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収集家のための完全ガイド —— ジェラルド・ジェンタ

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ロイヤル オーク、ノーチラスなど数々の名作をデザインし、“ラグジュアリースポーツ”というジャンルを生み出した天才の50年にわたる軌跡を辿る。そしてラ・

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A Collecting Guide: Gérald Genta

収集家のための完全ガイド ― ジェラルド・ジェンタ

ロイヤル オーク、ノーチラスなど数々の名作をデザインし、“ラグジュアリースポーツ”というジャンルを生み出した天才の50年にわたる軌跡を辿る。そしてラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトンと歩む、ブランドの未来を考える。

by Neha S Bajpai . Nov 29, 2024

20世紀最大の時計デザイナー

 今日では当たり前となった“ラグジュアリー・スティール・スポーツウォッチ”というジャンルの先駆者として、その名を刻む時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタ。彼のデザインの遺産は、20世紀を代表するアイコニックなタイムピースの数々に息づいている。

 ユニバーサル・ジュネーブの〈ポールルーター〉、カルティエの〈パシャ〉、そしてオーデマ ピゲの〈ロイヤル オーク〉——。ジェンタの時計ほど、一目でそれと分かり、愛され、そして模倣されてきた存在は他にない。

左:ユニバーサル・ジュネーブの〈ポールルーター〉 中:オーデマピゲ〈ロイヤル オーク〉(1972年)のスケッチ。 右:ジェラルド・ジェンタが描いた、パテック フィリップのブレスレットウォッチ用オリジナル・プロトタイプ・デザイン。1978年頃。(Image:collectability.com)

 しかし、ジェラルド・ジェンタの創造性が真に花開いたのは、1969年に自身の名を冠したブランドを立ち上げてからである。エリート層の愛好家に向けた少量生産が中心だったため、大手ブランドのような広い人気こそ得られなかったものの、その作品は独自の世界観を宿していた。

 ジェンタのマニュファクチュールは、レトログラード、グランドソヌリ、パーペチュアルカレンダーなどを少数限定のナンバー入りシリーズとして製造し、その多くはコミッションワーク(特別注文)であった。

 自身のレーベルを通じてジェンタは、既成概念から解き放たれた自由なデザイン哲学を追求した。そこから生まれた作品は、彼独自の遊び心と幻想性を理解し、それを愛でる顧客のためのものだった。

 彼のビジョンは明確だった。――常識を打ち破り、大胆さと芸術性を宿したオブジェを創造すること。

レトログラード(Image:geraldgenta-heritage.com)

グランド・ソヌリ(Image:geraldgenta-heritage.com)

オクタゴナル(Image:geraldgenta-heritage.com)

  2011年にこの世を去ったジェラルド・ジェンタは、自身が生み出したタイムピースが後年これほどの熱狂を呼ぶとは思わなかっただろう。とりわけ1970年代にデザインされたパテック フィリップの〈ノーチラス〉とオーデマ ピゲの〈ロイヤル オーク〉という二つの伝説的モデルは、ジェンタの死後に爆発的な再評価を受けることになった。

 この死後の名声は、彼の妻であるエヴリーヌ・ジェンタにとって誇らしくも、ほろ苦いものとなっている。彼女は今日のコレクター市場で生み出される数百万ドルの価値よりも、知られざる側面、すなわち芸術家としてのジェラルド・ジェンタ、そして先駆者としてのジェラルド・ジェンタを世に伝えることに情熱を注いでいる。

▲ ジェラルド・ジェンタとその妻エヴリーヌ・ジェンタ。

  近年、ジェンタ本人の名を冠した、これまであまり知られていなかった作品を復活させようという動きが活発化している。

 2021年、クリスティーズ・ドバイで開催されたオンラインオークションでは、ジェラルド・ジェンタの時計が次々と記録を塗り替えた。プラチナ製の〈グランドソヌリ No.1〉が50万ドル(約7,500万円)で落札されたほか、18Kイエローゴールド製の〈グランドソヌリ No.3〉が30万ドル(約4,500万円)で落札。これらは事前の予想価格の10倍という、驚くべき金額であった。

 この熱狂は2022年に入っても加速する。この年は〈ロイヤル オーク〉誕生50周年、そしてジェンタ没後10周年にあたった。サザビーズは、ジェンタを讃える大型オークションを開催した。

 中でも注目されたのは、ジェンタ本人が所有していた特別なコンビモデルのオーデマ ピゲ〈ロイヤル オーク ref. 5402〉である。この一品は、当初の予想を7倍以上も上回る210万ドル(当時のレートで約2.7億円以上)という高値で落札された。サザビーズによれば、これはオークションで取引されたヴィンテージのオーデマ ピゲとして、史上最高額であったという。

左:ジェラルド・ジェンタ〈グランドソヌリ No. 1〉Ref. G0025.7 右:〈グランドソヌリ No. 3〉(Image: Christie’s)

ジェンタ自身が愛用していた〈ロイヤル オーク〉、イエローゴールドとステンレススティールのコンビモデル。

  オークションでの狂乱は、それだけにとどまらなかった。パテック フィリップ ノーチラスのオリジナルの手描きデザイン画は、サザビーズ香港のオークションにおいて72万7,000ドル(約1億円以上)で落札された。10人もの入札者が激しい争奪戦を繰り広げた末、アジアの個人コレクターの手に渡った。

 また、オーデマ ピゲも自ら、1972年頃に制作されたロイヤル オークのオリジナル・プロトタイプ・デザイン(見事な水彩画)を61万1,405ドル(約9,200万円)で買い取った。

左:ジェンタによるノーチラスのオリジナルデザイン画。彼のデザイン画の中で、時計のサイドプロファイル(側面)まで描かれた数少ない作品の一つである。右:1970年にジェンタが描いた、オーデマ ピゲ ロイヤル オークのオリジナルスケッチ。

  こうした熱狂が渦巻く中、ルイ・ヴィトンのウォッチ部門ディレクター、ジャン・アルノーが2023年の“ウォッチズ&ワンダーズ”で着けていた時計が注目を集めた。それは、ルビーとダイヤモンドを配し、スケルトン加工を施したジェラルド・ジェンタ・ブランド製の永久カレンダー・ミニッツリピーターであった。

