深海というフロンティアに挑み続けたダイバーズウォッチ。防水技術の飽くなき進化と、歴史的名作たちが歩んだ軌跡を辿る。
A History of the Dive Watch
ダイバーズウォッチの歴史、名作たちが歩んできた軌跡
深海というフロンティアに挑み続けたダイバーズウォッチ。防水技術の飽くなき進化と、歴史的名作たちが歩んだ軌跡を辿る。
by Revolution .Sep 16, 2019
防水なき時代の苦闘
今日の高性能スポーツウォッチに慣れすぎ、時計が本来、繊細で高精度な計器であることを忘れがちである。実際、その歴史のほとんどにおいて、時計は丁寧に扱われてきたため、1930年代になっても、ベストのポケットに安全にしまっておくのではなく、手首に時計を身に着けるという考え自体が、嘆かわしい、そして願わくば一時的な流行であってほしいと嘲笑されていたのである。
かつて、スナップバック(はめ込み式)の裏蓋に塵や水が侵入するのを防ぐ手段は、裏蓋を蜜蝋で密閉することであった。この仕様は、懐中時計や初期の腕時計に広く見られた。それでもなお、当時は手を洗う際に時計を外して安全な場所に置いておくのが男性の習慣であった。そのため、ヴィンテージのスナップバック時計で、内部の鋼鉄パーツに腐食の形跡がないものは極めて稀である。
防水性能の向上
1926年、ロレックスの創業者ハンス・ウィルスドルフが、ねじ込み式のリュウズとケースバックを備えたオイスターケースの特許を取得したことで、時計の防水性能は飛躍的に向上した。このケースは、今日ではダイバーズウォッチにおいて広く普及しており、ロレックスという名前が世界中で認知されているのと同様である。

オリジナルのロレックス〈オイスター〉は別として、ウィルスドルフが特許取得済みのケースを開発した意図は、ダイバーズウォッチそのものを作ることではなかった。高級時計メーカーであるカルティエも、ダイバーズウォッチを作ることを意図していたわけではないが、1931年には世界初の本格的な防水時計の一つであるカルティエ〈タンク エタンシュ〉を製造している。
カルティエ初の防水時計は〈パシャ〉であり、〈パシャ〉はマラケシュのパシャが水泳中に使える防水時計を求めたことから生まれたという話は、よく語られるが、それは単なる作り話に過ぎない。ブランド史家のフランコ・コローニによれば、当時(1930年代半ば)、カルティエのラインナップの中で防水時計はタンク エタンシュのみであり、パシャが登場したのは1943年のことであった。

初めてのダイバーズウォッチ
水しぶきに耐える防水時計からダイバーズウォッチへの飛躍は、おそらく、その名前が文字通り究極の精度を意味することを意図していたオメガ社によるものといえる。1932年、オメガはオメガ〈マリーン〉を発表した。〈マリーン〉は、回転ベゼルもねじ込み式リュウズやケースバックも備えていないため、現代的な意味での本格的なダイバーズウォッチではないと主張されるかもしれない。しかし、それまでのどの時計も成し遂げられなかった方法で防水性の問題を解決したのである。
長方形のケースが外側のケースにスライドして入り、レバーで二つのケースの間に気密シールを作る仕組みになっていた。〈マリーン〉は、サファイアクリスタルを採用した最初の時計の一つでもあった。そして、それまでどの時計も試したことのない深さまでテストされた。レマン湖で73メートル、そしてヌーシャテルの研究所の圧力室で135メートルの深さに相当する圧力までテストされたのだ。

〈マリーン〉は、先駆的な海洋学者チャールズ・ウィリアム・ビーブと共に太平洋で潜水し、アクアラングのパイオニアであるイヴ・ル・プリウールも着用した。ル・プリウールが開発した初期のプロトタイプ・アクアラングは、戦後ガニャン=クストーの発明が採用されるまで、フランス軍の標準装備であった。
オメガの象徴的な時計であり、現代の〈シーマスター 300〉の直接の祖先である〈マリーン〉は、近年オメガによって135本限定(ミュージアムコレクションの一部として)で復刻され、ゴールドとステンレススティール製で、オリジナルと同様に135メートル(450フィート)の防水性能を備えている。

