トゥールビヨンは長い間、極めて希少な機構として知られていた。しかし近年、機械式時計への関心が再燃したことで、その存在は再び脚光を浴びることとなった。
A Brief History of the Tourbillon
複雑機構の花形、トゥールビヨンの(ごく簡単な)歴史
トゥールビヨンは長い間、極めて希少な機構として知られていた。しかし近年、機械式時計への関心が再燃したことで、その存在は再び脚光を浴びることとなった。
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by Suan Futt Yeo. Apr 28, 2025 |
トゥールビヨンとは何か?
アブラアン-ルイ・ブレゲが発明した複雑機構は数多ある。トゥールビヨンもそのうちのひとつだ。それは当時の時計が直面していた、大きな問題を解決するために生まれた。ブレゲは1795年頃にトゥールビヨンを考案し、1800年12月23日に特許を申請した。特許文書には難しい言葉が並べられていたが、要するにこういうことだ。
「時計は置き方や持ち方によって進んだり遅れたりする。その誤差を少なくして、より正確に動かすための仕組みを作った」というのである。
当時の懐中時計はポケットの中でほぼ同じ向きのまま携帯されていたため、重力の影響で誤差が生じやすかった。そこでブレゲは、時計の心臓部であるテンプと脱進機を回転するカゴ(キャリッジ)に載せて回し続けることで、重力による誤差を平均化しようと考えた。
つまりトゥールビヨンとは、
「重力による誤差をごまかして、時計をより正確にするための装置」なのである。

▲トゥールビヨンは重力の影響を低減させるため、時計の心臓部であるテンプと脱進機を回転するカゴ(キャリッジ)に載せて回すシステムである。
現代の腕時計では部品や製造技術が大きく進歩したため、実用上の効果はそれほど大きくない。しかし、トゥールビヨンは時計製作技術の象徴として、今でも最高級機構のひとつとされている。トゥールビヨンには潤滑油を均等に行き渡らせる効果もあったが、一般的には、その最大の目的は懐中時計の精度に悪影響を及ぼす重力の問題を解決することだ。
懐中時計は一日の中でさまざまな姿勢をとるが、もっとも多かったのは垂直姿勢である。ベストのポケットに縦向きで収められていたためだ。この状態では重力によってヒゲゼンマイがわずかに変形し、精度の低下を招くことがあった。そこでブレゲは、脱進機とテンプを一定速度で回転させることで、姿勢における誤差を平均化し、安定した歩度を得ようと考えた。こうして生まれたのがトゥールビヨンである。
なお、「トゥールビヨン(Tourbillon)」とはフランス語で「つむじ風」や「旋風」を意味する言葉で、機構が自らの軸を中心に回転する様子に由来している。
トゥールビヨンは古くから、時計師の技術力を示す究極の機構とみなされてきた。脱進機とテンプという時計の心臓部を、小さく軽量な回転キャリッジの中に収めるには、極めて高い精度の加工と調整が必要だからである。
パテック フィリップの技術責任者ジャン=ピエール・ミュジーは次のように語る。
「高振動で大型のテンプを備えたシンプルな時計のほうが、多くのトゥールビヨンより高精度であることは珍しくありません。ですから、本当に高精度なトゥールビヨンを作ろうと思えば、長い時間をかけて調整を行う必要があります。パテック フィリップでは、トゥールビヨン1本ごとに数か月を費やして観察と微調整を繰り返します。すべてのトゥールビヨンがCOSC認定を取得しますが、それだけでは十分ではありません。フィリップ・スターン名誉会長は、COSC基準のさらに3倍厳しい社内基準を求めています。このレベルを達成するのは非常に難しく、時計1本の調整に数百時間を要することもあります」
つまり、トゥールビヨンは作れば自動的に高精度になるわけではない。トゥールビヨンを完成させるには、熟練した時計師による膨大な労力が必要なのである。
現代のパテック フィリップでさえ、コンピューター制御によるミクロン単位の加工技術を駆使しているにもかかわらず、その調整に莫大な時間を費やしている。それを思えば、すべての部品を手作業で製作し、仕上げ、組み立て、調整していたブレゲの時代にトゥールビヨンを完成させることが、いかに困難だったかが理解できるだろう。