 この豪奢なタイムピースは、ジェンタの遺産を復活させようとする彼個人の、そしてLVMHグループの並々ならぬ意欲を象徴するものであった。

 こうして2023年、ルイ・ヴィトンの高級時計工房“ラ・ファブリク・デュ・タン”のもと、ジェラルド・ジェンタ・ブランド再興の舞台が整った。ジャン・アルノーは、数百点にも及ぶ未公開のデザイン画を含む膨大なアーカイブへの完全なアクセス権を手にし、「もしジェンタが存命なら、今日どのような時計を作るか」という一点に情熱を注いでいる。

 かつてジェンタと共に働いた複雑機構のスペシャリスト、ミシェル・ナヴァスとエンリコ・バルバジーニの指導のもと、ラ・ファブリク・デュ・タンはブランドの真の精神を捉え、それを21世紀にふさわしい形へ再解釈することを目指している。

複雑機構の巨匠、エンリコ・バルバジーニ(左)とミシェル・ナヴァス(右)の二人。

  ジェラルド・ジェンタがデザインしたタイムピースの人気が高まる中、ブランドの原点に立ち返り、これまでの名作の数々を再検証してみよう。

セイコーとの出会い、ブランドの黎明期

 1960年代後半、スイスの名だたるブランドにデザインを売り込み、すでに名声を確立していたジェラルド・ジェンタは、自らのチームを結成することを決意した。総勢7名の小規模なチームを率い、ジュネーブのサン・ジャンに控えめなアトリエを借りたのである。

 「彼はすでにヴァン クリーフ&アーペルのようなブランドのために特別な作品を作っていましたが、同時に、自分のためだけに名前のないユニークな時計も制作していたのです」とエヴリーヌ・ジェンタは回想する。

 日本への旅の途上、ジェンタは当時セイコーの代表取締役副社長であった服部禮次郎(はっとりれいじろう)と運命的な出会いを果たす。ジェンタは日本語も英語も話せず、服部もフランス語を解さなかったが、言葉の壁を越えて二人は瞬く間に強い絆で結ばれた。

 服部はジェンタの才能に心酔し、セイコーのデザインチームに刺激を与えるため、彼を何度も日本に招待したのである。ある訪日の際、ジェンタは太陽と空が描かれた、未完成のパーペチュアルカレンダーのプロトタイプ6点を服部に見せた。

「これらを完成させて、また持ってきなさい。和光で展示したい」と服部はジェンタをはげました。

 ジェンタにとって、これらの金無垢時計の制作は多大な投資であり、大きな賭けであった。しかし、服部がこれらを和光で展示すると、プロトタイプは絶賛を浴びた。

 一方で、この成功は一部のスイスブランドにとって面白くないものであった。服部がジェンタの作品を展示することに対し抗議まで行ったという。スイスのフリーランス・デザイナーであるはずのジェンタが、日本と協業することが不快だったのだ。

 これを受け、服部はジェンタに自らの作品にブランドネームをつけるよう勧めた。

 「ジェンタさん、これは非常に失礼なことです。あなたは、これらの時計に自分の名前を刻まなければならない」

 エヴリーヌによれば、この瞬間こそがジェンタのキャリアにおける大きな転換点となり、ジェラルド・ジェンタ・ブランドが誕生するきっかけだったという。

 スイス中がクオーツ危機による日本の脅威にさらされていた時代、ジェンタは日本との間に深い繋がりを築いていた。

「当時、日本はスイス時計産業を破壊する敵とみなされていた。工場は閉鎖され、人々は職を失っていた。しかし、私の夫は日本に魅了され、最初は観光客として、のちにはビジネスマンとして何度も通い続けたのです」とエヴリーヌは語る。

 1970年代後半、服部の依頼により、ジェンタは〈クレドール ロコモティブ〉のデザインを手がけた。この時計は、自身のブランド以外でジェンタが自ら命名した唯一の作品である。

 セイコー クレドール ロコモティブは、八角形のケースと露出したネジを備えており、彼の最もアイコニックな作品群と共通するデザイン要素を持っていた。

 このロコモティブを最後に、ジェンタは服部の後押しもあり、スティール製のスポーツウォッチから離れ始める。

 「ロコモティブを通じて、ジェラルドはインダストリアルな時計で表現したいことを語り尽くした。その後、彼は複雑機構の探求へと向かい、それがパーペチュアルカレンダーやソヌリへと結実していったのです」とエヴリーヌは説明している。

〈ロコモティブ〉オリジナルモデル(1979年頃)およびオリジナルのスケッチ。

  セイコーとの提携は、ジェラルド・ジェンタ自身のブランドの地位を高めただけでなく、時計デザインの新たな方向性を打ち出すこととなった。彼は自身の小さなワークショップに戻ると、文字盤やケースの自社製造を優先するようになる。

 「外部に文字盤を発注する場合、少なくとも1,000個単位のオーダーが必要でした。そのため、外部から調達できない部品は自らのアトリエで製作したのです。ただ、当時は社内に熟練の職人がいなかったため、ブレスレットまでは製造できませんでした」とエヴリーヌは振り返る。

 ビジネスが徐々に成長するにつれ、ジェンタはさらなる拡張の必要性を感じるようになった。

 「彼は、成長を遂げるためには自分自身の工場を設立する必要があると考えたのです」とエヴリーヌは語る。

 このビジョンによって、ル・ブラッシュにムーブメント製造部門が創設され、一方でケースと文字盤はジュネーブで生産される体制が整ったのである。

アトリエ・ジェラルド・ジェンタと三銃士

 自らのマニュファクチュールを手にしたジェラルド・ジェンタは、斬新なシェイプと独自構造を持つケース、そして強烈な存在感を放つブレスレットなど、大胆な実験を重ね、唯一無二の時計を生み出していった。

 エヴリーヌが強調するように、ジェンタはクォーツ危機後の時代にあって、パーペチュアルカレンダー、レトログラード、ミニッツリピーター、そしてグランド・ソヌリといった複雑機構に再び光を当てたパイオニアでもある。