テクノロジーが戦時に急速な進化を遂げるというのは、歴史の悲哀に満ちた事実である。この点において、第二次世界大戦は潜水技術をダーウィンの進化論のごとく急速に加速させ、水中工作員(フロッグマン)部隊や水中破壊工作部隊、さらには有人操縦式の魚雷であった小型潜水艇部隊の発足へとつながった。大戦中の大半の期間、フロッグマン部隊が着用していた時計は、単に高い防水性を備えただけの製品にすぎなかった。しかしその一方で、当時は米国を拠点としていたハミルトン・ウォッチ・カンパニーなどにより、魔法瓶の蓋を彷彿とさせるねじ込み式のキャップ(リュウズカバー)を備えた、いわゆる「キャンティーン(水筒)」ウォッチも数多く製造されていたのである。

しかし、一連の奇妙な運命のいたずらによって、世界で最も有名なダイバーズウォッチの一つとなる宿命を背負った時計が存在する。それは、当時は無名のイタリアの海軍用計器メーカーであったパネライが、わずか数百本のみ製造したモデルであった。その原点である〈ラジオミール〉は、濁った水中や夜間作戦時でも水中工作員が文字盤を読み取れるよう、高い視認性を確保するために開発された発光素材にちなんで名付けられた。1936年にプロトタイプが製作され、1938年には本格的な製造が開始されている。

戦後:ロレックス〈サブマリーナー〉とブランパン〈フィフティ ファゾムス〉
戦後、スクーバダイビングは産業界と一般大衆の双方で急速に普及していった。より深くへ潜るという開発競争は、有人潜水艇として史上最も深い場所へ到達した潜水艇「トリエステ号」を生み出すことになる。
このトリエステ号は、従来の潜水艦というよりも、むしろ熱気球に近い構造であった。基本的には、巨大なガソリン満載のフロート(浮力体)の下に、球体の耐圧殻(バチスフィア)を吊り下げて浮力を得る仕組みである。結果としてトリエステ号は、それ以前の、そしてそれ以降のどの潜水艇よりも深くへ人間を到達させることに成功した。その深さは、地球上の海の最深部の一つであり、水深1万メートルを超えるチャレンジャー海淵の底にまで達したのである。

トリエステ号は、時計を「着用」した数少ない潜水艇の一つという、稀有な名誉も保持している。その外側には、特別に開発されたロレックスの〈ディープシー〉が取り付けられていた。ダイバーズウォッチとして見た場合、このディープシーの実用性には議論の余地がある。
その理由は、あまりにも巨大で堅牢すぎるケースと、半球状の分厚い風防(クリスタル)にある。昨今のデカ厚時計ブームを考慮したとしても、腕に巻くための設計ではない。しかし、「海の最深部という過酷な環境にも耐えうるダイバーズウォッチを製造できる」という概念の実証として、その地位は今なお揺るぎない。この時計は1953年、トリエステ号とともに最初の大深度潜航を行い、水深3,150メートルに到達した。そして最大の歓喜の瞬間は1960年に訪れる。チャレンジャー海淵の深淵へと挑む歴史的な記録飛行に同行し、実に水深10,916メートルという極限の地へと降り立ったのである。

初代ロレックス〈ディープシー〉がトリエステ号とともに深海へと赴いた翌年、すなわち1954年の春。バーゼル・ウォッチ・フェアにて、ついにロレックス〈サブマリーナー〉がデビューを飾る。ケース構造のみならず、あらゆるディテールにおいて、サブマリーナーこそがダイバーズウォッチの決定版であった。高い視認性を誇る針、逆回転防止型のタイミングベゼル、フリップロック式ブレスレット、そして手首への直着けからウェットスーツの袖の上まで容易にサイズ調整を可能にするブレスレット・エクステンション。そのすべてが、ダイバーズウォッチの定義そのものとなったのである。

ほぼ同時期に誕生し、現代的なダイバーズウォッチの黎明期におけるもう一つのアイコンとして君臨し続けている時計がある。
1952年、フランス軍の特殊部隊「潜水突撃兵(コンバット・スイマー)」の指揮官であったロベール・マリュビエ大尉は、50ファゾム(91.44メートル)の深度で確実に機能する、専用のダイバーズウォッチの開発という任務を与えられた。この深度は当時、通常の組成の圧縮空気を使用するダイバーが安全に潜水できる限界とされていた。
当時、ロレックスの研究開発チームがすでにプロトタイプの開発を進めていたのは明らかであったが、マリュビエの要求を満たす市販の時計はまだ存在しなかった。そのため、このフランス軍将校はスイスのレイヴィル・ブランパン社との交渉に臨むことになる。フランス国内での展開に向け、ブランパンは1953年にリップ社と流通契約を締結。こうして1954年、その時計はついに発売の日を迎えたのである。

