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究極のカウボーイ、ジョン・ウェイン:彼の時計のレガシー

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ロレックスからピアジェまで、ジョン・”デューク”・ウェインは、大胆で控えめ、そして紛れもなくアメリカ人として、自身の生き様と同じように時計を身に着け

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John Wayne: Hollywood’s Ultimate Cowboy and His Watch Legacy

究極のカウボーイ、ジョン・ウェイン:彼の時計のレガシー

ロレックスからピアジェまで、ジョン・”デューク”・ウェインは、大胆で控えめ、そして紛れもなくアメリカ人として、自身の生き様と同じように時計を身に着けていた。

by James Sherwood . Jul 25, 2025

ハリウッドの象徴、ジョン・ウェイン

 「私の映画を見に来たとき、私があなたを不快にさせるようなことは何もしないことを知ってほしい。私に失望することはないと知ってほしい」。そう語ったのは、142本の愛国的な20世紀の「戦争と西部劇」ハリウッド映画のスター、ジョン・”デューク”・ウェイン(1907-1979)である。興行収入でウェインを上回ったのは、クラーク・ゲーブルだけだった。彼の物憂げで低い、男性的な話し方、ゆったりとした歩き方、そしてラシュモア山のように彫りの深い風貌が、ウェインをアメリカの西部開拓時代の最も象徴的なヒーローにした。

 マリオン・モリソンとして生まれた彼は、子供の頃に”デューク”というニックネームを得た。家族はビッグ・デュークという犬を飼っており、地元の消防士たちがその犬を追いかける幼いウェインを見て、彼らをビッグ・デュークとリトル・デュークと名付けたのだ。

▲ ジョン・”デューク”・ウェイン(1907-1979)

 ウェインは南カリフォルニア大学にフットボールの奨学金を得て入学したが、ボディサーフィン中の怪我で退学を余儀なくされ、フォックス・フィルム・コーポレーション(Fox Film Corporation)で小道具係として働き始めた。ジョン・フォード監督と親しくなったウェインは、端役としてカメラの前に立つようになった。ラオール・ウォルシュ監督は、1930年の映画『ザ・ビッグ・トレイル』で彼を初の主役に起用したが、友人のウェインを『駅馬車(原題:The Stage to Lordsburg)』(1939)のリンゴ・キッド役として主演に導いたのはフォードだった。フォードは「彼は史上最大のスターになるだろう」と予言した。

 ウェインは映画俳優という技術について自己評価が低かった。晩年、彼はマイケル・ケインに「静かに、ゆっくりと話せ、そして、余計なことは一切しゃべるな」とアドバイスを与えた。ついに『勇気ある追跡(原題:True Grit)』(1969)で唯一のアカデミー賞を受賞した際、ウェインはバーブラ・ストライサンドに「ビギナーズ・ラックだよ」と囁いた。後に彼はリチャード・バートンと酒を飲み、彼こそが『1000日のアン(原題:Anne of the Thousand Days)』(1969)で主演男優賞を受賞すべきだったと公言した。

▲ 映画『ザ・ビッグ・トレイル(原題:The Hallelujah Trail)』出演時のジョン・ウェイン、1930年撮影 (Image: Gettyimages)

▲ 『勇気ある追跡(原題:True Grit)』(1969)での役柄により、「1969年度主演男優賞」のオスカーを受賞したジョン・ウェイン (Image: Gettyimages)

 彼は、ハワード・ヒューズの駄作『征服者(原題:The Conqueror)』(1956)についてもユーモアを見出していた。この作品では、ウェインの肌は黄色く塗られ、目を斜めにするためにセロハンテープで留められてチンギス・ハーンを演じており、彼はある批評家の言葉を引用している。「この映画の中に、本物のタタール人を見つけられる歯科衛生士すらいないだろう」

我が道をゆく

 ウェインは、自分のやり方で映画を製作する俳優だった。彼は非愛国的と見なした脚本を引き受けることは決してなく、背後から人を撃つようなシーンの撮影を断固として拒否した。生涯にわたる共和党員であったウェインは、ハリウッドにおける共産主義反対運動の闘士であり、ベトナム戦争の熱心な支持者でもあった。しかし、彼は紋切り型の共和党員の偏屈者ではなかった。友人であるロック・ハドソンについて、ウェインは「あいつがゲイであることが一体誰の関心事だ?あいつはチェスが本当に上手いんだ」とぶっきらぼうに語った。デュークの楽しみはシンプルだった。136フィートのヨット「ザ・ワイルド・グース(The Wild Goose)」でのセーリング、1日に5箱のフィルターなしキャメルたばこの喫煙、氷を入れたストレートのテキーラを飲むこと、そして競技ブリッジ、ポーカー、チェスをすることだった。

▲ ロレックス 〈キングマイダス〉

 デュークはいくつもの時計を所有していたが、その中でも最も重要な時計は、ジェラルド・ジェンタがデザインしたイエローゴールド製のロレックス 〈キングマイダス〉だ。これは1,000本限定で生産されたモデルで、1964年当時のロレックスの中で最も高価かつ最も重い時計だった。エルヴィス・プレスリーや、『007 黄金銃を持つ男』(1974)でボンドの宿敵スカラマンガを演じたクリストファー・リーが愛用したことでも知られるキングマイダス。2011年のヘリテージ・オークションにて、予想落札価格$6,000〜8,000ドルのところ、$26,290で落札された。

 誇示を嫌うデュークらしく、ウェインは常に文字盤を手首の内側に向けて時計を着用していた。1950年代には、タンレザーのブレスレットが付いたスクエア型のイエローゴールドの時計を着用している写真が残っており、ケースはロイ社製、ムーブメントはエルジン社製だった。文字盤にはDukeとモノグラムが施され、不思議なことに全ての数字が「5PM」となっている。このタイムピースは明らかに内輪のジョークだったが、残念ながらそのオチはウェインと共に墓場へと消えてしまった。

 ハリウッドのステレオタイプに倣い、ウェインは3度結婚し、7人の子供をもうけ、マレーネ・ディートリッヒやマール・オベロンとの長期的な不倫関係も楽しんだ。しかし、デュークはムービースターによくある贅沢にふけることはせず、カリフォルニア州ニューポートビーチの自宅とアリゾナ州の牛牧場で、より質素な生活を好んだ。「ヒーローの存在を信じない者は、映画館に来るべきではない」と語ったその男は、銀幕の中でも外でも、大自然と共に生きる『アメリカン・ドリーム』を体現した人物だった。

 193センチ(6フィート4インチ)の長身を誇り、アメリカ的男性美の象徴であった彼が、1964年に肺の摘出手術を受けたことは、ファンに大きな衝撃を与えた。ウェインは、1979年に自らの命を奪うこととなるその病(がん)に対して、「ザ・ビッグ・C(The Big C)」という造語を名付けた人物だと言われている。

 死の1年前、ウェインはケースバックに「From your friends Shreveport LA. Thank You. Independence Bowl 1978(あなたの友人シュリーブポートLAより。ありがとう。インディペンデンス・ボウル 1978)」と刻印された円形のイエローゴールドのピアジェの時計を贈られた。これはおそらく、イーストカロライナ・パイレーツが毎年恒例の大学アメリカンフットボールトーナメントで優勝したことを祝うものだったのだろう。彼は死後に議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)を授与され、「勇気とは、死ぬほど怖くても……それでも鞍を付ける(立ち向かう)ことだ」という自らの座右の銘に従って生きた、ハリウッドで最も有名なカウボーイとして記憶されるだろう。

この記事の初版は、2017年6月23日に公開されました。

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