 アトリエはわずか7名の職人で始まったが、急速に成長し、最盛期には250名もの職人を抱えていた。彼らはジェンタ名義の時計を生み出す傍ら、他の名門ブランドのためのタイムピースも手がけていた。ジェンタの顧客はじつに幅広かった。

 彼は1953年にオーデマ ピゲと仕事を開始したが、すぐにベンラス、ハミルトン、ブローバといったアメリカのブランドへも広がっていった。さらに、ロレックス〈キング・マイダス〉、カルティエ、ショーメ、フレッド、ヴァン クリーフ&アーペルといった名門デザインにも関わっている。

 エヴリーヌによれば、ある時期にはグラフの時計も、すべてジェンタのアトリエで作られていたという。それほどまでに彼の活動領域は広く、高級時計の世界に残した足跡は計り知れない。

「彼のデザインは、ただのビジョンではなく、すべて“現実”だったのです。

 リュウズが1ミリ必要なら、彼は正確に1ミリで描いていました」とエヴリーヌは語る。

「ジェラルドの綿密なスケールは、それぞれのデザインを、いつでも生産可能な状態にしていました。多くのデザイナーは実現不能な夢物語を描きますが、彼の作品はすべて厳密な基準で“作れるように”描かれていたのです」

 ジェンタは卓越したチームを築いた。ケース、ブレスレット、ダイヤルを担当したアーネスト・フィッシャー、ムーブメント製作を担ったピエール=ミッシェル・ゴレイ。

「私は彼らを“三銃士”と呼んでいました。まさにその名にふさわしい存在でした」

左:ロレックス〈キング・マイダス〉 右:1985年のオリジナル〈パシャ ドゥ カルティエ〉

左:ジェンタがデザインし、エベルが生産を請け負っていたショーメの時計(Image:baronribeyre.com) 中:ジェラルド・ジェンタによるフレッド Ref.25070(1980年代頃/Image:Antiquorum) 右:ジェラルド・ジェンタによるヴァン クリーフ&アーペルRef.1154.2(1980年代頃/Image:Antiquorum)

 ジェラルドは、すべての時計を細部まで綿密にデザインし、フィッシャーやゴレイと技術について熱のこもった議論を交わしていた。

 「ムーブメントの高さから、ジェラルドが思い描いたスリムなケースにどう収めるかまで、彼らは飽きもせず延々と議論していました」とエヴリーヌは振り返る。

 生産が拡大するにつれ、工房は二つの方向へと進化していった。ひとつは限定コレクションで、モデルによっては50本のみという少量生産だったが、彼らにとってはそれでも大きな数字に感じられた。

 もうひとつは、ジェラルドが胸を躍らせた一点物(ワンオフ)の制作である。

 「私たちはプロトタイプメーカーになっていったのです」とエヴリーヌは語る。

 「たとえばイタリアでは、約40の小売店とともに、独自性に満ちたユニークピースを披露していました。創造性と市場性のバランスを取りながら。もしひとつのモデルに絞って磨き上げていたなら、もっと大きな成功も富も得られたはずです。でも、ジェラルドはひとつの時計をデザインして形にした瞬間、すぐに飽きてしまい、次の創作へ進みたがったのです」

ユニバーサル・ジュネーブ〈ポールルーター〉Ref. 20214-2(1954年頃/Image:Phillips)スカンジナビア航空(SAS)とユニバーサル・ジュネーブ〈ポールルーター〉の当時の広告(Image:universalgenevepolerouter.com)

  時代は少々戻るが、1960年代から80年代にかけて続いたジェンタとオメガの協業は、時計史を変える大きな出来事となった。

 1960年、当時オメガのクリエーション部門責任者だったピエール・モアンタは、ジェンタに、オメガのダイヤル、ケース、ブレスレットを製造する複数のサプライヤーとの独占契約を提示した。

 「シーマスター ポラリスでは、彼はケース、ダイヤル、ブレスレット、インデックスを

 すべて別々にデザインし、オメガがそれらをひとつの完璧な時計にまとめ上げたのです」とエヴリーヌは語っている。

 ジェンタはまた、コンステレーションの美学をも刷新した。Ref.168.009に見られる“Cシェイプ” ケース──ケースとラグを一体化させたデザイン──がそれだ。

 さらにオニキスをインレイしたエボニーインデックスもジェンタ独自のアイデアであった。こうしたデザインは彼の作品の象徴となり、ケースとブレスレットを完全に統合するという当時の大きな潮流を象徴している。

 当時は個別のデザイナー名が公式にクレジットされることはなかったものの、1960年代後半のオメガのデザインは、ジェンタの影響が明らかで、のちのオーデマ ピゲ ロイヤル オークへの前奏曲とも言える。

 ジェンタは生前こう語っている。

「オメガで私がどれだけのことをしてきたか知らない人もいるかもしれない。でも、それでまったく構わないのだよ」

左:オメガ〈シーマスター・ポラリス〉Ref. TA 396.952 右:オメガ〈コンステレーション〉Ref.168.004(Image:Antiquorum)

 1985年、カルティエは〈パシャ ドゥ カルティエ〉をスポーティに刷新するにあたり、ジェラルド・ジェンタにデザインを依頼した。すでに半世紀前に誕生した時計を現代的に再解釈するという難題に対し、ジェンタはカルティエの伝統的な意匠と、当時のモダンな空気感を巧みに組み合わせ、パリのメゾンが持つ精神を見事に表現してみせた。

 シリーズの中でも際立つのが、ムーンフェイズ付きのパーペチュアルカレンダーである。

 夜空はラピスラズリ、月はゴールドで仕上げられ、従来の塗装で描くムーンフェイズとは一線を画す、極めてエレガントなデザインであった。

 さらにジェンタは、〈パシャ ゴルフ〉のような革新的コンプリケーションも生み出している。これはゴルファーがスコアをカウントできるプッシュピースを備えたユニークなモデルだ。