この時計——〈フィフティ ファゾムス〉と命名されたモデル——は、1956年にパルムドールを受賞したジャック=イヴ・クストー監督の映画『沈黙の世界』の劇中で着用されたことで広く知られている。しかし、その後のフィフティ ファゾムスが辿った運命は、サブマリーナーのそれよりも複雑なものであった。
米海軍の特殊部隊「SEALs」をはじめ、世界各国の軍隊に採用されたものの、一般の市民市場においてサブマリーナーほどの爆発的な普及を見ることはなかったのである。だが近年、ブランパンの手によってこの名作は鮮やかに蘇った。自社製自動巻きムーブメントを搭載したマリュビエ大尉のツールウォッチは、その機能美に徹した純粋なデザインにより、今や世界で最も文句なしに美しいダイバーズウォッチの一つへと昇華を遂げている。
歴史を振り返れば、1954年という年は、現代の時計愛好家たちの心の中で「ダイバーズウォッチの紀元」として記憶されるべき特別な1年であったと言えるだろう。

1940年代後半、パネライは〈ラジオミール〉をさらに進化させた、レバーロック式のリュウズガードを備えた新型モデルを開発する。それはかつてのラジオミールと同様、文字盤に使用された発光素材にちなんで〈ルミノール〉と名付けられた。そして1954年、パネライはエジプト海軍のために50本のみの時計を製造した。
このモデルは後年、ヴィンテージ・パネライの中でも最高峰のコレクターズアイテムとして歴史に記憶されることになる。興味深いことに、この「エジプシャン」と呼ばれるパネライは、ルミノール・スタイルのケースを採用していながら、文字盤には「Radiomir」と刻印されていた。同社のネーミング規則は使用する発光素材の種類に準じており、エジプト海軍が旧来の放射性物質(ラジオミール)の採用を求めたためである。

人々の海 ― 現代のダイバーズウォッチ時代
1950年代に現代へと続く定番のフォルムを確立したダイバーズウォッチは、続く1960年代を迎えると、潜水の世界そのものを万人のものへと変えていく。かつては、他産業の予備バルブ部品を流用してレギュレーターを自作するような、一握りの屈強な男たちだけのスポーツだったダイビング。それが機材の低価格化に伴い、世界中で数千人、いや数百万人が愉しむ一大レジャーへと変貌を遂げたのである。
これに呼応するかのように、ダイバーズウォッチのバリエーションと生産数は爆発的な増加を見せる。チューダー、エニカ、エテルナ(名作〈コンティキ〉を擁する)、エベラールといった錚々たるブランドが、ダイバーたちのために次々とモデルを投入した。そしてその需要は、命知らずでタフな男の価値観に共感し、腕元に大胆で頑強、かつ絶対的な信頼性を求める一般層へも瞬く間に広がっていった。
こうした隆盛の中、ファーブル・ルーバは時計史に残る金字塔を打ち立てる。1966年に発表された、今や入手が極めて困難な名作〈バティ50(Bathy 50)〉である。これは機械式の水深計を実用レベルで初めて搭載したダイバーズウォッチであり、メーター表記の代わりにフィート表記の文字盤を与えられた〈バティ160〉としても販売された。
さらに時を同じくして、もう一つのマイルストーンが達成される。熱狂的なダイバーズウォッチ史の愛好家を除けば、現代ではその名を知る者も少なくなったブランド――ジェニー(Jenny)の〈カリビアン〉が、前人未到の魔法の数字「水深1,000メートル防水」を世界で初めてクリアしたのである。

時を同じくして、テクニカルダイビングや産業潜水の分野でも新たな地平が切り拓かれていた。
人体が呼吸ガスで満たされる「飽和状態」に達する時間のメカニズムが解明されたことで、飽和潜水の実用化が急速に進展する。1964年に始まった米海軍の海底居住実験「シーラブ(SEALAB)」をはじめ、ウェスティングハウス社などの民間企業、そしてとりわけ有名なフランスのコメックス(COMEX)社による先駆的な試みがその代表例である。そして、このコメックス社とロレックスとの共同開発こそが、飽和潜水の世界に特化した史上初のタイムピースを生み出す契機となった。
飽和潜水士たちは通常、ナイトロックス(窒素・酸素混合ガス)ではなくヘリオックス(ヘリウム・酸素混合ガス)の環境下で作業を行う。しかし、これがダイバーズウォッチにとって致命的な問題を引き起こした。ヘリウム原子は極めて微小なため、時計の気密シールやガスケットを通り抜けてケースの内部へと侵入し、蓄積してしまうのである。問題が顕在化するのは減圧時だった。ケース内に溜まったガスが膨張し、その圧力によって風防(クリスタル)を粉砕するか、あるいは時計から完全に吹き飛ばしてしまう事態が頻発したのである。
この難題に対する最適解として誕生したのが、ロレックスの第二のアイコンとなる伝説的ダイバーズウォッチ〈シードゥエラー〉である。1967年にプロトタイプが誕生し、1971年に正式に市場へと投入されることとなった。