▲ パテック フィリップ〈ゴンドーロ 10デイズ・トゥールビヨン Ref.5101P〉(2003年)。アールデコ様式の優雅なトノーケースに、10日間という圧倒的なパワーリザーブとトゥールビヨンを融合している。
黎明期――1800年から1990年代まで
ブレゲによって発明されたトゥールビヨンは、長い間ごく限られた時計にしか採用されなかった。今日のように多くのブランドが製造するようになったのは比較的最近のことである。その復活は1990年代以降の機械式時計人気の高まりによるものだ。
それ以前、懐中時計や腕時計のトゥールビヨンを製作していたのは、精度と芸術性の両面で卓越した技術を示そうとする一部の時計師やメーカーだけだった。
英国では19世紀末までトゥールビヨンはほとんど存在しなかったが、その後、フロッドシャムやスミス&サンズ、デントといった名門が製作するようになった。これらの時計は、しばしばキュー天文台の精度コンクールに出品され、高い計時性能を競った。
1801年から1945年までに製作されたトゥールビヨンの総数は、最大でも900個未満、おそらくは600個程度にすぎないと推定されている。
さらに、トゥールビヨン研究の決定版として知られる『Pocket Watches: From the Pendant Watch to the Tourbillon』の著者ラインハルト・マイスによれば、20世紀末の時点でも、本格的なトゥールビヨンを製作できる時計師は世界でわずか250人ほどしか存在しなかったという。
つまり、トゥールビヨンは約200年にわたり、限られた職人だけが手掛けることのできる、時計製作技術の最高峰であり続けたのである。

▲ ジラール・ペルゴ〈ヴィンテージ1945 スリー・ブリッジ トゥールビヨン〉(2004年)
ヴィンテージ・トゥールビヨンの中でも特に注目すべき存在であり、その血統が今日の腕時計にも少数ながら受け継がれているのが、ジラール・ペルゴの〈トゥールビヨン・ウィズ・スリー ゴールドブリッジ〉である。この形式のトゥールビヨンは、1884年に同社によって特許が取得された。
このトゥールビヨンの製作を担ったのは、1810年生まれのスイス人時計師エルネスト・ギナンである。ギナンはジラール・ペルゴ向けに20~25個ほどのトゥールビヨンを製作したとされるが、同時にパテック フィリップをはじめとする名門メーカーにもトゥールビヨンを供給していた。
この時計は、当時の時計製作技術の極致であった。独創的に配置された3本のブリッジと、ギナンが製作した極めて小型かつ精巧なトゥールビヨンケージの組み合わせによって、史上最高水準の精度を誇る懐中クロノメーターのひとつとなったのである。
1867年、ギナン製トゥールビヨンのNo.1060はヌーシャテル天文台の精度試験に出品された。その結果、日差の最大誤差はわずかプラス0.15秒。また、温度変化による歩度への影響は摂氏1度あたり0秒という驚異的な成績を記録した。
トゥールビヨンの名手として知られる人物は、ほかにも存在する。ひとりはアメリカ生まれでジュネーブを拠点に活動した時計師アルバート・ポッターで、19世紀末から20世紀初頭にかけて極めて高精度なトゥールビヨンを製作したことで知られる。
もうひとりは、英国のコヴェントリーで活動したデンマーク人時計師バーン・ボニクセンである。彼はトゥールビヨンの派生機構である“カルーセル”を発明した。これは回転ケージを用いず、脱進機とテンプ全体を回転するプラットフォーム上に搭載する仕組みであった。
これらの時計は優れた歩度性能で知られ、天文台の精度コンクールに出品されると、後にコーアクシャル脱進機を発明した現代の名時計師ジョージ・ダニエルズ博士の言葉を借りれば、「ライバルたちをことごとく圧倒した」のである。

▲ バーン・ボニクセン製、52.5分で1回転するカルーセル機構を搭載した18Kイエローゴールド製懐中時計(Image: Bonhams)
トゥールビヨンが腕時計に搭載されたのは、どうやら第二次世界大戦直後のことだった。それでも製作数はごくわずかで、いずれも究極の高精度時計を目指して作られた特別なモデルであった。
おそらく最初の腕時計用トゥールビヨンは、1945年に名時計師アンドレ・ボルナンがパテック フィリップのために製作した13¼リーニュのムーブメントである。
その数年後の1948年には、フランスのメーカーであるリップがトゥールビヨン腕時計をわずか1本製作した。また同じ頃、オメガも少数のトゥールビヨン腕時計を製造している。
パテック フィリップも1950年代に極めて限られた数のトゥールビヨン腕時計を製作した。これらもアンドレ・ボルナンによるもので、現存資料からは5本ほどが製造されたと考えられている。
これらの時計には、温度変化による誤差を抑えるギヨーム・テンプが採用されたほか、重量わずか1.018グラムという超軽量のベリリウム青銅製トゥールビヨンケージが搭載されていた。
その性能も群を抜いていた。すべての個体が天文台コンクールで最高評価にあたる「ファーストクラス」を獲得し、さらにそのうち2本はジュネーブ天文台コンクールで第一位に輝いている。
つまり、これら初期の腕時計用トゥールビヨンは、今日のような見せるための複雑機構ではなく、純粋に究極の精度を追求するための実験機であり、コンクール用クロノメーターとして生み出された存在だったのである。