 「カルティエはミニッツリピーターを含む8〜9種類の複雑機構をつくりましたが、そのすべてにジェラルドのアイデアが関わっていたのです」とエヴリーヌは振り返る。

オートマティック仕様のカルティエ〈パシャ〉パーペチュアルカレンダー(Image:geraldgenta-heritage.com)

  1980年代後半、ヨーロッパとアメリカがインフレとエネルギー危機に直面するなか、ジェラルド・ジェンタは日本の実業家、アジアのスルタン、アラブ王族といった新たなパトロン層を開拓していった。

 ダンディで“創造の天才”と評されたジェンタは社交界にもごく自然に溶け込み、フェラーリを駆り、イタリアではカシミアを纏い、上流階級のアイコンとして知られたピエール・アルペルと行動を共にする姿が見られた。

 また、フィアットおよびフェラーリのカリスマ的リーダーで、ジェンタの時計を愛用していたジャンニ・アニェッリともデザインについて熱い議論を交わしていた。

 ジェンタの真骨頂である“一点ごとのカスタムメイド”は一流の顧客を魅了し、彼はスイス大手ブランドから離れ、より奔放で大胆、芸術性の高い作品づくりへと進むことができた。「彼はスイス国内よりも、海外のほうがずっと有名でした」とエヴリーヌは語る。とりわけアジア圏での成功は目覚ましく、

 「ザ・アワーグラスとは二つの事業を展開していました。ひとつはレギュラーラインで、シンガポール、インドネシア、バンコクの同社のすべての店舗で販売されていました。もうひとつは富裕層向けの特別ラインで、マレーシアのスルタンやインドネシアの有力者たちを顧客としていました」

 80年代のジェンタ──黄金期の幕開け

  1980年代はジェラルド・ジェンタにとって、まさに黄金期と呼ぶべき時代だった。1979年には名誉あるジュネーブ・シールを獲得し、2年後にはミニッツリピーターとパーペチュアルカレンダーを組み合わせた革新的なモデル、Ref. G2015で大きな注目を集めた。

 自動巻きムーブメントを搭載しながら、ケース厚はわずか2.72mmという超薄型。発売されるや否や大成功を収め、1000本以上が瞬く間に売れていった。

 「この時計は当時、もっとも薄いだけでなく、シリーズ生産された唯一のモデルでもありました。誰もこんな発想を持っていなかったのです」と、1979年にジェンタのチームに加わったエンリコ・バルバジーニは語る。

 「私の父の友人であり、ジェンタの時計製造部門を率いていたピエール=ミシェル・ゴレイが、私のキャリアのスタートを手助けしてくれました。当時、ジェラルド・ジェンタは誰もが働きたいと憧れるブランドで、魅力的なプロジェクトに挑める場でした。他のブランドが苦境に立たされるなか、ジェンタは大胆にも自身の会社を立ち上げ、その創造性を存分に発揮していたのです。私は時計学校を卒業すると、いきなり複雑機構を任されました。他ではまずありえない、とても稀有なチャンスでした。ジェンタは私が最初に働いたブランドであり、最後に働いたブランドでもあります」

ジェラルド・ジェンタ〈ミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダー〉Ref. G2015(Image:Christie’s)

  この見事なミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダーは、自社製のダブル・コンプリケーションムーブメントを搭載し、白いマットダイヤルにはジェンタらしいサブダイヤルが配されている。

 12時位置のムーンフェイズはラピスラズリ製のディスクによって美しく際立ち、その神秘的な輝きが全体の印象をさらに豊かなものにしている。ケースは上品な35mmの“エンパイアケース”で、優雅なヴァンドームラグ、そしてポリッシュ仕上げの“ダブルポム”ベゼルを備える。側面のシリンダー状ケースバンドにはブランドロゴとシリアルナンバーが手彫りで刻まれている。

 ケースバックをのぞけば、金メッキのメインプレートにロココ調のフローラル文様が繊細に刻まれた、圧巻のミニッツリピーターキャリバーが姿を現す。9時位置のプッシャー式アクチュエーターは、従来のスライドレバーに代わる革新的な仕様で、操作性を高めるだけでなく、防水性にも寄与しており、当時のリピーターとしては極めて稀な仕様だった。

 細部に至るまで品質へのこだわりが感じられ、その証として、名誉あるジュネーブ・シールが刻印されている。

ジェラルド・ジェンタ〈ミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダー〉Ref. G2015(Image:Christie’s)

  ジェラルド・ジェンタの工房で、バルバジーニは時計師ミシェル・ナヴァスという最高の相棒を見つけ、ふたりは21世紀を代表する伝説的タイムピースを数多く生み出していった。

 「ジェラルド・ジェンタは、高級時計のコードを大胆な発想とクリエイティブなデザインで軽やかに遊ぶ、まったく新しい存在でした。そんなブランドは他になかったのです。私はその魅力に惹かれ、1987年にオーデマ ピゲを離れてジェンタに加わりました」とナヴァスは振り返る。

 彼は、ジェンタのもっとも複雑な創作とされるグランド・ソヌリを実現するうえで、中心的な役割を果たした人物である。

ジェラルド・ジェンタ〈グランド・ソヌリ No.1〉Ref. G0025.1(Image:Christie’s)

  「トゥールビヨン、ウェストミンスター・チャイム、そしてふたつのパワーリザーブ表示を備えたグランド・ソヌリは、1994年当時“世界初”の腕時計でした。誰も実現できるとは思っていなかったのです。開発には4年以上を要し、ブランドの創立25周年にようやく間に合いました」とバルバジーニは語る。

 ジェンタはこの時計を1本あたり100万スイスフランで23本販売したと言われている。もともとはブルネイ国王のために構想されたもので、フィリップ・デュフォーに続き、グランド・ソヌリという超複雑機構を腕時計に搭載した史上2番目のモデルとなった。ここにはピエール=ミシェル・ゴレイ、デメトリオ・カッビドゥ、ミシェル・ナヴァス、エンリコ・バルバジーニという“ドリームチーム”の卓越した技が結実している。

ジェラルド・ジェンタ〈グランド・ソヌリ No.1〉Ref. G0025.1(Image:Christie’s)

