt』をカバーした。

 2003年のグラミー賞で『Hurt』が最優秀ミュージック・ビデオ賞を逃し、ジャスティン・ティンバーレイクがその栄冠を手にした際、彼はキャッシュに対し「今夜この場にいる誰よりも、彼こそがこの賞にふさわしい」と敬意を表したのである。

▲ジョニー・キャッシュ

 ジョニー・キャッシュは、最愛の妻を失ったわずか数カ月後の2003年、71歳でこの世を去った。彼は「ゴスペル音楽の殿堂」、「ロックの殿堂」、「カントリー・ミュージックの殿堂」のすべてに殿堂入りを果たした数少ないアーティストのひとりであり、その事実は、彼が音楽という枠組みを超え、ジャンルの壁を打ち破った稀有な才能の持ち主であったことを物語っている。

 彼の死後、2005年に公開されたジョニー・キャッシュの伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で、ホアキン・フェニックスと共にジューン・カーター・キャッシュを演じたリース・ウィザースプーンがアカデミー賞主演女優賞を受賞したことで、彼は新しい世代の音楽ファンや映画ファンにも知られることとなったのである。

※オリジナル記事は、2017年2月17日に公開されたものです。

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