▲ アンドレ・ボルナン設計のムーブメント No.861,115。
トゥールビヨンの復活―20世紀後半
多くの高度な時計技術と同様に、トゥールビヨンもクオーツ時計が全盛を迎えた時代には長らく表舞台から姿を消していた。しかし1986年、後に史上最も注目すべきトゥールビヨンのひとつと評価される時計が登場する。この時計は、再びトゥールビヨンへの情熱に火を灯した存在として、今日では特別な意味を持つモデルと考えられている。
それが、オーデマ ピゲが発表した世界初の自動巻きトゥールビヨン、キャリバー2870である。このムーブメントは、それまで時計師フリッツ=アンドレ・ロベール=シャリューが打ち立てていたトゥールビヨンケージ小型化の記録を塗り替えた。
キャリバー2870のトゥールビヨンケージは直径わずか7.2mm。さらにムーブメント全体の厚さはわずか2.5mmしかなかった。
ケースそのものがムーブメントの地板を兼ねるという斬新な構造が採用されており、裏側からは輪列を支えるルビー入りの軸受を見ることができた。
また、この時計は複数の“世界初”を備えていた。トゥールビヨンケージにはチタンが採用され、メインブリッジにはゴールドが使用されたのである。
さらに自動巻き機構も独創的だった。一般的なローターではなく、小型の振動錘(しんどうすい)を用いて巻き上げ機構を叩くように作動させる方式を採用し、その結果、驚異的な薄型化を実現した。
このキャリバー2870は現在に至るまで、
・世界最薄の自動巻きトゥールビヨン
・最小のトゥールビヨンケージを持つトゥールビヨン
という記録を保持している。
当時オーデマ ピゲ・ミュージアムの館長を務めていたマルティン・ヴェルリは次のように語る。
「この時計は、おそらく精度や実用性においては、最高のトゥールビヨンではありませんでした。しかし、現代トゥールビヨン時代の幕開けを告げるインスピレーションの源泉となりました。その意味において、大きな歴史的意義を持つのです」
つまりキャリバー2870は、精度競争のためのトゥールビヨンではなく、トゥールビヨンという機構そのものの魅力を現代に蘇らせた記念碑的存在だったのである。

▲ ジャクリーヌ・ディミエがデザインした1986年のオーデマ ピゲ〈トゥールビヨン〉。世界初の自動巻きトゥールビヨンであるキャリバー2870を搭載する。18Kイエローゴールドケース、リファレンス25643BA。写真の個体は1990年に販売されたもので、現在はオーデマ ピゲ ヘリテージ・コレクションに収蔵されている(Image: audemarspiguet.com)
ジラール・ペルゴは1981年、まず懐中時計として〈トゥールビヨン・ウィズ・スリー ゴールドブリッジ〉を復刻した。
そして同社はさらに一歩踏み込み、このムーブメントを腕時計に収まるサイズまで小型化することに挑戦した。長年にわたる困難な開発の末、1991年、ついに初の腕時計版〈トゥールビヨン・ウィズ・スリー ゴールドブリッジ〉を発表する。さまざまな派生モデルが登場した現在でも、その美しさはなお他の追随を許さないと考える愛好家は少なくない。
さらに1999年には、自動巻きのキャリバー9600を発表。香箱の上に優雅に浮かぶように配置されたマイクロローターを備え、その華麗な構造で大きな注目を集めた。
同じ頃、ほかの時計メーカーもまたトゥールビヨンの研究と復活に取り組んでいた。というのも、この機構は純粋に視覚的な魅力にあふれていたからである。
絶えず回転するケージの催眠的な動きと、その中で軽やかに鼓動するテンプの舞いに、人々は魅了された。
懐中時計時代のトゥールビヨンが通常ムーブメントの裏側に配置されていたのに対し、オーデマ ピゲの1986年モデル以降、多くの腕時計用トゥールビヨンが文字盤側から見えるようになった。
トゥールビヨンを単なる精度向上装置としてではなく、そのダイナミックな動きを積極的に見せようとする発想の転換があったのだ。つまり現代のトゥールビヨンは、精度を競うための装置から、時計製作技術と美しさを鑑賞するものへと変化したのである。

▲ コンスタン・ジラールの〈ラ・エスメラルダ〉トゥールビヨン ウィズ スリー ゴールド ブリッジ。
時計界の異端児として知られるフランク ミュラーは、1995年に特許取得済みのトゥールビヨンを発表した。
また、かつて天文台コンクールで数々の栄冠を手にしたトゥールビヨン搭載時計を製作していたパテック フィリップは、2003年に10日間パワーリザーブを備えたトゥールビヨンを発表。これは往年のパテック フィリップ製高精度クロノメーターの正統な後継機といえるものだった。
そしてもちろん、その名がトゥールビヨンと同義語ともいえるブレゲは、現代において再び“トゥールビヨンの王者”の座を取り戻している(生産本数ベースで見ればなおさらである)
※本稿は、REVOLUTIONアーカイブに収録されたヨー・スアン・フットの記事を再構成したものです。初出は2016年3月22日です。
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