  1990年代に製作されたグランド・ソヌリはごく少数で、その多くが段差をつけたラウンドケース、あるいはピラミッド形の独特なケースを採用していた。1994年製のプラチナ仕様Ref. G0025.7は、八角形の“ピラミッドケース”と自動巻きムーブメントを組み合わせた象徴的な一本である。

 マザー・オブ・パールのダイヤルには、四つのサブダイヤル、トリチウムのドットインデックス、10時位置の静音モード表示、チャイム用と通常輪列用のふたつのパワーリザーブ表示、そして8時位置にはグランド/プティット・ソヌリの表示が備わる。

 心臓部のCal. 31000は自動巻きで、アラーム、カレンダー、ミニッツリピーター、パワーリザーブ表示、トゥールビヨン、デュアルタイムといった複数の複雑機構を統合した、まさに超複雑の名にふさわしいキャリバーである。

ジェラルド・ジェンタ〈グランド・ソヌリ No.1〉Ref. G0025.7(Image:Christie’s)

  グランド・ソヌリには、パーペチュアルカレンダーを備えない代わりに、レトログラード式の時表示とワンダリング・ミニッツを採用した六角形ケースのバージョンも存在する。現在判明している〈グランド・ソヌリ・ヘキサゴン〉は、ホワイトゴールド、プラチナ、イットリウム製の3種のみ。

 なかでもイットリウム製の一本は、2024年のフィリップス・ジュネーブのセールで15万2,400スイスフランで落札されている。この希少なモデルは、クローバーリーフのモチーフを施したダイヤルを持ち、自動巻きキャリバー31000を搭載。トゥールビヨン、グランド/プチ・ソヌリ、ミニッツリピーター、ウェストミンスターカリヨンを併せ持つ、現代オートオルロジュリーでも屈指の超複雑時計だ。

 38mmのケースに複数の複雑機構を収めるのは困難を極め、ムーブメントの千点以上にもおよぶパーツはナチュラルモチーフを取り入れた精緻な装飾が施されている。自動巻きのグランド・ソヌリは極めて少なく、このイットリウムケース仕様はほぼ唯一無二の存在と考えられている。

 時計業界に精通する者なら誰もが知るとおり、カーボンダイヤル、幾何学的ケース造形、レトログラード針といった現代的要素の多くは、1970〜80年代にジェラルド・ジェンタが先駆けたものだ。その代表例が、ジェラルド・ジェンタ〈ジェフィカ サファリ〉である。

 これは“世界初のブロンズ製腕時計”として知られる。1984年、ジェンタはアフリカでのサファリ中に太陽光を反射しない時計を求めた三人のハンター──ジェフロワ、フィッソレア、カナーリ──のためにこのモデルを制作した。

「ジェンタ氏は、ブランドの進化に不可欠な素材へと投資したのです」とエンリコ・バルバジーニは語る。

「若い独立ブランドとしては驚くべき大胆さでした。ジェフィカ サファリは真の“ツールウォッチ”で、反射を抑えるブロンズケースを採用し、コンパスをストラップの留め具側に配置して時計の磁気帯びを避けるという、徹底した実用設計でした。当時としては革命的で、スチールや貴金属以外の素材をラグジュアリーウォッチに使うという発想に、業界は衝撃を受けたのです」

ジェフィカ サファリ(Image:geraldgenta-heritage.com)

 コレクションの人気が高まるにつれ、ジェンタはジェフィカ・ラインに、いくつかの複雑機構モデルを追加した。なかでも特に傑出した1本が、1990年に発表された ジェフィカ・レピティション・ミニット・カンティエーム・パーペチュエル・トゥールビヨン・ユニバーサルタイム である。

 八角形のケースバンドを備えたこのモデルはジェフィカとオクタゴン両方のデザインコードを融合させ、非常に複雑なムーブメントを搭載していた。

 また、この系統の変わり種として1995年に登場したのが、ブラック仕上げのステンレススティール製のクォーツ・クロノグラフRef. G3620.7で、コレクターの間では親しみを込めて“ダース”と呼ばれている(スターウォーズのダースベイダーを思わせるため)

「私たちはしばしば、ダイヤル上のスペースに苦労しました。既存ムーブメントに合わせてデザインするのではなく、デザインに合わせてムーブメントを開発するという非常にユニークなアプローチを取っていたためです。ここでは、創造性こそがプロダクト開発を推進していたのです」と、バルバジーニは振り返る。

ジェラルド・ジェンタが 1990 年頃に描いた、グランド・コンプリケーション腕時計のオリジナル・プロトタイプ・デザイン(Image: Sotheby’s)  ジェラルド・ジェンタ ジェフィカ アルミニウム Ref. G3620.7(Image:Chrono24)

  ジェンタの革新的な精神は、単に文字盤のデザインにとどまらなかった。彼は多彩なシェイプのケースを考案し、さらにはブレスレット、リューズ、針、ダイヤル素材に至るまで、驚くほど多くの意匠を生み出したのである。

 自社のマニュファクチュールでは、ゴールドやスチール製のダイヤル、ケース、ブレスレットを内製し、さらには多面カットのサファイアクリスタルまで開発。多くのメーカーがラウンド型の風防を好んだ時代に、ジェンタは〈ゴールド&ゴールド〉や〈サクセス〉コレクションのように、オクタゴン(八角形)型のクリスタルを採用することにこだわった。

 「私はこの二つのコレクションに最も多く関わりました。5年間で約60本のミニッツリピーターを組み立てたのです。これらこそジェラルドの芸術の真髄です。グランド・コンプリケーションに大胆なデザインを組み合わせながら、ケース厚は抑えられ、装着感は常にエレガント。ミニッツリピーター、永久カレンダー、時にはトゥールビヨンなど、複雑機構をこれほど見事にまとめ上げるのは簡単なことではありません。ですが、彼はそれが可能だと証明してみせたのです」と、バルバジーニは語る。

 ジェンタの革新性を象徴する発明のひとつが、時計にカーボンファイバーを導入したことである。特にサクセス・カンティエーム・パーペチュエル Ref. G3374.7に顕著で、1988年頃からダイヤル素材としてカーボンを使用し、後にはベゼルやブレスレットリンクにも応用した。