1930年代に発表したマリーンで一世を風靡して以来、オメガの研究開発部門も決して手をこまねいていたわけではない。同社は1957年、満を持して〈シーマスター 300〉シリーズを市場に投入する。このモデルはプロ・アマ問わずダイビングコミュニティから熱狂的に受け入れられた。
その後も無数のバリエーションを生み出しながらその血統は受け継がれ、現代ではコーアクシャル脱進機を搭載した〈シーマスター プラネットオーシャン〉へと至っている。テクニカルなシーマスターの系譜は実に広大であるが、その頂点に君臨するものといえば、今なお〈シーマスター 1000〉を置いてほかにない。
このモデルは、ダイバーズウォッチの覇権争いにおけるオメガのもう一つの雄であり、ベゼルロック用の鮮やかなオレンジ色のボタンが目を引く左右非対称フォルムの〈シーマスター 600 プロプロフ(PloProf)〉をも凌駕するサイズと潜水能力を誇っていた。
さらにシーマスター 1000は、人間のダイバーだけでなく、潜水艇に「着用」された極めて数少ないダイバーズウォッチのクラブに名を連ねる存在でもある。1973年、アメリカの海中探査企業インターナショナル・アンダーウォーター・コントラクターズ(IUC)社は、自社の深海潜水艇「ビーバー Mark IV」のマニピュレーターアームにこの時計を括り付け、水深1,000メートルという実戦さながらの過酷なテストへと連れ出したのである。繰り返される試験の中でも、シーマスター 1000はその圧倒的な性能を証明し続けた。厚さ5ミリメートルもの分厚い風防の奥から、深海の世界を平然と見つめ返していたのである。

シーマスター 1000は、ある意味で実用工学の極致に達したダイバーズウォッチを象徴する存在であったが、当時、これに並ぶ錚々たる同胞たちも存在していた。驚異的な水中アラーム機能を備えたモデルを展開したジャガー・ルクルト。そして1960年代後半に登場した、IWCのプロフェッショナル向けダイバーズの系譜、とりわけ極めてクリーンで魅力的なラインを描いた初代〈アクアタイマー〉である。
さらに1960年代が幕を閉じる頃、時計史において最も成功を収め、堅牢かつ手頃な価格を両立したダイバーズウォッチが姿を現す。世界中のプロ・アマを問わず何百万という人々に愛用されることになる、セイコーの自動巻きダイバーズである。セイコーはさらに1975年、ハイテクと高度なメカニズムを融合させた世界初の快挙を成し遂げる。それが、世界初のチタン製量産型時計セイコー〈ダイバー・プロフェッショナル600〉の誕生である。
このモデルには、そもそもヘリウムガスのケース内への侵入を完全に防ぐ、極めて洗練されたガスケットシステムが導入されていた。これこそが、オメガのシーマスター 600や1000、そしてロレックスのシードゥエラーといった飽和潜水専用時計に対して、セイコーが出した51mmという圧倒的なサイズ感を持つ独自の解答であったのである。

体内組織のガス飽和度をリアルタイムで算出し、ダイバーをあらかじめ計画された潜水プロファイルへの厳格な束縛から解放した「電子式ダイブコンピュータ」の登場。それによって、ダイバーズウォッチは過去の遺物と化したかのように思われた。しかし、現実は異なった。ダイバーズウォッチは、むしろ更なる繁栄を遂げたのである。
潜水艦用鋼鉄(サブマリンスチール)を纏ったジン(Sinn)〈U1〉や、それとは対照的に軽快で躍動感に溢れ、3,000メートル防水を誇るチタン製のブライトリング〈エアロマリン アベンジャー シーウルフ〉のように、防水性と耐食性を新たな次元へと引き上げた現代のタイムピースたち。これらは、深海での生存を左右するガスと圧力の繊細なチェスゲームにおいて、今なおダイバーに不可欠な「最後の砦」を提供し続けている。
そして現在、このゲームは単に生き残るための基本性能を超え、さらなる進化を遂げている。洗練されたケースとガスケットシステムに守られた、ダイバーズ・トゥールビヨンやミニッツリピーターといった超複雑機構の黄金期を迎えているのだ。その見事なエンジニアリングは、現代の時計製造の極致として、深淵の闇を照らし続けている。
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