 さらにジェンタは、まったく新しい形状の針を考案した。〈アイスクリスタル〉シリーズで見られる大型の三角形針や、1990年代半ばの〈アリーナ〉コレクションで存在感を放ったソード(剣)型の針がその代表である。

 初期のジェラルド・ジェンタ作品は、伝統的なフルーテッドリューズや、サファイアまたはダイヤモンドをセットしたリューズを備えていたが、1980年代後半になると、彼はビーズ(突起)をあしらったドーム型リューズを導入。これはクラシック、ジェフィカ、サクセス、アリーナといった各コレクションの象徴的な意匠となった。

左:〈アイスクリスタル〉(Image:europastar.com) 右:〈ジェフィカ〉Ref. G.3149.7 (Image: Phillips)

 ジェンタは、ヴェルサーチのような大胆で華麗なデザインを取り入れたが、一方で彼は〈レトロ(Retro)〉モデルで驚くほど控えめな美意識も示した。これはジェラルド・ジェンタ史において重要な位置を占めるコレクションとなった。

 当初、このコレクションの丸形モデルは〈クラシック(Classic)〉と呼ばれ、複雑機構を備えたモデルは、それぞれのコンプリケーション名が与えられていた。

 1990年代後半、ブランドがスポーティな方向へと舵を切り、レトログラード・ミニッツやジャンピングアワーといった機構を採用し始めると、〈レトロ・クラシック(Rétro Classic)〉というラインが新たに立ち上げられた。

 彼は、今日コレクターの間で人気の高い複雑機構であるレトログラード針とジャンピングアワーの双方を積極的に導入した、パイオニアの一人だった。

 ジェンタの手作業で仕上げられたダイヤルには、しばしばホワイトアゲート(白瑪瑙)が使われ、半透明の質感と鮮やかなマーカーが幻想的な表情を生み出した。このアゲート文字盤を採用した時計は、1983年にはすでに登場している。

 また、彼のスケルトン化のアプローチは当時の業界基準を覆すものだった。ブリッジやメインプレートの金属部分を最小限にし、限界まで透過性を高めつつ、残された細いフレームに精緻な彫金を施したのである。

 この繊細なムーブメントは、しばしば細く編み込まれたゴールドブレスレットと組み合わせられ、1970年代〜80年代初期にかけて高い評価を受けた。

 ジェンタのシグネチャーとなったもう一つの意匠が、貴石・半貴石の大胆な使用である。ジェンタがデザインしたユニヴァーサルのポールルーターは、インデックスにオニキスがインレイされていた。また、あるモデルでは文字盤全体を真紅のコーラル(珊瑚)で作るなど、塗装や人工着色を避け、天然素材の色彩を尊重していた。

 「工房では、時計に使うルビーを誰が選んでもよいわけではありませんでした。彼だけが、その“目”を持っていたのです」と妻のエヴリーヌは語る。

 「彼は色彩を愛していました。晩年はより抽象的な絵を描くことも増えましたが、常に鮮やかな色を好んでいました。朝6時には時計のデザインを始め、昼食まで仕事をし、午後は絵を描く——そんな日課をずっと続けていたのです」

完璧にスケルトン化されたプラチナ製ミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダー(Image:Christie’s)

ウォッチデザイナーとしての顔、画家としての顔

 1950年代から2000年代初頭にかけて続いたジェンタのまばゆいキャリアを振り返ると、その創作の裾野の広さに圧倒される。彼の天才性を一つのデザインで語り尽くすことは到底できない。常に時代の先を走り、しばしば業界が追いつけないほどのスピードで新しい表現へと踏み出していった。

 特筆すべきは、彼が自らの作風にある“両極”を見事に行き来していたことだ。1970年代のスリークでミニマルなスタイルから、1980年代の大胆で華やかな造形まで、まるで別人が手掛けたかのような幅を持ちながら、それでいてすべてが“ジェンタらしい”。では、ジェンタのデザイン哲学を定義するものとは何だろうか? それは謎めいていながら、本人同様きわめて魅力的である。

「夫には二つの顔があったと思うのです」と、妻のエヴリーヌは語る。

「彼は創造の塊であり、心の底では自分は画家だと思っていました。その情熱は彼の素晴らしい絵画作品に表れています。制作に没頭している時期は、完全に画家そのものでした。しかし、市場に向けた時計作りとなると、彼は一転して時計師の顔になります。生まれはイタリアですが、仕事の面ではスイスの職人そのものでした。この二面性こそが、彼の作品が一つの方向にまとまらない訳であり、ロレックスやオーデマ ピゲのように“一つのモデルを極める”という道を選ばなかった理由でもあるのです。ひとつのモデルを研ぎ澄まし続けていれば、彼らのような存在になっていたかもしれません。でも、彼は多様性を愛し、ひとつのことをやっていると、すぐに飽きてしまう。絵を描かずに一日が終わることはありませんでした。ある日はムーブメントについてゴレイ氏と深く議論し、別の日はひたすら絵筆を走らせる。その技術製と芸術性が常に共存していたからこそ、唯一無二の存在だったのです」

 ジェンタ晩年は、この二面性のうち、芸術家としての面が花開いた時期だった。極薄ミニッツリピーターや永久カレンダーを成功させた後は、富裕層向けの一点物カスタムが増えていった。伝統的なスイス時計の枠組みを超え、時に奇抜ともいえる美意識を採り入れたのだ。

 “形は機能に従う”というモダニズムの鉄則から離れ、装飾美を恐れずに追求した。なかでも注目すべきは、ブルネイ国王のために作られた品々である。

 2023年、クリスティーズ・ドバイで展示された一本は、その象徴的な例だ。イエローゴールド製、八角形ケースの永久カレンダーで、調和のとれたフォルムと緻密なディテールが圧倒的な存在感を放つ。

バゲットカットのサファイアとダイヤモンドで彩られ、マザー・オブ・パールのダイヤルには曜日、日付、月、そして濃紺のラピスラズリ製ディスク上に月相が表示される。18Kイエローゴールドのブレスレットを備えたこの一本は、オークションで3万7,000ドルで落札された。

 「ジェンタはあまりにも幅広い創作領域を持っていて、ひと言では定義できない存在でした。とてつもなくエクレクティック(折衷的)なんです」と、ナヴァスは振り返る。

 「彼は他ブランドのために洗練されたスポーティシックな時計を作る一方、自身のコレクションでは驚くほど自由で、バロック的とすら言える創造性を発揮しました。クライアントの好みと要望に合わせてスタイルを作り込む。ジェンタはクライアントの話によく耳を傾ける人物で、依頼主と会って唯一無二の特別な作品を創ることを本当に楽しんでいました。

 ある日工房に到着すると、駐車場に色違いのフェラーリが3台並んでいて驚いたことを覚えています。依頼主が、それぞれのクルマに合わせて三つの特注ダッシュボードクロックを作ってほしいと言ってきたのです。マエストロ(ジェンタ)は独自の方法でそれを実現し、8日巻きパワーリザーブの永久カレンダーを組み込んでしまったのです」とナヴァスは語る。

 1980年代、ジェンタが最初のミッキーマウス・ウォッチを手がけたのは、ブルネイ国王の依頼だったとされている。

 後に〈レ・ファンタジー(Les Fantaisies)〉につながる発想は、ジェンタが当時のディズニーCEOマイケル・アイズナーの母親への贈り物として制作したバンビの時計から始まった。

 この依頼を終えるとジェンタはアイズナーに、ディズニーキャラクターを使った限定シリーズを作る許可を求め、アイズナーはこれを承諾。こうしてキャラクターウォッチの第一弾が誕生した。

 1984年の時計展示会、モントル・エ・ビジューにおいて、ジェンタはあの有名なピンクパンサー、ミッキーマウス、そしてヌードを描いた時計を出展した。

 機械式時計にポップカルチャーアイコンを載せるという大胆なアイデアは、当時のスイス伝統ブランドから激しい非難を浴び、「冒涜だ」とまで言われた。

 何社かの出展者は抗議し、ジェンタに「撤去せよ」と迫ったが、彼は従う代わりに潔く会場を去る道を選んだ。

 「彼は創造的すぎて、伝統的なスイスのブランドとは“違いすぎる”存在でした。でも、私はあの小さな蝶を分針にあしらったバンビの時計を今でも覚えています。とてもロマンティックでした。それが後にミッキーマウスや仲間たち——エナメルで手描きされ、マザー・オブ・パールの文字盤がセットされた、上品なゴールドケースの時計へとつながっていったのです」とエヴリーヌは語る。

左:ジェラルド・ジェンタ レトロ ミッキーマウス ジャンピングアワー Ref. G3632.7(Image:Christie’s) 右:ジェラルド・ジェンタ レトロ ファンタジー ミッキーマウス Ref. G2850.7(Image:Sotheby’s)

 初期のクォーツ式ミッキーマウス時計は、ゴールド製に加えて後にスチール製も登場し、ジェンタの代名詞であるオクタゴン・ケースを備えていた。1990年代に入ると、彼はラウンド型の〈レトロ ファンタジー〉へと発展させ、ミッキーマウス、ドナルドダック、グーフィーといった人気キャラクターをフィーチャーしたモデルを次々と世に送り出した。

 これらの遊び心あふれるデザインは、レトログラード・ミニッツ表示によって生命を吹き込まれていた。キャラクターたちが野球のバットを振ったり、レースに向けて準備をするなど、愛らしいアニメーションを伴って分針が動く。

 1時間が終わるたびに、仕掛けが作動し、分針が瞬時にゼロへ“跳ね返り”、同時に時針が次の時間へ進む仕組みだ。まさに高度な機械仕掛けとユーモアの融合であった。

 このシリーズの中でも、ホワイトゴールド製のレトロ ファンタジー ミッキーは“史上もっとも高価なミッキーマウス時計”となり、レトロ ファンタジー グーフィーはコレクター垂涎のアイテムとして人気を博した。

 とりわけ興味深い一本が、2021年にフィリップスのオークションで出品されたモデルだ。ステンレススチール製の腕時計で、中国語表記のジャンピングアワーとレトログラード・ミニッツ、そしてマザー・オブ・パールのギヨシェ文字盤を組み合わせたもの。この300本限定モデルは、香港ディズニーランドとのコラボレーションによって製作され、189,000香港ドルという高値で落札されている。

ジェラルド・ジェンタの新章

 ジェンタが70代に差しかかったころ、ブランドをテイ家に譲ることは自然な流れだった。1996年、シンガポールの大手リテーラー、アワーグラスが51%の株式を取得し、ブランドは新たな章へと進んだ。

 そして4年後、ブルガリが会社を買収。ジェンタの象徴的なデザインに加え、グランド・ソヌリなど複雑機構のムーブメントを手掛けてきたピエール=ミシェル・ゴレイの高い技術力を取り込み、本格的な高級時計製造へと舵を切った。

 ブルガリはジェンタの複雑時計をいくつか製造し、レトログラード系のモデルを継承したが、2023年、ブランドは最終的にLVMHグループの傘下に入ることになる。

「夫は少し人生を楽しみたかったのです。14歳からずっと働きづめでしたから」と、エヴリーヌは語る。

「私たちが工房を持っていた頃、彼は毎朝4時に起き、仕事が始まる前にデザイン画を描いていました。プレッシャーは大きく、開発規模を拡大するべきか、それともすべてを彼一人で背負うのか、その狭間で揺れ続けていました。彼は時計デザイナーである前に芸術家でした。だからこそ、絵を描くことへの渇望が常にあったのです。ジェラルド・チャールズを立ち上げた後でさえ、毎日新しい時計をデザインし、革新を追い求めていました」

ジェラルドの妻エヴリーヌ・ジェンタとLVMHグループのウォッチ部門を率いる若きディレクター、ジャン・アルノー。

  ルイ・ヴィトンの複雑時計工房ラ・ファブリック・デュ・タンのもとで、ジャン・アルノーがジェラルド・ジェンタのブランド復活を宣言し、さらに1980〜90年代にジェンタと共に働いたミシェル・ナヴァスとエンリコ・バルバジーニが指揮を執ることになった。それはまるで完璧に構成された“円環の回帰”のような、感動的な瞬間だった。

「ジェンタ氏は生涯を通して、いつも筆を手に毎日数々のウォッチのグワッシュ(彩色画)を描き続けた多作なデザイナーでした。エヴリーヌのおかげで、私たちは3,000点を超える彼のデザイン画を見ることができ、それらは計り知れないインスピレーションの源になっています。ジェンタ氏が望んだであろう精神に沿って、私たちは単なる復刻ではなく、当時には存在しなかった技術を取り込みながら新しいデザインを生み出し続けています。ブランド復活の一員になれたことを本当に誇りに思います。最高のオマージュとは、彼の作品をそのまま再現することではなく、進化させることだと信じているからです。たとえば〈ジェンティッシマ・ウルサン〉は、ジェンタ氏に着想を得つつ、現代の技術が可能にするクリエイティブ作品です。無限の可能性を持つ真のデザイナーズピースと言えるでしょう。ジェンタ氏の時代は技術的制約が多かった。もし彼が今の時代に生きていたら、きっと大喜びしたはずです」とバルバジーニは語る。

  晩年のジェラルド・ジェンタは、業界の友人たちとのコラボレーションに喜びを見いだしていた。パテック フィリップのスターン家と共に〈ノーチラス〉40周年モデルのリファインに関わったり、ジャン=クロード・ビバーを助けて、ウブロ×フェラーリの時計に使われた“レッドセラミック”という素材の開発にも貢献した。

 ジェンタは2011年に亡くなる直前まで、絵画とデザインへの情熱を失うことはなかった。彼の遺産を後世に伝え、若い世代へインスピレーションを与えるため、妻のエヴリーヌは“ジェラルド・ジェンタ・ヘリテージ協会”を設立し、その精神の継承に努めている。

 オークション市場もジェンタの魔力から逃れることはできなかった。2021年、フィリップスはジェンタの作品を多数取り上げ、たとえばグランド&プティット・ソヌリ・トゥールビヨンは26万4,000スイスフラン、チャイニーズ・ジャンピングアワー レトログラード・ミニッツのミッキーマウスは18万9,000香港ドルを記録した。極めて限定的で複雑なこれらの作品は、近年コレクターの熱い注目を集めている。

 フィリップス香港のヘッド・オブ・セール、ガートルード・ウォンはこう語る。

 「ジェンタの作品の存在感は、ますます高まっています。コレクターを魅了するのは、革新的なケース形状、ユニークなブレスレット、そして複雑機構です。ノーチラスやロイヤルオークといった象徴的デザインさえ時に霞むほどです。特に1990年代のユニークピースで、八角形ケース、サファイア製ケースバックを備え、ムーブメントの緻密なエングレービングやフィニッシングが見えるモデルは高い人気があります。シリアル番号入りのモデルであれば、その希少性はさらに増すのです」

ジェラルド・ジェンタ チャイニーズ・ジャンピングアワー/レトログラード・ミニッツ “ミッキーマウス” Ref. M.10  (Image: Phillips)

  レトロ ファンタジー・コレクションは、コレクターの心に特別な場所を占めている。子どものころの記憶を呼び起こすようなノスタルジックな魅力があり、マザー・オブ・パール文字盤、レトログラード機構、ジャンピングアワーといった仕様とともに、ディズニー・キャラクターの中から“お気に入り”が必ず見つかる。

 フィリップス香港のガートルード・ウォンはこう語る。

 「ジェンタのコレクターは、独創性を好みつつ、品質にも妥協しません。貴金属、精巧なスケルトンムーブメント、エキゾチックな素材、そんなディテールを求めるのです。そして、少々派手なデザインでも、まったくいとわないのです」

 ニューヨークを拠点とするフィリップ・トレダノは、ジェンタのスケルトン・ウォッチの美に取り憑かれた人物だ。アート系クリエイティブ・スタジオ、トレダノ&チャンの共同創業者であり、筋金入りの時計愛好家として知られるトレダノは、数年前からジェラルド・ジェンタ作品を収集し始め、その大胆な素材使いに深く魅了されている。

 「90年代のジェンタの時計は圧倒的に情報量が多い。マザー・オブ・パール、ラピスラズリのダイヤル、カーボンファイバーのフェイス、サンドブラスト加工のホワイトゴールドケース……。でも、インディペンデント系ブランドが今やっていることと比べれば、決して過剰というわけでもない。ジェンタの作品には、まるでアーティストが遊んでいるような自由さがあって、時計界の“狂気”の元祖と言っていいでしょう。素材や形状にリスクを取ることを恐れなかった奔放な創造性には、今も強くインスパイアされています」

ジェラルド・ジェンタ プラチナ製スケルトナイズド ミニッツリピーター パーペチュアルカレンダー ムーンフェイズ&閏年表示付き (Image: Christie’s)

  ラ・ファブリック・デュ・タンのもとで再始動するジェラルド・ジェンタ ブランドについて、エヴリーヌ・ジェンタは大きな期待と希望を抱いている。

 「ジャン・アルノー氏は、ブランドに深い敬意を払ってくれました。エンリコ・バルバジーニとミシェル・ナヴァスをチームに加えてくれたことも、私にとっては胸が温かくなる出来事でした。まるで物語が続いているようで、彼らも私と同じように、ジェラルドを心に抱いてくれていると感じます。ジャンには探求すべき膨大なデザインの宝庫がある。若いことも心強いわ。これから50年は創造力を発揮できるでしょう」とエヴリーヌは語る。

 「夫はいつも未来を見ていました。どのモデルが一番好きかと尋ねられると、『明日のモデルだ』と答えるような人でした。彼はビジョナリーで、過去の繰り返し——たとえば1990年代のデザインそのまま、のようなもの——を望む人ではありません。ラ・ファブリック・デュ・タンのもとに戻った今、ジェラルドは『家に帰った』と感じているでしょう。ブランドの未来がどう進化していくのか、本当に楽しみです」

Brands:Gérald Genta

Brand:Gérald Genta
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